桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第69回】

開催日時 2010年12月23日(木祝)14:00~17:00
会場 サンライフ練馬 2階(第二和室) 西武池袋線中村橋駅・徒歩5分

開催。諸々コメント。

今年最後に取り上げる本は 『華氏451度』。
華氏451度 ―― 本のページに火がつき、燃え上がる温度・・・・・・。
この印象的な言葉で物語は始まる

分野的にはSF小説に分類される作品で、作者のレイ・ブラッドベリは『火星年代記』の作者として知られるSF作家です。

今回取り上げる作品では、本を読むことが禁止された近未来社会が設定されています。主人公の男性モンターグの職業は焚書官。
法律で禁止されている本を持っているという密告を受けて、ガソリンをまいて火炎放射機で家財道具もろとも焼き尽くすのが彼の仕事。ある日モンターグは近所に住む少女クラリス・マックルランに会う。彼女との会話がきっかけでモンターグの中でくすぶっていた本に対する気持ちの何かが動き始める...。

舞台として描かれている社会も興味深い。たとえば作品の冒頭でモンターグの妻ミルドレッドが睡眠薬を飲みすぎて意識不明に陥ったシーンが登場する。病院に電話をかけると現れたのは医者ではなく機械を操作する2人の技術者。彼らは吸引機のような機械を使ってミルドレッドの体液をすべて吸い上げて新しい血液に入れ替えるのだ。彼らは一晩で10人近い人間を同様に処置する。
---こんな社会が描かれている。
「国民読書年」の悼尾を飾る意味を込めて、今年最後の本に「本を読んではいけない」時代を舞台にした作品にふれて読書の意味を再度考える機会にもしたいと思っています。

作品のあらすじ

【第一部】炉床(ろしょう)と火トカゲ
焚書官(ファイヤーマン)の仕事をしている主人公モンターグ。彼の腕には勤務先を示す「火とかげ」、胸には不死鳥のバッジをつけている。
この世界の人達は本を読むことを禁じられていて、本を所持していることがわかると焚書官によって焼き払われるのである。
すべての家庭にはテレビ室があり、情報やドラマはすべてテレビによってもたらされる。
モンターグはその夜の仕事を終えて帰宅する途上、近くに引っ越してきた少女クラリス・マックルランと出会う。彼女と話すうちにモンターグの気持ちは落ち着かなくなっていく自分に気づく。
モンターグが暮らす国は近隣と小規模、断片的な戦争状態にある。
妻ミルドレッドと二人暮らしのモンターグが帰宅すると、妻は睡眠薬を過剰に服用して危篤状態にあった。病院に電話をかけると現れたのは医者ではなく機械を操作する2人の技術者。彼らは1回50ドルで吸引機のような機械を使ってミルドレッドの体液をすべて吸い上げて新しい血液に入れ替えた。
彼らは一晩で10人近い人間を同様に処置している。

クラリスと話したモンターグは焚書の仕事に疑問を持ち、法律を犯して焚書の現場から本を持ち帰って読み始める。
モンターグの変化を察した署長のビーティがモンターグと語り合う。
モンターグは本を所持して読んでいることを妻に告げる。

【第二部】ふるいと砂

モンターグは以前に出会った老人フェイバーに電話をかけて「現在残存している聖書は何冊あるか」と尋ねる。電話を切られたモンターグはフェイバーを訪問する。
焚書現場から本を盗んだことを告白するモンターグ。本を印刷しようと意を固めた二人。モンターグはフェイバーから耳に装着する通信機をもらう。
その夜、自宅に集まっていた妻の友人たちに本を見せて詩を朗読してしまう。その詩を聞いた女の一人は涙を流した。
仕事に復帰したモンターグを待っていた焚書の仕事現場は、モンターグ自身の自宅だった。

【第三部】火はあかるく燃えて

モンターグが本を所持しているという密告は妻ミルドレッドによるものだった。
火炎放射器で自宅を焼き払うモンターグ。その最中で通信機をみつけてフェイバーへ触手を伸ばそうとするビーティ。モンターグはビーティを焼き殺してしまい逃走する。
いったんフェイバー宅に逃げ込むが、機械シェパードの追跡をまくために川に沿って逃走し、鉄道線路跡をたどって郊外へと進む。
たどりついた森でグレンジャー老人達に出会う。
そこで見たテレビ画面では、モンターグ追跡の模様が報道されていた。
モンターグを見失った当局は別人をモンターグとして逮捕し追跡劇は偽りの幕を下ろした。
グレンジャー老人達は一人が一冊の本として作品を記憶し朗読する人達だった。
そして行動を開始するために街に向かって歩き始めた。

作者

レイ・ブラッドベリ(Raymond Bradbury, 1920年8月22日 - )
1938年から1942年まで新聞の販売をしており、その間にヘンリー・ハースとの共作の『振り子』」が「スーパー・サイエンス・ストーリーズ」に掲載され、作家としてデビューした。
1945年『ベスト・アメリカン・ショート・ストーリーズ』に作品が収録され、1947年処女短編集『黒いカーニバル』(Dark Carnival)をアーカム・ハウスから刊行した。続いてダブルディから刊行された『火星年代記』『刺青の男』で名声を得る。
1947年、1948年にO・ヘンリー賞を2年連続して受賞した。1954年アメリカ芸術文学協会賞、カリフォルニア・コモンウェルズ・クラブのゴールド・メダル賞を受賞。またハーマン・メルヴィル原作、ジョン・ヒューストン監督の映画『白鯨』の脚本を担当した。
優れて叙情的な作風が特徴で、日本にもファンが多い。現在はロサンゼルスに在住し、著作活動を続けている。
特撮監督のレイ・ハリーハウゼンとは高校時代からの友人である。

