桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第67回】

『アルケミスト-夢を旅した少年-』(パウロ・コエーリョ)

開催日時 2010年10月30日(土) 14:00~17:00
会場 西武池袋線大泉学園駅・徒歩3分 勤労福祉会館 和室(小)

開催。諸々コメント。

今回はブラジルの作家パウロ・コエーリョの作品を取り上げます。 桂冠塾でのラテンアメリカ文学作品は『百年の孤独』に続く2作品目です。

「でも、僕は彼らが住む町の城を見たいんです」
そう言って、今住んでいる場所での生活が一番だという父親を説得して羊飼いになった少年サンチャゴ。
羊飼いの仕事や移動生活、書物から多くのことを学びながら2年を過ごし恋心を抱いた娘に会う4日前のこと。2度見た夢の意味を知ろうとして会った占い師とセイラムの王からエジプトのピラミッドのそばに宝物があり彼のことを待っているという予言を受ける。
サンチャゴは前兆を信じて、アンダルシアの平原を離れてエジプトのピラミッドに向けて船に乗る。

60頭の羊を持っていたサンチャゴは6頭をセイラムの王に渡し、残りの羊を売ったお金を持っていたがアフリカに着いてすぐに出会った男に盗まれてしまう。絶望の淵に立たされるサンチェゴだったが、その時セイラムの王が言った言葉を思い出す。
「おまえが何か望めば、宇宙のすべてが協力して、それを実現するように助けてくれるよ」
彼は自分が新しい場所を知りたいと願っていたことを思い出し、どの羊飼いよりも遠くまで旅していることを発見する。そして自分が惨めな犠牲者なのか宝物を探し求める冒険家と考えるか、どちらかを選ぶ選択に迫られていることに気づく。

「自分は宝物を探している冒険家なんだ」と。

題号のアルケミストとは錬金術師のこと。作品の中では「前兆」と共に重要なキーワードになっていきます。そして「心」「大いなる魂」と矢継ぎ早にテーマを提示しながら物語の舞台が展開していきます。
サンチェゴが探し求めた宝物とは何だったのか。
それはどこにあったのだろうか。
サンチェゴはそれにたどり着くのか。
そしてどのようにその道を進み、岐路に立ったときにどのように判断し行動したのだろうか。

1988年の出版から1992年10月までにブラジル国内で300万部以上を売上げ、ブラジル大統領から市井の若者までが読んだという本書をじっくりと読み進めてみたいと思います。

作者

パウロ・コエーリョ(Paulo Coelho、1947年8月24日 - )
ブラジルの作詞家、小説家。ブラジル文学アカデミー会員。
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ生まれ。大学の法学部に進学するが1970年突然学業を放棄して世界への旅に出る。メキシコ、ペルー、ボリビア、チリを経てヨーロッパ諸国、北アフリカを旅する。
2年後、ブラジルに帰国して、流行歌の作詞家になり、人気歌手ラウル・セイシャスに詞を提供して大ヒットする。
1974年ブラジルの軍事独裁政権に対する反政府活動に関与との嫌疑を受け、短期間投獄され、出獄後はレコード制作に従事し、1979年再び仕事を放棄して世界を巡る旅に出る。
1987年、ピレネー山脈を越えてスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに至る720kmの巡礼の道を踏破した体験から生まれた『星の巡礼』(O Diário de um Mago)を執筆刊行し、作家デビュー。読んだ人の口コミで4ケ月後の1987年末にはベストセラーになった。
翌1988年に第2作『アルケミスト - 夢を旅した少年』(O Alquimista)を出版。その年だけで20万冊を超える大ヒットになり、年間ベストセラー上位を彼の作品が独占した。本書は38ヵ国の言語に翻訳され、以降の著作は世界中の国々から様々な文学賞を受賞している。
現在、妻のクリスティナと共にリオ・デ・ジャネイロに在住。仕事で頻繁にアメリカを往復している。母国語ポルトガル語のほかスペイン語と英語に堪能である。

