桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第23回】

『武士道』(新渡戸稲造)

開催日時 2007年2月24日(土)14:00~17:00
会場 練馬区貫井地区区民館  東京都練馬区貫井1-9-1 ※西武池袋線・中村橋駅から徒歩5分

開催。諸々コメント。

「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」
この有名な一節から書き始められる新渡戸稲造の『武士道』は明治を代表する名著の一冊として海外で評価されているとされる作品です。

なぜ武士道というタイトルの書を書くに至ったのかという執筆動機から始まり、武士道の淵源、義、勇、仁など武士道が持つ精神の特質を分析し、武士道が日本民族の精神醸成にどのように関わってきたかというテーマが述べられています。

当時を生きていない私たちにその真実はどうであったのかということは推測するしかできませんが、全体的に結論付けている事柄の根拠は示されておらず、史実から類推しても明らかに新渡戸氏の誤認もしくは強引な論理誘導の箇所も複数箇所あります。その意味では【新渡戸・武士道論】であることを理解すべき作品です。
「海外で読まれている」という表現は「日本国内ではさほど読まれていない」ということでもあります。それは何故なのか?この作品を考える切り口のひとつであると考えています。

鎖国政策を解き、世界の荒波の中に漕ぎ出した明治の日本人が、如何にその精神の拠りどころを探り、欧米諸国と渡り合ってきたのか。現在の私たちの生き方とも重ね合わせながら読んでみたいと思います。

作者

新渡戸稲造(1862~1933)
1862年 盛岡藩(岩手県盛岡市)の奥御勘定奉行の三男として誕生。
1873年 東京外国語学校(大学予備門)に入学。
1877年 札幌農学校に第二期生として入学。
1882年 農商務省御用掛となり、11月札幌農学校予科教授。
1884年 渡米して米ジョンズ・ホプキンス大学に入学。
1887年 独ボン大学で農政、農業経済学を研究。
1889年 ジョンズ・ホプキンス大学より名誉文学士号授与。
1891年 米国人メリー・エルキントン(萬里)と結婚。
帰国し、札幌農学校教授となる。
1894年 札幌に遠友夜学校を設立。
1897年 札幌農学校を退官し、群馬県で静養中『農業本論』を出版。
1899年 英文『武士道』(BUSHIDO : The Soul of Japan)初版出版。
1900年 ヨーロッパ視察。パリ万国博覧会の審査員を務める。
1901年 台湾総督府民政部殖産局長就任。
1903年 京都帝国大学法科大学教授を兼ねる。
1906年 第一高等学校長に就任。東京帝国大学農学部教授兼任。
1916年 東京貿易殖民学校長に就任。
1917年 拓殖大学学監に就任
1918年 東京女子大学学長に就任。
1920年 国際連盟事務次長に就任。
1921年 チェコのプラハで開催された世界エスペラント大会に参加。
1926年 国際連盟事務次長を退任。貴族院議員に。
1933年 カナダ・バンフにて開催の第5回太平洋会議に出席。ビクトリア市にて客死。

作品の背景

1890(明治23)年 第一回衆議院議員選挙が実施/帝国議会が召集される
1891(明治24)年 田中正造が足尾鉱毒問題の質問書を衆議院に提出
1894(明治27)年 日露戦争 内村鑑三『代表的日本人』を発刊
1895(明治28)年 講和条約締結/三国干渉 臥薪嘗胆の世論高まる
1896(明治29)年 アテネで第一回近代オリンピックが開催
1899(明治32)年 『武士道』アメリカで発刊
1900(明治33)年 北清事変
1903(明治36)年 岡倉天心『東洋の理想』をロンドンで発刊
1904(明治37)年 日露戦争

