桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第17回】

『ロビンソン・クルーソー』(ダニエル・デフォー)

開催日時 2006年8月19日(土)14:00~17:00
会場 練馬公民館  東京都練馬区豊玉北6-8-1 ※西武池袋線&都営地下鉄大江戸線・練馬駅から徒歩10分

開催。諸々コメント。

今月(8月)は『ロビンソン・クルーソー』を取り上げます。
ちょうど子供達は夏休みを迎えています。仕事をしている方にとっても夏季休暇をとれる時期です。 この本を夏休みの読書感想文で取り上げる子供もいるのではないかと思います。
私も初めて読んだときは、気持ちが躍るような興奮を覚えました。
無人島に流された主人公が状況に流されることなく限られた条件の中で智慧豊かにたくましく生活を送っていきます。 その姿は孤独な無人島の生活であることを忘れてしまいそうなくらい。優雅で楽しささえ感じてしまいます。
また別の角度から見ればロビンソンの生き方は当時のヨーロッパでの時代背景を色濃く映し出しています。 ダニエル・デフォーの意図したものはそこにもあることが汲み取ることができます。
この夏に是非読んでみたい一冊として取り上げました。

作品の背景

大航海時代
15世紀中ころから17世紀中ころまで続いたヨーロッパ人によるインド・アジア大陸・アメリカ大陸などへの海外進出をいう。主に西南ヨーロッパ人によって開始された。
産業革命
18世紀半ばからはじまった産業構造の変化。
資本主義社会、工業化社会のはじまり。
宗教革命
1517年以降マルティン・ルター等によりはじまったカトリック教会の改革を求めた運動。
1642年イングランド・スコットランド・アイルランドで清教徒革命が起こる。

物語のあらすじ

第一部 ロビンソン・クルーソーの生涯と冒険

ロビンソン・クルーソーは、ヨーク市の商人の三男として1632年に生まれる。
早くから放浪癖があり、両親の意志とぶつかる。父親は現在の中位の身分がいかに幸福な人生を保証するものであるかを諄々と説くが、息子は無視して家を出る。
最初は船乗りになって嵐に遭遇したり、海賊に捕われの身になるが、モロッコの港町サレでムーア人(アフリカ北西部のイスラム教徒)の奴隷となった彼は、少年ジューリーを連れて船で脱出し、後にブラジルで農園経営に成功する。
さらにアフリカに奴隷を求めに行く途中、船が難破して、絶海の無人島にクルーソーただひとり流されて生き残る。27歳の時1659年であった。
持ち物といえば、ナイフ、パイプ、タバコだけだったが、その後沖合に座礁している船から運よく、次々と必要な物資を運び出してくる。
クルーソーはこの「絶望の島」で神としばしば対話し、聖書を読み、日記をつけ、犬、猫、オウムを飼うことでかろうじて不安と絶望の気持ちを和らげていく。
熱病にも罹るが、奇跡的に回復する。その間、創意工夫の才と勤勉さを発揮して堅固な住居や貯蔵庫を築き、狩りをして食糧を確保し、穀物を栽培し、野生の山羊を飼い馴らしていくといった原始的生活を営々と続けていくようになる。
15年たった頃、クルーソーはある日、浜辺に人の足跡を見て驚愕する。あれほど孤独を嘆いていたのにもかかわらず、この時クルーソーの心は恐怖で動揺してしまう。
それから10年後、「蛮人」たちが何人かの捕虜を連れてこの島に姿を現わす。クルーソーは彼らを銃などで追い払い、捕虜の1人を助けて、フライディ(Friday)と命名。以後フライディはクルーソーの忠実な従僕となる。
再び「蛮人」が上陸して来た時、2人は協力して敵を倒し、フライディの父親とスペイン人を救出する。
クルーソーはこの2人を、別の島に捕われている白人たちの救出に派遣する一方、乗組員の反乱にあってこの島に連行されてきたイギリス人の船長らを救い、とり戻した船で1687年に故国に帰る。
漂着してからここを脱出するまで、実に28年2カ月19日の歳月がたっていた。
以前のブラジルの農園は無事に管理されていることがわかり、裕福な老後の生活が保証される。
やがてクルーソーは家庭を持ったものの、妻の死後、再度放浪癖が頭をもたげ、あの孤島に戻って新たな冒険を始めることになる。