作品のあらすじ

「でも、僕は彼らが住む町の城を見たいんです」
そう言って、今住んでいる場所での生活が一番だという父親を説得して羊飼いになった少年サンチャゴ。
羊飼いの仕事や移動生活、書物から多くのことを学びながら2年を過ごし、恋心を抱いた娘に会う4日前から物語は始まります。サンチャゴは羊の群れを連れて見捨てられた教会に着きます。教会の屋根は朽ち落ちて祭壇だった場所に一本の大きないちじくの木が生えている...そんな場面です。

少女の住む町に向かう前に寄った町で、サンチャゴは2度見た夢の意味を知ろうと思う。占い師とセイラムの王からエジプトのピラミッドのそばに宝物があり彼のことを待っているという予言を聞く。
東風に吹かれ、セイラム王の話を聞いたサンチャゴは前兆を信じて、アンダルシアの平原を離れてエジプトのピラミッドに向けて船に乗ることを決意する。

60頭の羊を持っていたサンチャゴは占い師と同じことしか言わなかったセイラムの王に予言のお礼として6頭の羊を渡し、残り54頭の羊を売ったお金を持ってアフリカ・タンジェの町に到着する。しかし着いて最初に出会った男に全てのお金を盗まれてしまう。絶望の淵に立たされるサンチェゴだったが、その時セイラムの王が言った言葉を思い出す。
「おまえが何か望めば、宇宙のすべてが協力して、それを実現するように助けてくれるよ」
彼は自分が新しい場所を知りたいと願っていたことを思い出し、どの羊飼いよりも遠くまで旅していることを発見する。そして自分が惨めな犠牲者なのか宝物を探し求める冒険家と考えるか、どちらかを選ぶ選択に迫られていることに気づく。
サンチェゴは言った。
「自分は宝物を探している冒険家なんだ」と。

クリスタルガラスの店で働き始めたサンチャゴは、自らの智恵と工夫で店の売上を飛躍的に拡大させる。1年後、羊を買うために十分なお金ができたサンチェゴは店を後にする。しかし前兆を信じた彼は帰国せずにエジプト行きのキャラバンに従った。一行に加わったイギリス人が求める錬金術師を共に探す中で少女ファティマと出会う。
部族間の抗争によってオアシスに滞留していたある日、タカの様子に軍隊が攻めてくるヴィジョンを見たサンチャゴは族長に進言する。彼の言葉を信じたオアシスの民は、攻め込んできた軍隊を撃退する。

族長はサンチャゴに金50個を与え、オアシスの相談役になってくれるよう依頼する。
しかしサンチャゴは栄誉を捨てて、錬金術師に従ってピラミッドをめざす道を選んだ。
予想していた通りだが戦闘を続ける一方の部族に捕らわれてしまう。錬金術師はサンチェゴに相談しないまま彼の持っていたお金を部族の男に与え、「自然と世界を理解しているこの少年(サンチェゴ)はすごい力をみせる」と言い放った。
力を見せなければ殺される。3日間の猶予を与えられたサンチェゴに対して「恐怖に負けてはいけない」「夢の実現を不可能にするのは失敗するのではないかという恐れだ」と語る錬金術師。
サンチェゴは自分を「風」に変えると宣言する。砂漠と対話し、風と対話し、風になる方法を尋ねるが答えは見つからず天に聞こうとする。天と最も近い太陽と対話するが、太陽はサンチェゴの望みをかなえることができない。
「すべてを書いた手を話してみなさい」という太陽。
この手だけがすべての答えを知っていた。
少年は大いなる魂に到達し、神の魂は彼自身の魂であるとことを悟った。
そして彼自身が奇跡を起こすことを知った。

