桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第28回】

『世論(よろん)』(ウォルター・リップマン)

開催日時 2007年7月21日(土) 14:00~17:00
会場 貫井地区区民館・会議室4(区民センター2F)西武池袋線中村橋駅・徒歩5分

開催。諸々コメント。

W.リップマンは20世紀を代表するジャーナリスト。本書に象徴されるように、彼の思索はジャーナリズムにとどまらず、20世紀の現代思想を見極めようとした政治学者であり、思想哲学者でもあった。

本書は1922年に『Public opinion』の原題で発表された。執筆の直接動機は、第一次世界大戦が起こした社会的混乱の原因追究にあったことは有名である。
W.リップマンは、その原因を表皮的に評論するのではなく、人間と環境の関係に着目し大衆心理の深層を解き明かそうとした努力は大いなる賞賛に値する。
そうであるがゆえに、85年の歳月を経た今でも色あせることがないのだろう。
タイトルばかりが目を引くビジネス書や週刊誌で書店が埋め尽くされている現代日本の軽薄さが際立ってしまうように感じられるのは私だけではないと思う。 現在を生きる私たちにとっても、様々な契機となる一書ではないだろうか。

作品の時代背景

1914年7月 第一次世界大戦勃発
1917年4月 アメリカ参戦
1918年1月 ウィルソン米大統領「14ケ条の平和原則」(秘密外交の禁止・海洋の自由・軍備縮小・植民地問題の公平な解決・民族自決・国際平和機関の設立など)を発表
1918年11月 第一次世界大戦終結
1919年6月 ヴェルサイユ条約調印
1920年1月 国際連盟発足
1920年3月 アメリカ・国際連盟不参加を決定
1922年   『世論』発表

作者プロフィール

20世紀を代表するアメリカ合衆国のジャーナリスト、コラムニスト、政治評論家。
ドイツから移住してきたユダヤ移民の二世。ハーバード大学新時代を代表する一人であり、自由選択制1期生ともいうべき存在で最優秀賞で卒業した。卒業前にリンカン・ステファンズと出会い、卒業と共に『ニュー・リパブリック』の創刊に携わりジャーナリズムの世界に入る。第一次世界大戦中、情報将校としてフランスに渡り、ドイツ軍に向けた宣伝ビラを自ら書いた。和平準備の専門委員会の中心人物としてウッドロウ・ウィルソン大統領のアドバイザを務める。「14ケ条の平和原則」の原案作成に携わり、そのうち8ケ条をリップマンが起草した。
戦時中とベルサイユ条約の経験が問題意識の発端になり1922年に『世論』を刊行。民主党系の『ニューヨーク・ワールド』で論説委員として活躍した後、廃刊に伴って共和党系の『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』のコラムニストの道を選択する。1931年9月8日、彼の思想を代表するコラム『Today and Tomorrow』が登場した。マッカーシズムとベトナム戦争に異論を唱え続け、ジョンソン政権への鋭い批判を行い「リップマン戦争」と呼ばれる激しい論争を起こした。
1967年5月5日の掲載を最後に『Today and Tomorrow』は終了するが、生涯死の直前までジャーナリストの活動を貫いた。

作品の感想

本書を執筆したリップマンの動機は戦争中に自身が情報戦に関わったことに加えてベルサイユ条約における戦勝国(連合国)の傲慢な態度と行動にあったと言われている。さらに『世論』というタイトルにこめられたのは、こうした戦争と戦後処理を止めることがなかった世論に向けられていたのだと思われる。

根本的に論じられることもないままに、わかっていると思い込んでいるものの代表の1つが世論だ。わかってもいないのに「世論を代表している」と豪語する政治家のなんと多いことだろうか。
そして、いとも簡単に操作されてきたのが世論でもある。
リップマンが指摘する戦争突入時における一般大衆の思考がそうであったし、戦争中や戦後においてもそうであった。 日本に目を向けてもまったく同様の事実が反省もなく積上げられてきた。明治維新しかり、日清戦争、日露戦争、第一次大戦、第二次大戦もそうだ。

そして現代においてもその構図は何も修正されることはない。
リップマンの視点からみれば、今月(7月)29日に行なわれる参議院選挙の争点などは明らかに情報操作によって歪められた世論が形成されていると嘆くことだろう。
しかし大多数の有権者は、意図を持って仕掛けられたことに気づかない。論理的矛盾を列挙して、眺めることができる人ならば、ある特定の意図がなければこのような世論が大勢を占めることはありえないことに気づくだろう。
逆説的に言えば、仕掛ける邪悪な人間にとっては、未熟な国民だからこそ世論が意図的に簡単に形成できるといえる。日本人の精神的未熟さがこんなところにも悪影響を及ぼしている。