物語の感想

ロビンソン・クルーソーの物語はデフォーの思想を顕著に反映しています。それはデフォー自身が自分の考えを世に問うためにこの物語を著わしたことを明言していることからも明らかです。
時代背景は大きく「大航海時代から産業革命」「宗教革命」の側面から見ていくことが必要でしょう。
物語としての大きな流れは
・経済的生活を組み上げていくロビンソン・クルーソー
・信仰人としてのロビンソン・クルーソー
の2つのストーリーが絡み合いながら構成されています。
一般的には1つ目の視点が取り上げられることが多いわけですが、当時のデフォーの言動や物語の全体像をみていくと2点目の信仰のあり方が最重要テーマとしているように感じられます。
当時もイギリスはキリスト教社会ですが、国教会を中心とした信仰のあり方に対して聖書を根本とする信仰のあり方を問うプロテスタンティズムが台頭していた時代でした。
イギリスでは1642年にピューリタン革命も起きており、デフォーは父の時代からピューリタン(プロテスタント)の信仰を行なっています。

『ロビンソン・クルーソー』では「運命」という考えが随所に現れています。そこに描かれているのはキリスト教の説く運命論です。
一言で言えば運命を決定づけるのは神であり、人は始めから決定している運命の中で穏やかにまじめに生きることがその使命であるとして、気が狂いそうになる状況も諦感によって避けて通り、孤島での生活をことなく終えることに成功します。

しかし果たして人生とは本来規定されているものなのでしょうか?
私はそうは思いません。もし規定されているものであれば「より努力しよう」「もっと境涯を大きく、未来の子供達のために努力しよう」等々の思いをすべての人が持つことはありえなくなります。
キリスト教的発想で言えばそうした思いも持つべき人は事前に決められているということになります。
世界の歴史が証明するように、キリスト教徒は他宗教徒と戦争を繰り返してきたばかりか教派が違うキリスト教徒同士が戦争を続けてきました。先に述べた思想(選民思想)が根底にあることが争いの元凶といえるでしょう。

『ロビンソン・クルーソー』は小学生の課題図書にも取り上げられる作品ですが、多くの日本での翻訳本では信仰者としてのロビンソン・クルーソーが描かれていません。宗教不在の現在日本の象徴とも感じました。

話題に出たテーマ等々。

・ロビンソンを襲った運命の出来事
・ロビンソンの行動に見る社会学的人間類型
・ロビンソンを規定づけた行動規範
・プロテスタンティズムと資本主義の精神
・俗に言う「懲りない性格」のロビンソンの意味とは
・ロビンソンを襲った精神的ダメージ
・あきらめることと克服することの違い
・キリスト教思想の根源とその限界 他

作者

ダニエル・デフォー(Daniel Defoe 1660年~1731年4月21日) 本名はダニエル・フォー(Daniel Foe)。ロンドンでジェームズ・フォー(非国教会派で獣脂蝋燭製造業者)の息子として誕生。
靴下屋、兵士、ワイン商人、工場所有者、破産、スパイ、パンフレット発行、受刑者、ジャーナリスト、編集者、政治屋、小説家と職を転じた。
後に貴族的な響きを持つ"De"を名前につけ、ダニエル・デフォーをペンネームとした。これはフォー(foe)には「敵・反対者・障害」の負の意味があったのを嫌ったためだとされる。
ダニエル・デフォーのペンネームに落ち着くまで、ダン・フォーやダン・デ・フォーなどペンネームを変えた。
有名なパンフレット作者、ジャーナリストとなり、英語での小説が書かれ始めた時期に作品を発表し小説家の先駆者の一人となった。
2度の投獄経験を持つ。ハイ・チャーチ(英国国教会の一派)とトーリー党が非国教徒の絶滅を主張していたのを痛烈に皮肉ったパンフレット『The Shortest Way with Dissenters』の作成及び政治的活動により逮捕、1703年さらし台にあげられた。
1704年『フランスおよび全ヨーロッパの事情レビュー』Review of the Affairs of France and of all Europe を発行。イギリス初の真剣な政治経済新聞の一つ(1713年廃刊)。後にいくつかの新聞で編集者を務める。
貿易者の彼は複数の政治社会論説を発行し、ブルジョワ資本主義時代の夜明けを称揚した。
イギリスの都市や地方部の経済、政治、社会状況に関する詳細な三巻本(1724-7) を執筆したが、その名声は後日ジャーナリストとしての独立性を政治的な便宜のために犠牲にしたことで失墜した。

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