桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第78回】

『レ・ミゼラブル』(ヴィクトル・ユゴー)※前半

開催日時 2011年10月15日(土) 14:00~17:00
会場 勤労福祉会館 和室(小)
西武池袋線大泉学園駅・徒歩3分

開催。諸々コメント。

今月と来月の2回で『レ・ミゼラブル』を取り上げます。
この作品は多くの人に読まれてきたヴィクトル・ユゴーの代表作のひとつです。
主人公のジャン・ヴァルジャンは貧しさがゆえにひとつのパンを盗んでしまい、その罪によって19年間投獄生活を送ります。
出獄後に出会った司教にやさしく遇されるが、ジャン・ヴァルジャンはその司教から銀の食器を盗んでしまう。しかし警察によって連行されたジャン・ヴァルジャンに司教はその食器は彼に与えたものだと伝える。
司教の真心に触れたジャン・ヴァルジャンは更生の人生を誓い、やがて市長として善行を行なう人生に変わっていく。しかしジャン・ヴァルジャンには彼の過去を暴こうとする警官との出会いが待っていた...。

著者

ヴィクトル=マリー・ユゴー
(Victor-Marie Hugo 1802年2月26日 - 1885年5月22日)
フランスの詩人・小説家。ロマン派最後の巨匠。
1802年プザンゾンで軍人の子として生まれ、パリで学ぶ。
1817年アカデミーの懸賞論文に入選。
1822年処女詩集『オードその他』で詩人としてデビューする。
その後『クロムウェル』『エルナニ』などで名声を獲得し、オルレアン王家の庇護を受けた。
政治活動にも身をおき、1845年上院議員となる。
1848年の二月革命後は共和派として憲法制定議会や立法議会議員に選出された。
ユゴーはナポレオン1世の崇拝者であったがルイ・ナポレオン(のちのナポレオン3世)に反対の立場をとり、1851年ルイがクーデタを起こし政権を掌握。
1852年にベルギーに亡命、次にジャージー島、ガーンジー島に移住しオートヴィルハウスでルイ告発を続ける。
1870年普仏戦争で第二帝政が崩壊するとフランスに帰国し、国会議員や上院議員として活躍した。
1885年に死去。国葬。代表作は他に『93年』『ノートルダム・ド・パリ』『懲罰詩集』など。

作品の構成

第1部.ファンティーヌ (Fantine)
1.正しい人 (Un juste)
2.失墜 (La chute)
3.一八一七年のこと (En l'année 1817)
4.委託は時として譲渡となる (Confier, c'est quelquefois livrer)
5.転落 (La descente)
6.ジャヴェール (Javert)
7.シャンマティユー事件 (L'affaire Champmathieu)
8.反撃 (Contre-coup)

第2部.コゼット (Cosette)
1.ワーテルロー (Waterloo)
2.軍艦「オリオン号」 (Le vaisseau L'orion)
3.死んだ女への約束を果たす (Accomplissement de la promesse faite à la morte)
4.ゴルボー屋敷 (La masure Gorbeau)
5.闇の狩りには無言の猟犬を使う (A chasse noire, meute muette)
6.ル・プティ・ピクピュス (Le petit-Pictus)
7.余談 (Parenthèse)
8.墓地は死人を選り好みしない (Les cimetières prennent ce qu'on leur donnent)

第3部.マリユス (Marius)
1.パリの微粒子の研究 (Paris étudié dans son atome)
2.大ブルジョワ (Le grand bourgeois)
3.お祖父さんと孫 (Le grand-père et le petit-fils)
4.「ABCの友」(Les amis de l'A B C)
5.不幸にあがる軍配 (Excellence du malheur)
6.ふたつの星の会合 (La conjonction de deux étoiles)
7.パトロン=ミネット (Patron-minette)
8.心がけの悪い貧乏人 (Le mauvais pauvre)