『武士道』に感じる違和感

『代表的日本人』『東洋の理想』と並び、1900年を前後して英文で発表された明治を代表する作品です。この作品は日本人の思想を欧米に紹介したとされていますが、必ずしも論理的記述を踏んでいないため、「読む」のではなく「読まれてしまう」作品であると感じています。
今回、改めて4回繰り返して読みました。
何故そんなに読んだのか?
それは、新渡戸氏が展開しようとしている主張がすっと心に入ってこないからでした。
私が読んだ訳本の文体の問題(矢内原忠雄氏訳は現代文での表現ではない)も少なからずありますが、新渡戸氏の論理の展開に違和感を感じました。
結果的に言えば、新渡戸氏が主張している論点(詳しくは後述します)は正しくないのだと思います。
武士道の入門テキストとして読めば適切な本だと思いますが、新渡戸氏が主張するような「日本固有の道徳観念は武士道によって形成された」という歴史的事実はないのだと思います。
百歩譲って、あえて新渡戸氏の主張に沿う分析をするならば、 農耕民族から始まったとされる日本において、日本古来の自然崇拝に根ざした神道と、当初から政治に利用されてきた仏教の流れが、武家政治(なかんずく徳川封建政治)の安定を目指す目的で、民衆の思考の成長を鈍化させ、道徳的にも哲学思想的にも未成熟な民衆を作ってきた。
そのなかで、日本人の道徳観を育ててきたのが武士道である。
日本が誇るべき「義」「勇」はじめ様々な精神的理念もすべて武士道によって培われてきた。
だから、これからも武士道の精神は日本人の根底に生き続けるのだ。
ということが新渡戸氏の主張したい論点である、と言えるかも知れない。
しかし、儒教の影響についても、新渡戸氏が主張するような本源的なものではなく、執筆時点からさほど遡らない徳川末期の影響が新渡戸氏の実体験の中で強く影響していると思います。
いずれにしろ、「日本人の道徳観は武士道によって形成された」という新渡戸氏の主張には大いに疑問を感じざるを得ません。

こうした点も踏まえて、少し私の感想を書いておきたいと思います。
当日は、新渡戸氏の経歴と思想、執筆の背景等を確認しながら、3時間にわたり様々な視点から『武士道』を論じました。

『武士道』執筆の目的

岩波文庫版(矢内原忠雄訳)をベースにしたが参加者からは「読んでもなかなか前に進まない」という声が続出。格調高いのもよいが現代人には読みづらいのは事実だ。奈良本辰也氏による翻訳本が読みやすいのでこれからはこの訳本が読まれることになるのではないかと思う。
新渡戸氏が本書を執筆した直接の契機として大きく2点を挙げている。
一つは、ベルギーの法学者ラブレー氏の「宗教なし!(日本人は)どうして道徳教育を受けるのですか」という指摘。
もう一つは彼の妻からの頻繁な質問「様々な考えや習慣が日本で行き渡ったのはなぜですか」に答えようとしたものである。

新渡戸氏はその答えとして「日本人の道徳心の形成は武士道によって行なわれた」という自説を訴えるために本書を執筆したことが「序」に書かれている。

日本人の道徳観は武士道によって形成されたのか?

新渡戸氏の訴えることに妥当性があったのだろうか?
私の印象と自分なりの結論は「否」である。
たしかに「武士道」の解説書として読めば、それなりの価値はある本だと思う。そのような観点で取上げている書籍もいくつも目にした。
欧米人によく読まれた理由もそれなりに推測もできる。
・日本固有の価値観を欧米の類似、もしくは対峙する事柄と比較している。
・文章の随所に西洋の神話や文学者、哲学者の言葉をちりばめている。
・日本の出来事やよく知られている逸話を紹介しているので興味が惹かれる。など
こうした技巧が随所に施されているので、読んでいて知的欲求が充分に満足させられるのだろう。
しかし、その時代にはいなかったとはいえ、日本に住む私たちからみれば明らかに間違っている認識や、強引な論理誘導があることがわかる。少し指摘すると・・・
・第二章「武士道の淵源」の仏教、神道、儒教の認識については、新渡戸氏自身の理解不足が明白である。
・第三章「義」から第九章「忠義」までのテーマについては、新渡戸氏が主張する根拠は充分に論証されていない。
・十章「武士の教育および訓練」、十一章「克己」に至っては、苦しい言い訳といわれても致し方ない程度の論理展開である。
・十三章「刀・武士の魂」あたりからは明らかな自己矛盾が露呈している。
・十四章「婦人の教育および地位」での主張を本当に西洋人は読んでいるのだろうか?論外での字数の多さは、多弁が見苦しさを見事に物語っている。
・十五章「武士道の感化」以降になると、熱き感情の赴くままの文章となり、論理的な展開は期待できない状態に陥っている。
作品全体を通して、新渡戸氏の主張の結論は読むことができるが、その主張の根拠には個人的な感情が大きく影響していて、ほとんど論証されていないため公に論じるレベルではない、というのが私の印象である。