作者が伝えたかったもの

レイ・ブラッドベリはこの作品で何が言いたかったのでしょうか。
ストーリーの流れに沿って考えると
・焚書に象徴される情報統制への批判
・進化する情報機器への警鐘
この2点が見えます。

焚書や禁書といった思想統制は、人類が社会を形成して以来、古今東西で行われて続けている行為です。
社会主義や資本主義などの対立する政治的思想の排他、有害とか犯罪を誘発すると判断された思想の封じ込め、宗教的考えなどからその時代や地域の権力者や国家によって行われてきました。
レイ・ブッラドベリが暮らしたアメリカにおいてもこの作品が書かれた時代にはマッカーシズムが吹き荒れていましたので、そうした社会状況が背景にあると指摘する人もいます。
レイ・ブラッドベリがこの点を強く意識していたことは間違いないと思われます。

情報機器への警鐘という面でも昔から新しい技術革新が起こる毎に批判がなされてきました。この作品ではテレビ室が登場し人としての機微がわからなくなっていく人達が描かれています。
現実の社会にあってもこの作品から少し時代をくだると、日本でテレビが登場した時には「一億総白痴化」という言葉が流布しましたし、インターネットが普及し始めた時も、携帯電話がビジネスシーンから一般生活に広がり始めた際にも、その悪影響が大きく議論されてきました。また「本を読まなくなる」という危機感はずっと今に至るまで議論され続けています。
ある面ではレイ・ブラッドベリは常識的感覚を備えた大人であったとも言えるかもしれません。

そしてレイ・ブラッドベリはこうした批判の先に何か別のものをみていたのでしょうか。
推察して考えるならば、それは本が持つ力を信じていたということになるのではないかと私は思います。
自身の財産すべてを失ってしまうというリスクと法律を犯してまで本を読もうとする情熱と欲求。
本の一節に触れただけで感激して涙を流してしまう生命の純粋さ。
一冊の本(文章)を残し続けるという思いが国家に反逆するエネルギーにまで凝結していくすさまじさ。
これらをレイ・ブラッドベリは「本の持つ力」として劇的に描き出そうとします。

舞台装置のおもしろさ

舞台として描かれている社会も興味深く感じます。
たとえば作品の冒頭でモンターグの妻ミルドレッドが睡眠薬を飲みすぎて意識不明に陥ったシーンが登場します。 病院に電話をかけると現れたのは医者ではなく機械を操作する2人の技術者。彼らは吸引機のような機械を使ってミルドレッドの体液をすべて吸い上げて新しい血液に入れ替えると、ミルドレッドは息を吹き返す。
---こんな社会が描かれています。
人間が機械化、非人間化されていることを象徴的に表現している典型的シーンです。
また職業犬として登場する機械シェパードは「機械」そのもの。レイ・ブラッドベリの風刺が直截的に表現されています。
またフェイバーとモンターグが会話に使った通信機器は現代社会では日常化しています。
このあたりはSF作家の真骨頂と言えるでしょう。

継承と共に創造する力の具現化を

その一方で、作品のとしての深みがもう少しほしいと感じる点もあります。
いくつか指摘してみると...
・冒頭に登場する少女クラリスの役割がいまひとつ十分ではない?
・本を印刷する機械を作ると言って別れたフェイバーはどうなった?
・隣国との戦争はどうなっているのか?
・戦争について国民はどう思っていて生活にどのように影響しているのか?

また、作品の根本的ストーリーに関わってしまうので指摘するのはどうかなぁとは思いますが、最後にもう一つだけ私の意見を述べておきます。

レイ・ブラッドベリが描く「抵抗する人々」が創造的ではないと感じます。
焚書という政府方針に抵抗することが結果的に自分達の行動と発想の足かせになっている。
最も端的に表れているのは、皆が古典文学作品を守って次世代に継承しようとはしていますが、新しい文学作品なりを執筆する人が一人も描かれていないことです。
本当の意味で、既存の体制や権力に抗議し、改革していこうとするならば、新たな創造の生命力が不可欠だと私は思います。
確かに昔からの文学作品を継承することは大切ですが、それにもまして重要なのは、創造する力であると思います。
新しい創造物、この作品であれば文学作品を生み出していくことが、焚書に対する本当の抵抗であり、そこから真の変革が生まれるのだと確信します。

私達も日常の生活にあって、自分自身の意見を述べる際に、自分の意見を言ったら「それで終わり」という感覚になってしまっていることが、実に多い。
また現在の制度ややり方に対して反対をすることはある意味で簡単であるが、自らが主体者となって、現状を乗り越えて大きく発展させる意見と行動をとれる人は、思いのほか少ない。

ただ単に反対の意見を述べて抵抗するだけの行動にとどまることから、徐々に卒業しよう。
一歩でも二歩でもよいから、創造的行動を踏み出す今日一日にしよう。
その持続だけが現状を変えることができると心から信じたい。

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