第4部.プリュメ通りの牧歌とサン・ドゥニ通りの叙事詩
(L'idylle rue Plumet et l'épopée rue Saint-Denis)
1.歴史の数ページ (Quelques pages d'histoire)
2.エポニーヌ (Éponine)
3.プリュメ通りの家 (La maison de la rue Plumet)
4.低いところからの救いは高いところからの救いとなりうる
(Secours d'en bas peut être secours d'en haut)
5.その結末がはじまりとは似ても似つかぬこと
(Dont la fin ne ressemble pas au commencement)
6.プティ・ガヴローシュ (Le petit Gavroche)
7.隠語 (L'argot)
8.歓喜と悲嘆 (Les enchantements et les désolations)
9.彼らはどこへ行く? (Où vont-ils?)
10.一八三二年六月五日 (Le 5 juin 1832)
11.原子は大旋風に協力する (L'atome fraternise avec l'ouragan)
12.コラント (Corinthe)
13.マリユス闇のなかへはいる (Marius entre dans l'ombre)
14.絶望のけだかさ (Les grandeurs du désespoir)
15.ロマルメ通り (La rue de l'Homme-Armé)

第5部.ジャン・ヴァルジャン (Jean Valjean)
1.壁にかこまれたなかの戦争 (La guerre entre quatre murs)
2.巨獣のはらわた (L'intestin de Léviathan)
3.泥であるとともに魂 (La boue, mais l'âme)
4.脱線したジャヴェール (Javert déraillé)
5.孫と祖父 (Le petit-fils et le grand-père)
6.眠られぬ夜 (La nuit blanche)
7.苦杯の最後の一口 (La dernière gorgée du calice)
8.たそがれの微光 (La décroissance crépusculaire)
9.最後の闇、最後のあけぼの (Suprême ombre, suprême aurore)

あらすじ

1815年10月のある日、75歳になったディーニュのミリエル司教の司教館を、ひとりの男が訪れる。
男の名はジャン・ヴァルジャン。貧困に耐え切れず、たった1本のパンを盗んだ罪でトゥーロンの徒刑場で19年も服役していた。行く先々で冷遇された彼を、司教は暖かく迎え入れる。
しかし、その夜、大切にしていた銀の食器をヴァルジャンに盗まれてしまう。
翌朝、彼を捕らえた憲兵に対して司教は「食器は私が与えたもの」だと告げて彼を放免させたうえに、二本の銀の燭台をも彼に差し出す。それまで人間不信と憎悪の塊であったヴァルジャンの魂は司教の信念に打ち砕かれる。迷いあぐねているうちに、サヴォワの少年プティ・ジェルヴェ(Petit-Gervais)の持っていた銀貨40スーを結果的に奪ってしまったことを司教に懺悔し、正直な人間として生きていくことを誓う。

1819年、ヴァルジャンはモントルイュ=スュール=メール (現:ブローニュ=シュル=メール)で『マドレーヌ』と名乗り、黒いガラス玉および模造宝石の産業を興して成功をおさめていた。
さらに、その善良な人柄と言動が人々に高く評価され、この街の市長になっていた。彼の営む工場では、1年ほど前からひとりの女性が働いていた。彼女の名前はファンティーヌ。パリから故郷のこの街に戻った彼女は、3歳になる娘をモンフェルメイユのテナルディエ夫妻に預け、女工として働いていた。

それから4年後の1823年1月、売春婦に身を落としたファンティーヌは、いざこざがきっかけでヴァルジャンに救われる。病に倒れた彼女の窮状を調べた彼は、彼女の娘コゼットを連れて帰ることを約束する。実は、テナルディエは「コゼットの養育費」と称し、様々な理由をつけてはファンティーヌから金を請求していた。それが今では100フランの借金となって、彼女の肩に重くのしかかっていた。
だが、モンフェルメイユへ行こうとした矢先、ヴァルジャンは、自分と間違えられて逮捕された男シャンマティユーのことを私服警官ジャヴェールから聞かされる。
葛藤の末、シャンマティユーを救うことを優先し、自身の正体を世間に公表する。結果、プティ・ジェルヴェから金40スーを盗んだ罪でジャヴェールに逮捕される。
終身徒刑(=終身刑)の判決を受けて監獄へ向かう途中、軍艦オリオン号から落ちそうになった水兵を助け、海に転落。通算5度目となる脱獄を図る。