偉大な力を示したサンチェゴと錬金術師は修道院に着く。錬金術師は鉛を金を作って4等分する。修道士と錬金術師、サンチェゴに一つずつ分け、残りの一つをサンチェゴのために修道士に預ける。
サンチェゴは一人でピラミッドに向かった。
ピラミッドが現れた場所で前兆であるスカラベ(ふんころがし)を発見した彼は、一晩中その場所を掘り続ける。しかしなにも見つけられない。
「涙が落ちた場所を掘れ」との心の言葉のままに掘り進めて突き当たった岩を掘りだそうとする場面に、部族紛争の難民が彼を襲う。
サンチェゴの持っていた金塊を奪った男は「宝を探して掘っていた!」と叫んだサンチャゴに言い放つ。
「おまえは人はそんなに愚かではいけないと学ぶだろう」
「まさにこの場所でおれも何回も同じ夢を見た。スペインの平原に行き、羊飼いと羊たちが眠る見捨てられた教会を探せよという夢だった」
「しかしただ同じ夢を見たからといって砂漠を横断するほど、おれは愚かではない」と。

サンチェゴは宝物のありかを知った。

最後のシーン。
サンチェゴは見捨てられた教会に着く。物語の冒頭の教会である。
彼はスペイン金貨のつまった大きな箱を掘り出す。
人生は運命を追求する者にとっては本当に偉大だとサンチェゴは思った。
そしてファティマのことを思うシーンで物語は終わる。

「アルケミスト」の意味するものとは

■ 題名に使われている「アルケミスト」とは錬金術師という意味の言葉です。本気で他の金属から金を生成できると思っていた時代もあったが、現代人にとっては非科学的な行為という認識が敷衍しているかもしれない。
確かに一般的な認識では他の金属から貴金属を生成することはできないが、広義的には原子物理学の発展によって生成できるようになっている。ただし作品の中で描かれるような、鉛を火にかけることで金が生成できるということはあり得ない。
では、パウロ・コエーリョは「アルケミスト(錬金術師)」という言葉に何を託したかったのだろうか。ここにこの作品のテーマを見ることができるだろう。

アルケミストが意味するもの、それは作品を読んだ各人が感じることだと思う。
私もその一人として、思う点を少し記述しておきたい。
パウロ・コエーリョは作品の中で繰り返し、自身の心の言葉、自分が持った夢をあきらめずに追い求める重要性を訴えています。そして正しき道には必ず前兆があり、その前兆を信じ抜いていくことが一番大切だと。
その前兆を信じ抜くということは、自分自身が本来的に自然と世界の哲理を覚知しているからだとも述べています。その代表的な展開が、鷹によってオアシスが襲撃されることを予知するシーンであり、サンチャゴが風になるという場面です。

そうした意味から考えると「錬金術師」とは、全くの他の金属から金を生成するという意味ではなく、元々本来的に自身の生命の奥底に備わっている真実の宝を信じ抜いて行動すれば必ずその宝は目に見える形であらわれ、素晴らしい人生が送れるのだというパウロ・コエーリョの心の叫びと受け止めることが適切ではないかと思います。 アルケミスト-錬金術師-とはそうした自身の真実の宝を信じ抜ける人、魂の声に耳を傾けて行動し抜ける人、とも言える。
現代を生きる私たちが今最も大切にしなければならないことだと訴えているのかもしれません。

現実の人生は

ただし、「心の声」に忠実に生きることですべてがよい方向に進むとは必ずしも言い切れないことは多くの人が痛感している事実でもあります。
※確かに作品の中でこの点について全く触れていないわけではない。アフリカ・タンジェの町についた直後、男にお金を持ち逃げされたシーンがあります。この時もサンチェゴは心の感じたままに最初に出会った男を信じてお金を預けてしまって被害に遭っている。サンチェゴは災難に負けず自身の決めた目標に進む、という流れになっていますが、この事件がなぜ起こったのか、それ以外の場面と何が一緒で何が違うのか、この事件をいかに活かすのか等々の視点は描かれていません。
この点を私たちはどのように受け止め、また、行動すべきなのでしょうか。
先哲の言葉に「心の師とはなるとも・心を師とせざれ」という有名な言葉があります。
時々刻々と変化する心に従うことの危うさを知らなければなりません。現代犯罪の多くは肥大し続ける欲望という名の自身の心の動きのままに行動した結果でもある。残忍な犯罪の多くが、周りからは身勝手としか思えない、しかし犯罪を犯した本人にとっては極めて重要と感じる心の叫びであることが引き金になっている。無差別殺人はその典型とは言えまいか。

