桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第14回】

『青い鳥』(メーテルリンク)

開催日時 2006年5月27日(土)14:00~17:00
会場 カフェドジャパン和楽(わらく) 東京都北区田端新町3-29-12 ※JR田端駅から徒歩8分

開催。諸々コメント。

皆さんはこの本を読んだことがありますか?比較的「小さな子供の時に読んだことがあるかなぁ」という人が多いのではないかと思います。
ではこの物語のあらすじは?と聞かれたら...
チルチルとミチルの兄妹が妖精のおばあさんに頼まれて「青い鳥」を探しに旅に出て、様々な国を探し訪ねても青い鳥は見つからず、自宅に帰ってきたら自分たちの飼っていた小鳥が青い鳥だった...。
おおむねこのようなストーリーだと答えることができると思います。 でもそのストーリーの中で、青い鳥を見つけることができた時には同行した動物達は死んでしまうことが書かれていることをご存知でしょうか?同行した動物やモノたちが会話するシーンを少しご紹介します。
ネコ この旅が終わる時がとりもなおさず我々の命の尽きる時だということです(中略)我々の子孫はどうなるかということについても考えねばなりません。 パン ひや、ひや、ネコの言うとおりだ。 ネコ (中略)動物でも物でも元素でもすべて人間の知らない魂を持っているのです(中略)人間が青い鳥を見つけ出したら人間はすべてを知りすべてを見るでしょう。そうなったら我々は完全に人間の支配下に置かれることになります。そのことは、私、この世の秘密の監視人を兼ねている友達の「夜」から教わったばかりなんです。それですから、あらゆる手だてを尽くして青い鳥を見つけられないようにすることが我々の利益なんです。

こうした会話が随所に織り込まれているのです。 メーテルリンクの真意はどこにあるのでしょうか...。

当日の様子など

『青い鳥』に託されているであろうメーテルリンクの思いを探るには彼自身の思考過程、特に「生死観」をある程度理解することが必要になる。それはメーテルリンクの作品が「比喩的」「暗示的」「直感的」「神秘的」と評される所以であろう。 メーテルリンク自身も彼自身の生死観を「宇宙観」という表現で重要視するべきことを別の著作で述べている。
今回参考にした著作は
『限りなき幸福へ』
『貧者の宝』
『死後の存続』(原文題名「死」)
いずれも山崎剛訳である。
特に生死観を直裁的に述べているのは『死後の存続』である。この著作の中で、人は死に対して不当な認識を形成しており恐怖のために思考停止状態に入り込んでいることを指摘。宗教(主にキリスト教信仰)的妄信と交霊術に代表される霊魂信仰を検証することで「宇宙意識」の存在に言及している。
もちろんメーテルリンク流は貫かれており、自身の結論は書かれていない。しかし「たえず自身の内に向かいながら、自己を意識し、それによって自己を画定しつつ、他の存在から分離し続ける無限なるものの営みは理解できないとはいえ、だからと言ってそれが不可能だと宣言できるわけでもない」との絶妙の表現から類推されるように、メーテルリンクの関心は死後の宇宙意識と自我意識、そしてそれが無限なる存在か否かに向かっていることはほぼ間違いがないだろう。
その観点で再び『青い鳥』を読んでみる。 するとチルチルとミチルがたどる国や場面の順序やその意味、登場人物の役割やその発言に託されたメーテルリンクの考えが透けて見え始めるように感じる。
この作品が童話として広く読まれてきたことにも深い意味があるように思えてならなかった。

「生死」をめぐるテーマ

ほとんどの方が幼少の頃に一度は読んだり聞いたことがある作品でしょう。文庫本でも出ていて読みやすい短編だと思います。取り上げた理由も短くて読みやすいだろうというのが主でしたが(^_^;)実際にはとても重要なテーマを取り扱っています。
6幕12場で構成される戯曲『青い鳥』は1908年に発表されています。その3年後にあたる1911年にメーテルリンクはノーベル文学賞を受賞していますので、当時すでに『青い鳥』の評価も高かったと推察されます。
『青い鳥』に象徴されるように「生死」はメーテルリンクにとって人生最大のテーマだったようです。今回参考文献として読んだ『死後の存続』(原文題名『死』)がカトリック教禁書となったことはよく知られている事実ですが、この著作は禁書にされるような内容ではなく非常に真摯に死についての考察が行なわれています。あえて禁書になった理由を探せば、キリスト教徒を含めた宗教者を引き合いに出して既存の信仰が死の恐怖には何の役にも立たないと述べている点か、交霊術の真贋を記述している点か、もしくは宇宙意識の存在を論じている点でしょうか。 しかしいずれも決して的外れな指摘でありませんので、禁書にしたことでキリスト教自体がその限界を露呈していると言えるでしょう。
死後の生命はどうなるのか?メーテルリンクの提示したテーマを考えるには様々な生命論を検証していくことが必要です。
中でも生命論を体系的に著わしていると評価されているのが「法華経」です。「法華経」はインドの釈尊が生涯の集大成として語った説法を、彼の死後に弟子達がまとめた、実践的生命哲学と呼ばれる一書です。
今回は特に死後の生命と宇宙生命との関係について述べている「如来寿量品第十六」の解説を中心に、「断見」と「常見」の論理的破折などを通して、メーテルリンクの突き詰めようとした死後の存続について語り合いました。 生命をテーマに語り合った経験のない参加者もいましたが、生死や臨終を真摯に考えることが生きていく目的の重要性を認識する大切な要素であることを参加者の一人一人が思い至ったように感じました。

話題に出たテーマ等々。

メーテルリンクの生涯
青い鳥に託した思い
旅をする国々
登場人物たちの役割と意味
全編を通したテーマは何か
メーテルリンクの生死観
臨死体験の真偽とその意味は何か
要素還元主義の限界
生命哲学における「断見」と「常見」の破折の叡智
死後の生命の経過と生を受ける状況の推論
「生も歓喜、死も歓喜」の論理的根拠は何か

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