武士道は日本人共通の思想ではない

そもそも、武士道は士農工商という分化された身分制度のなかで、武家社会だけで行なわれた礼儀作法である。
しかも、男性中心であり、女性は殆ど考慮されない思想である。
逆説的に言えば、武士道を修めることがなかった農工商に従事していた人達や女性といった日本人の大半の人々は道徳観を持っていなかったという論理にもなりはしないか?
当時の日本人の数%にしか普及してない思想をもって、日本人の道徳観の形成の根本とするのは、元々大きな無理があるといわざるを得ない、と私は思う。

新渡戸稲造が訴えたかったものとは

そのうえで、私たちは、ただ新渡戸氏の著作を批判するだけではいけない、と感じている。
当時は、明治維新を経て日本が開国して30年余り。 海外では日本に対して様々な批判がされていて誤解も多かった。そうした時代背景の中で、新渡戸氏が国際的に活動していくためには、「このくらい強烈な表現で、日本人の印象を変えていくことが必要だったのだろう」と推察する。
また、日本の精神構造を分析したくても充分な資料があったわけでもないはず。限られた資料と新渡戸氏自身の経験から書き進めるしかなかっただろう状況を想像すれば、多少は個人の見解に偏ったとしても致し方ないと思われる。
また、新渡戸氏に限らず日本人の宗教や道徳に対する認識は、当時も今も幼稚であることを認めることも必要なのだと思う。

今一度、正視眼で歴史認識を

新渡戸氏が言うような、「武士道が日本の精神の中核を形成した」というような事実がなかったと判断するのが妥当であると私は考えている。
ただ、執筆の動機はどうあれ、新渡戸氏は、日本人の誇りを持つことの重要性、日本人が古来大切にしてきた道徳観を将来へ活かしていくことを訴えたかったのだろう。
精神的にも、当時の日本人には道徳観といえるものは充分に形成されておらず、封建制下での意図的な人民統治による悪弊が継続して存在していた時代。
そんな中で世界に飛び出していった日本の先駆者たちがいた。
勇気ある行動である一方で、思想的、哲学的な浅薄さがついて回ったとしても、それは彼らのマイナス評価には、まったくならない、と私は思う。
新渡戸氏の業績は、もう少し正視眼で、冷静に、プラス面とマイナス面を精査してもいいのではないだろうか。
現在の私たちが学ぶべき点はそこにもあるのだ、と私は言いたい。

作品の要約

第一版序
ベルギーの法学者ラブレー氏「宗教なし!どうして道徳教育を受けるのですか」
妻の頻繁な質問「様々な考えや習慣が日本で行き渡ったのはなぜですか」
私が少年時代に学んだ道徳の教えは武士道である。

第一章 道徳体系としての武士道
武士道(Chivalry)は日本の表徴たる桜花と同じく、日本の国土に固有の花である。
武士道は、今でも力と美の対象として私たちの中にあり続けている。
武士道は、道徳上の掟であり、武士はそれに従うよう教えられ、実践を求められた。
武士の掟は身分に伴う義務(ノーブレス・オブリージュ noblesse oblige)である。
武士道は、成文化されず、数十年数百年にわたる武士の生活の中で有機的に発達してきた。
封建制が主流となった時、職業としての武士<サムライ>が台頭した。
武士道は、日本における壮大な倫理体系の要の石となった。

第二章 武士道の淵源
仏教がもたらしたもの
運命に対する安らかな信頼の感覚
不可避なものへの静かな服従
危険や災難を目前にしたときの禁欲的な平静さ
生への侮蔑
死への親近感
神道がもたらしたもの
主君に対する忠誠
先祖への崇敬
親への孝心
愛国心
儒教がもたらしたもの
孔子の五倫の教え(君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友)が道徳的な教義の確認と源泉になった。
孟子の考え(人民主権的な理論)は武士道に大きな権威を及ぼした。
武士道は、知識のための知識を軽蔑した。知識は知恵を得る手段である。
王陽明の知行一致の思想は、神道の良心無謬説を極端な超越主義に発展させた。
武士道は、様々な思想から拾い集められた教訓の束の中から、時代に刺激されて、武士を新しい独特な男らしさにつくりあげた。

第三章 義
義は武士の掟中、最も厳格な教訓である。
義は勇とならぶ武道の双生児である。
義から派生したもの、義理。義理とは義務である。
正義の道理こそ、無条件で従うべき絶対命令である。
義理がわずらわしく感ぜられるとき、正義の道理が怠惰を防ぐために乗り込んでくる。
義理は人間が作り上げた社会の産物の一つ。