一度動き始めた世論を修正することがこれほどに困難なことなのか。
私たちは未来のために、今回の経験を絶対に忘れてはならない。

世論は未来のものであるとリップマンは訴えている。
批判者や擁護者、報告者はすべて過去のものであると断言している。
私たちは過去の人になる必要はない。
自他共の幸福こそが真の意味での自分達の利益であるはずだ。
未来のために世論を創出させる責任が、私達には、ある。

話題に出たテーマ等々。

実に内容の濃い本。多くの示唆を含み、現実の課題についてのリップマン氏の見解が明確に述べられている。
ただ参加者の中には読解が困難と感じたメンバーもいたとのこと。正確な表現に努めるリップマン氏の文章は制約条件や例外を記述しているケースが多く、必然的に長くなる傾向があるからだと思う。それにもかかわらず、掛川トミ子さんの日本語訳は的確で、1つのセンテンスを2つに分けるなど、読み手の気持ちに立った名訳であるという評価も高い。 読者の一人として感謝申し上げます。
以下、私が感じたなかから少しだけ記述したい。

作品の冒頭にプラトンの『国家』から引用した文章が書かれている。
人間達が地下の洞窟に住んでいる。
首と足を鎖でつながれて前しか見ることができない。もちろん動くこともできない。
背後の高い位置に燃える火があり、その間に道と低い壁があり、その上で器や人形や動物の像を動かしている。前しか見えない人間達は自分達を含めた影しか見ることができない。 そんな彼らが呼んでいる物事の名前は影そのものだと思い込んではいないだろうか。
概要、そんな文章だ。

リップマンが論じようとしている世論はまさに、人は物事そのものを見るのではなく、映しだされた影を見ているようなものだという暗示なのだろうか。この点に注目すると『世論』をより正確な理解に近づけながら読むことができるように思う。 第一章では「外界と頭の中で描く世界」と題して、自分が認識するまわりの出来事(環境)は、様々なフィルターを通して認識されることを論じる。リップマンは、このように頭の中で描かれるイメージ(環境)を擬似環境と呼ぶ。 そして、行為の現場(実際の環境)、人間が思い描くイメージ(擬似環境)、自分自身の行為の三者関係を図式化する。つまり、人は擬似環境に影響されて行為に及ぶが、その行為の結果は擬似環境でなく実際の環境に影響を与えるということだ。
ここに同じものを見て、同じことを聞いても、180度異なる意見を持ち行動をする人間の特質が生まれる要因がある。そして多くの人達はより快適に生きたいがために、できる限り同様の擬似環境を手に入れることを欲する生命傾向を有しているとは言えないだろうか。 そしてこうして形成される複数の人間達の擬似環境こそが、世論と呼んでよいものだと私は感じた。
そしてその思考プロセスをよりわかりやすく展開するために「ステレオタイプ」の概念を提示する。あえて指摘するがステレオタイプそのものは悪ではない。またステレオタイプを全く持たない状態で、日常起こっている多くの物事を認識することは相当困難である。 それぞれのステレオタイプが形成された経緯や目的、そしてその限界を知って用いていく智慧が必要不可欠だということだろう。
この作品には示唆に富んだ文章が次々に並んでいる。
一例を指摘すると、リップマンはこの世代を代表する社会主義の論客であった経験もあり、マルクス主義者や社会主義者の論理的欠陥を世論の観点から端的に指摘をしている。世論は人間性と擬似環境によって生まれる複合物であるとし、環境を整備すればよりよき生き方ができるとしている社会主義、共産主義を一言で切り捨てている。 実に鮮やかだ。
原始的なデモクラシーも同様の視点で批判している。政治家と一般大衆との関係性を述べた箇所は、現在の自民党と民主党の政治手法を髣髴とさせるものだ。その意味では、本人たちが日本の主流だと主張している自民党も民主党も原始的な政治理念しか持っていないということだろう。 詳細は第四部(さまざまな関心)、第五部(共通意志の形成)や第六部(民主主義のイメージ)をお読みいただきたいが、85年も前に切り捨てられた幼稚な政治家に惑わされている私達日本人は、人類規模の政治活動ができないことを大いに反省をし、恥じるべきである。
時は折りしも参議院選挙直前。
TV番組の主張を中心とした党首論争や、結果として見えるだけの政策論争をあおる新聞報道を読んでいたって物事の本質は見えてこない。大切なのは、擬似環境と共に世論を形成するもうひとつの要素である「人間性」を追求することだ。 ここに思いが至れば、より真実に近づくことができる。

人間は誰もが自分達の利益を追求する生き物だ。
それをどのように追及するべきか。これもリップマンのテーマのひとつであった。
私はそれを「自他共の幸福をめざす生命尊厳の哲学」に求めたい。
それを実現するために少しでも近い人たちは誰なのか。
答えは、哲学への先入観という不完全なステレオタイプを打破することができれば、おのずと出されると思うのだが。
一度動き始めた世論を修正することがこれほどに困難なことなのか。
私たちは未来のために、今回の経験を絶対に忘れてはならない。