私はこの点において、さらに『アルケミスト』をその作品の枠を飛び越えて深く読み進めることが重要かつ不可欠ではないかと感じています。

また別の視点で見てみると、別の世界を見てみたいと思いつつ、今いる町で生きることを選択したサンチェゴの父や母の生き方は一段劣っていたのだろうか。
私はそうは思わない。
様々な捉え方ができるので一概には言えないし、意見も様々出ると思うが、父や母が選んだ生き方もかけがえのない人生であり、誇るべき生き方であると思う。

確かに人生の岐路に立つとき、従来の生き方の延長線上に自身の進む道を見出すのか、新たな天地を求めて一歩踏み出すのか、その後の人生は180度違ってくるだろう。前者が旧態依然とした保守的な生き方で、後者が挑戦的かつ意欲的な誇るべき人生だというステレオタイプ的な捉え方では、現実の人生を誤ってしまう。

大切なことは「何のために」その道を選ぼうとするのか?ではないか。
「不労所得を求めない」「他人の不幸の上に自身の幸福を築こうとしない」ということがその根底にあるべきだと私は思う。そのうえで自身の判断基準として、自分自身が決めた人生の目的を基準として判断すべきである。
そして、それでも、ぎりぎりのところまで判断がつきかねるとき、私は常々座標とすることがある。
それは「最後は自分自身が苦しい道を選べ」ということだ。
仮にそれで失敗しても、最後まで自分で決めたことであれば納得もいく。
楽な道を選んで失敗したとすれば大きな悔いが残るだろう。
果敢に挑戦して敗退したとしても悔いは残るかもしれないが、その挑戦の過程で得たものはそれ以上に素晴らしいものになると私は考えている。

含蓄のある寓話がいくつも

『アルケミスト』の作品としての魅力として、登場人物が語る寓話や逸話をあげる方も多いと思います。
・各地を見てきたジプシーが「あなたたちの住む土地に住みたい」という。
・この本は世界中のほとんど本が言っているのと同じことを言っている。
・誰も世界最大のうそを信じている。それは人はある時点で自分に起こっていることをコントロールできなくなり、宿命によって人生を支配されてしまうということだ。
・誰でも若い時は自分の運命を知っている。
・不思議な力は運命をどのおゆに実現すべきかおまえに示してくれる。
・人は自分の運命より、他人が自分の職業をどう思うかということが大切になってしまう。
・宝物は流れる水の力によって姿を現し、同じ流れによって姿を隠す。
・毎日が同じなのは、毎日起こっていることが素晴らしいことに気づかないからだ。
・誰でも初めてカードをする時はほとんど勝つものだ。初心者のつきだ。それは運命を実現させようとする力が働くからだ。成功の美味で食欲を刺激するのだ。
・宝物を見つけるためには前兆に従っていかなくてはならない。
・素晴らしい宮殿でのスプーンに入れたニ滴の油 等々....

まだまだ列挙しきれないほどの逸話が続きます。
最後は元々自分が生活していた土地に戻ってくるというラストシーンになります。 ただ財貨を手に入れて、愛する女性との生活が待っている...というのはどうも安直との感が拭えないのも正直な感想であります。
元々サンチェゴが求めていたものは何だったのでしょうか。
「でも僕は彼ら(ジプシー)の住む土地が見てみたいんです。彼らがどうやって生活しているかも見たいんです」と始めた羊飼いの生活。
その結末がスペイン金貨を手にして愛する女性との生活を始める...というのはどうも流行の恋愛小説の域を超えなくなってしまう。自分だけ幸せになっている、人生の勝利は豊かな財貨と家族を得ること、とも受け止められる話の展開に違和感を感じる読者も多いのではないかと思います。

その意味でも更なる思索を必要とする一書、またそれを感じさせてくれる意味のある一書ではないかと思います。

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