第四章 勇・敢為堅忍の精神
勇気は義のために行なわれてこそ徳に数えられる。
義を見てせざるは勇なきなり。勇気とは正しいことをすることである。
死に値しないことで死ぬことは犬死とされた。
大義の勇と匹夫の勇。
勇気は心の穏やかな平静さによって表わされる。

第五章 仁・惻隠の心
愛、寛容、愛情、憐憫は、人の魂の性質で最も高いものとされた。
仁は、天下を治める者に不可欠な条件である。
武断政治に陥りやすい封建制度が救われるのは仁のおかげである。
封建制度では人民の意向と君主の意思は一致し、人民主権の考えと絶対主義とは融合する。
武士道は世襲政治を受け入れ、強化した。
専制政治では人民は不本意な服従を余儀なくされるが、世襲政治は誇り高い随順と威厳を保ちうる自由な魂の高まりが生き続ける服従である。
日本人においては、君主が自由に権力を行使することは重圧に感じないばかりか、国民感情に対する父性的配慮によって穏やかに感じる。
仁は、優しく、母のような徳である。
最も剛毅なる者は最も柔和であり、愛のある者は勇敢なる者である。
武士の情けとは正義に対する適切な配慮を認めていることである。
仁の心を持っている人は、いつも苦しんでいる人、落胆している人のことを心に留めている。
か弱い者、敗れた者への仁は武士に相応しいものとして奨励された。

第六章 礼
礼とは、他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現することである。
礼は、最高の姿として愛に近づく。
長い苦難に耐え、親切で人をむやみに羨まず、自慢せず、思い上がらず、自身の利益を求めず、容易に他人に動かされず、悪事を企まない。
礼儀作法は、ある一定の結果を達成するために適切な方法を長年にわたって実践してきた結果である。
礼法の目的は精神を陶冶することにある。
礼法を通じて高い精神境地に達することができる。
礼儀は、慈愛と謙遜から生じ、他人の感情に対する優しい気持ちから行なうため、常に優美な感受性として表われる。

第七章 誠
真実性と誠意がなければ、礼は道化芝居、見世物になる。
至誠は、広々と深厚であり、未来にわたって限りない。意識的に動かすことなく相手を変化させ、自らの目的を達成する力を持っている。
嘘をつくこと、ごまかしは臆病とみなされた。
武士の言葉は重みを持っている。
嘘という日本語は、誠でないこと、本当でないことの全てを示す。
封建化の日本では商業はさほど発展しなかった。
人を泥棒と呼べば、彼は盗むだろう。
封建時代の日本の商人は仲間内で道徳律を持っていた。
産業の発達に従って、誠は実践しやすい、実益のある徳行であることが明らかになった。
商人が債務者であっても、誠意と名誉が約束手形で差し出せる確かな保証であった。

第八章 名誉
名誉には、個人の尊厳とあざやかな価値を含む。
名誉は、幼少期から教え込まれるサムライの特色である。
名(ネーム)
面目(パーソナリティ)
外聞(フェイム)
名誉は強い家族意識と結びついている。
廉恥心は人類の出発点。
名誉に対するサムライの極端な感覚の中に、香り高い徳の素地を認める。
名誉の病的な行き過ぎは、寛容と忍耐の説明で相殺できる。
名誉は、それぞれが自己の役割をまっとうに務めることにある。
名誉は、この世の最高の善として賞賛された。

第九章 忠義
忠義(=主君に対する臣従の礼と忠誠の義務)は、封建道徳を顕著に特色付けている。
忠誠心が、最も重みを帯びるのは武士道の名誉の規範においてのみである。
日本人が考える忠義は、他国ではほとんど賛同者を見出せないだろう。それは他国では忠義が忘れ去られたり、日本までには考えが進まなかったからである。
忠義の考えには、義務の命ずるところと、より高い世界から発せられる命令に対する絶対的な従順が存在する。
武士道においては、一族の利害とその個々の成員の利害は、一体不可分である。
忠誠心は、二人の主に仕えることができる。
無節操なへつらいはねい臣、奴隷のごとき追従の手段を弄する者を寵臣として軽蔑した。
サムライは自己の血をもって自分の言説の誠を示し、主君の叡智と良心に対して最後の訴えをすることはごく普通のことであった。