世論は未来のものであるとリップマンは訴えている。
そして、批判者や擁護者、報告者はすべて過去のものであると断言している。
私たちは過去の人になる必要はない。
自他共の幸福こそが真の意味での自分達の利益であるはずだ。
未来のために世論を創出させる責任が、私達には、ある。

作品を読み解くキーワードとリップマンの考えの柱

■第一部:世論を形成する主な概念の定義
・頭の中で描くイメージ (=擬似環境)
・擬似事実
・人の環境適応
・虚構
・単純なモデル
・行為の現場・人間が思い描くイメージ・イメージに対する人間の反応 三者の関係
・ステレオタイプ
・ニュースと真実
・理性

■第二部:人は擬似環境を通してものを認識する
人々が外界と交渉を持つとき、頭の中のイメージがなぜしばしば人々を誤らせることになるのか。

■第三部:ステレオタイプの功罪
少ない外界からのメッセージが、これまでに蓄積された数々のイメージ、先入観、偏見によって、いかに左右されるか。

■第四部:ステレオタイプは常に変化する
ステレオタイプに組み込まれて外界から送り込まれたメッセージが、個々の人間の内部で、彼自身の関心にどのように同一化されるのか。

■第五部:世論が形成されるプロセス
様々な意見がどのようにして世論と呼ばれるものになるのか、どのようにして形成されるのか。

■第六部:民主主義(デモクラシー)はどうあるべきか
原初的なデモクラシーは、人々の頭にある心像がひとりでに外の世界と一致しないがために生じる問題とかつて真剣に取り組んだことがなかった。
社会主義思想家からの批判に対する検討として、イギリスのギルド社会主義者による批判は、世論の抱えている重大な問題点を視野に入れているか。
決定を下すべき人々に見えない諸事実をはっきり認識させることのできる独立した専門組織がなければ、代議制に基づく統治形態がうまく機能することは不可能である。
見えない事実を代表するものによって、見えない人達を代表する人達が補完されなければならないという原則を真摯に受け入れなければならない。そのことによってのみ、権力・組織の分散も可能であり、我々一人一人があらゆる公共の事柄について有効な意見を持っていなければならないという、できるはずもないフィクションから脱出することができる。

■第七部:マスメディアのありかたとは
報道界の問題が混乱しているのは、その批判者も擁護者も、新聞がこうしたフィクションを実現し、民主主義理論の中で予見されなかったもの全ての埋め合わせをすることを期待しているからである。
読者も、自身は費用も面倒も負担しないで、この奇跡が成し遂げられることを期待している。
民主主義者たちは、新聞こそ自分達の傷を治療する万能薬だと思っている。
新聞は世論を形成する手段として不完全であり、その事実を強調すらしている。
もし世論が正常に機能すべきだとするならば、新聞は世論によって作られなければならない。その組織化こそが政治学の当面の課題である。

■第八部:未来を予測するのが世論の使命
擁護者、批判者、報告者は決定がなされたあとで説明する者である。政治学は、実際の決定に先立って、明確に系統だった説明をするものとして正しい地位を得ている。
政治学自らが豊かになるとともに、公衆に奉仕する機会である。

作品の章立て

第一部 序
 第一章 外界と頭の中で描く世界
第二部 外界への接近
 第二章 検閲とプライヴァシー
 第三章 接触と機会
 第四章 時間と注意力
 第五章 スピード、言葉、明確さ
第三部 ステレオタイプ
 第六章 ステレオタイプ
 第七章 防御手段としてのステレオタイプ
 第八章 盲点とその効用
 第九章 規範とその敵
 第十章 ステレオタイプの検出
第四部 さまざまの関心
 第十一章 利害関心の参入
 第十二章 利己主義を見直す
 第五部 共通意志の形成
 第十三章 利害関心の移行
 第十四章 「イエス」か「ノー」か
 第十五章 指導者たちと一般大衆
第六部 民主主義のイメージ
 第十六章 自己中心的人間
 第十七章 充足したコミュニティ
 第十八章 力、任命権、特権の役割
 第十九章 装いを改めた古いイメージ―ギルド社会主義
 第二十章 新しいイメージ
第七部 新聞
 第二十一章 一般消費者
 第二十二章 定期購読者
 第二十三章 ニュースの本質
 第二十四章 ニュース、真実、そして結論
第八部 情報の組織化
 第二十五章 打ちこまれるくさび
 第二十六章 情報活動
 第二十七章 一般の人たちに訴える
 第二十八章 理性に訴える

参考文献

『幻の公衆』(W.リップマン)

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