第十章 武士の教育および訓練
武士の訓育の第一は、品性を高めること。
武士の枠組は、智(知恵)、仁(慈悲)、勇(勇気)とされた。
宗教と神学は、僧侶と神官のものであった。
行動するサムライの知的訓練の主要部分は、儒学や文学が形成した。
知的訓練は、実践的な補助手段として追求された。
武士道の訓育の教科は、剣術、弓術、柔術、乗馬、戦略戦術、書、道徳、文学、歴史で構成された。
武士道は、損得勘定を取らない。
頭脳の訓練は、文学の解釈や道義的議論をたたかわすことでなされ、その能力は「判断と実務の処理」に用いられることを目的とした。
武士道は、無償、無報酬で行なわれる実践のみを信じた。

第十一章  克己
武士道は、不平不満を並べ立てないことを訓練した。
自己の悲しみや苦しみを外面に表わして、他人の愉快や平穏をかき乱してはならない。
サムライは、感情を顔に表わすことは男らしくない。
日本人にとって、言葉は思想を隠す技術である。
笑いは悲しみや怒りのバランスである。
克己とは、心の安らかさを保つことである。

第十二章  自殺および復仇の制度
自殺(切腹、割腹)
人間の霊魂は腹に宿る。
武士道において、名誉の問題と共にある死は、多くの複雑な問題の鍵として受入れられた。

切腹はひとつの法制度であり、儀式典礼であった。
武士が自らの罪を償い、過去を謝罪し、不名誉を免れ、朋友を救い、自らの誠実を証明する方法。
切腹は、あまり正当とは認められない犯罪にも拡大されて濫用された。
名誉にも計算がつきまとっていた。
真の名誉とは、天の命ずるところを全うするにある。そのために死ぬことは不名誉ではない。
天が与えようとするものを避けるための死は、卑劣きわまりない。
死を軽蔑することは勇気の行為である。しかし生きることが死ぬことよりいっそう困難な場合は、あえて生きることが真の勇気である。
仇討ち(復讐)
同様の制度、習慣はすべての民族で行なわれていた。
復讐には人の正義を満足させる何かがある。生来の正確な平衡感覚と平等な正義感が示されている。
仇討ちは目上の人や恩義ある人のためになされるときのみ正当とされた。
自分の損失や妻子に加えられた危害は、ひたすら耐え忍び、許すべきものとされた。
近代において切腹と仇討ちはレーゾン・デートル(存在理由)を失った。
正義が満たされれば仇討ちの必要はなくなる。

第十三章 刀・武士の魂
武士道は、刀を力と武勇の象徴とした。
刀は忠誠と名誉の象徴である。
刀匠は紙の思し召しを受ける工芸家であり、鍛治は重要な宗教的行為であった。
武士道は、刀の適切な使用を強調し、不当不正な使用を厳しく非難し忌み嫌った。
やたらと刀を振り回す者は、卑怯者か虚勢を張る者とされた。
血を見ない勝利こそ最善の勝利。
武人の究極の理想は平和である。

第十四章  婦人の教育および地位
女性は矛盾の典型と呼ばれる。
女性の心の直感的な働きは、男性の算数的理解をはるかに超えている。
女性の身体の美しさと繊細な発想は、男性の粗雑な心理的理解では説明できない。
武士道が説く理想像は、神秘性が極めて乏しく、外見的な矛盾があるにすぎない。
武士道は本来、男性のためにつくられた教えである。
武士道が女性に重んじた徳目も女性的なものからかけ離れていた。
自己自身を女性の有する弱さから解き放ち、もっと強く勇敢である男性にも負けない英雄的武勇を求めた。
武芸習得の動機は、ひとつは個人のためであり、もう一つは家のためであった。
少女達は成年に達すると「懐剣」を与えられ、彼女達を襲う者の胸と、彼女自身の胸に突きつけられた。
自害の方法を知らないのは恥とされた。
女性には、芸事やしとやかな日常生活が要求された。
稽古の究極の目的は、心を浄化することにあった。
さまざまな芸事は、常に道徳的な価値に従うべきものとされた。
家を治めることが女性教育の理念であった。
日本の女性の生涯は、ひたすら我が身を否定することのみを教えられたために、従属的な奉仕献身の一生となった。
妻たちの自己否定は、内助の功として認められた。
妻女たちは夫のために自己を棄て、夫は主君のために自己を棄て、主君は天に従うことができる。
奉仕の精神に限り、武士道は永遠の真理に基づいていた。
武士道の教え全体が、男女と問わず自己犠牲の精神に染め上げられている。
サムライ階級の女性が、最も自由を享受しなかった。
社会的身分が低いほど、夫と妻の地位は平等だった。
差異と不平等とは異なる。同性であっても平等は限られている。両性の平等の悩みは無駄である。
両性の相対的な社会的地位を比較する正確な基準は、複合的な性質でなくてはならない。
家庭における女性の価値は完全であった。
「愚妻」は愚父、豚児、拙者と同様、自己謙遜の表現である。
武士道にとって、家臣と主君の官憲こそが基本的な関係であった。

第十五章  武士道の感化
武士道の徳目は、日本人一般の道徳水準よりもはるかに抜きん出ている。
武士階級を啓発した道徳体系は、一般大衆の中から追従する者をひきつけた。
過去の日本は、サムライに道徳の全てを負っている。
サムライは民族の花であり、根源であった。
武士は道徳の規範を定め、自らその模範を示し民衆を導いた。
サムライは民族全体の美しき理想となり、その物語は津々浦々に行き渡った。
武士道は武士階級から流れ出し、大衆の間で酵母として働き、日本人全体に道徳の基準を供給した。
武士道は宗教の列に加えられるべき資格を有する道徳体系である。
サクラは日本人が古来からもっとも愛した花である。
大和魂とは、日本の風土に固有に発生した自然の所産である。
サクラは日本人の純粋無垢な心情をあらわす言葉である。
サクラの花はどの花よりも「私たち日本人」の美的感覚に訴える。
サクラは様々な理由から我が日本国民の花となっている。

第十六章  武士道はなお生くるか
武士道の特質とされるものは、どれも武士道固有の遺産ではなかった。
道徳的特性の合成対が全く独自の様相を表わすことは、真実である。
武士道がサムライに刻み付けた性格は「種族から取り除くことのできない要素」を成していないが、武士道は間違いなく活力を蓄えている。
武士道は、日本の活動精神、推進力であった。今もそうである。
武士道は、過渡期日本の指導原理であり、新しい日本を形成する力である。
日本の変貌の主要な力は、武士道である。
日本に変化をもたらした活動のバネは「劣等国とみなされることは耐えられない」という名誉心である。
国民全体に共通する折り目正しさは、武士道の遺産である。
日本人以上に忠誠で、愛国的な国民は存在しない。
日本人が深遠な哲学をもちあわせないのは、武士道の訓育に原因がある。
日本人が感じやすく、激しやすいのは、名誉観にその責任がある。
日本人が尊大なまでに自負心をもっているのも、名誉心の病的な行き過ぎによるものである。
忠君愛国の権化のような書生の姿は、武士道の残滓である。
武士道の影響は今なお深く根づき、強力であり、無言で日本人を感化し続けている。
日本人は、その理由が明らかでなくとも、父祖から継承した観念には感応する。
日本におけるキリスト教伝道が成果をあげていないのは、日本の歴史に無知だからである。

第十七章  武士道の将来
武士道の運命は、騎士道の運命をあとづける。
武士道は、知性と文化を備えた権力を独占した人々によって組織された特権集団の精神であり、道徳的な諸々の性質の等級と価値を定めていた。
武士道は、姿を消す運命にある。
人間の闘争本能は人間性の全てではなく、愛するという本能が闘争本能の下にある。
武士道にとって、名誉ある葬送の準備を始めるときがきた。
もっとも進んだ日本人の表皮をはげば、そこにサムライがいる。
現在の我々の使命は、この遺産を守り、古来の精神を損なわないことである。
未来の我々の使命は、この遺産を人生の全ての行動と諸関係に応用していくことである。
不死鳥は自らの灰の中からのみ再生する。
美と光の、力と慰めの源泉は、いまだ武士道の代わりとなるものは発見されていない。
個人主義が道徳の要素として勢力を増すに従い、キリスト教の道徳は実際的に応用されるだろう。
キリスト教と唯物論は世界を二分し、小さい道徳体系はどちらかに組み込まれる。
守るべき教義や公式をもたない武士道は、まったく消えてしまうだろう。
武士道の制度は滅んでも、徳目は今なお生きている。
武士道は、独立した道徳の掟としては消滅するかもしれないが、その力はこの地上から消え去ることはない。

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