1823年のクリスマス・イヴの夜。今は亡きファンティーヌとの約束を果たすためモンフェルメイユにやって来たヴァルジャンは、村はずれの泉でコゼットに出会う。
当時、コゼットは8歳であったにも関わらず、テナルディエ夫妻の営む宿屋で女中としてただ働きさせられ、夫妻から虐待され、娘たちからも軽蔑されていた。ヴァルジャンは静かな怒りをおぼえ、テナルディエの要求どおり1500フランを払い、クリスマスの日にコゼットを奪還する。

道中、後を追ってきたテナルディエを牽制したヴァルジャンは、コゼットを連れてそのままパリへ逃亡する。パリに赴任していたジャヴェールら警察の追っ手をかいくぐり、フォーシュルヴァン爺さんの協力を得たふたりは、ル・プティ・ピクピュス修道院で暮らし始める。母のことをあまり覚えていないコゼットは、ヴァルジャンを父として、また友達として心の底から慕い、愛し続ける。ヴァルジャン自身もコゼットを娘として、あらゆるたぐいの愛情を捧げる絶対的な存在として、彼女にまごころからの愛を注ぎ続ける。

フォーシュルヴァン爺さんの没後、パリのプリュメ通りにある邸宅に落ち着いたヴァルジャンとコゼットは、よくリュクサンブール公園に散歩に来ていた。
そんなふたりの姿をひとりの若者が見ていた。彼の名はマリユス・ポンメルシー。共和派の秘密結社ABC(ア・ベ・セー)の友に所属する貧乏な弁護士である。
ブルジョワ出身の彼は幼い頃に母を亡くし、母方の祖父に育てられたが、17歳のとき、ナポレオン1世のもとで働いていた父の死がきっかけでボナパルティズムに傾倒し、王政復古賛成派の祖父と対立。家出していた。
マリユスは美しく成長したコゼットに一目惚れし、「ユルシュール」と勝手に名づけ、何も考えられないほど彼女に恋焦がれてしまう。

テナルディエの長女エポニーヌの助けを得て、マリユスは「ユルシュール」の住まいを見つけ、同じころ彼に惚れていた「ユルシュール」ことコゼットにやっと出逢うことができた。
この出逢い以降、ふたりは互いを深く愛し合うように。
だが、1832年6月3日、コゼットはヴァルジャンから1週間後にイギリスへ渡ることを聞かされ、それをマリユスに話してしまう。ふたりの恋路は突然の別れという最大の試練に塞がれてしまった。

コゼットと、彼女に絶対的な愛を捧げるジャン・ヴァルジャンとマリユス。
この3人を中心とした運命の渦は、ジャヴェール、テナルディエ一家、マリユスの家族や親しい人々、犯罪者集団パトロン=ミネット、そしてABCの友のメンバーまで巻き込んで、『悲惨な人々』(レ・ミゼラブル)の織りなす物語をあちこちに残していく。
大きくなった運命の渦は、七月革命の影響で混沌のなかにあるパリを駆けまわり、やがて1832年6月5日に勃発する六月暴動へと向かっていく。

主な登場人物

ジャン・ヴァルジャン (Jean Valjean)
1769年にブリーのファヴロール (Faverolles) の貧しい農家の子供として生まれた。父親はジャン・ヴァルジャン、母親はジャンヌ・マティユー (Jeanne Mathieu)。情の深い考え込むタイプの男。両親を幼い時に亡くし、年の離れた姉に育てられるが、25歳の時に姉の夫が死去。1795年の終わり頃、姉の7人の子供達のために1本のパンを盗んで逮捕されてしまう。1796年に器物損壊と密猟の罪を併せて5年の刑を言い渡され、トゥーロンの徒刑場へ送られるが4度も脱獄を図ったため、19年間もの歳月を監獄で過ごすことになる。
1815年10月に出獄し、46歳となったヴァルジャンは長い監獄生活のなかで人間社会に対する憎悪の塊となっていたが、ミリエル司教の情愛により改心する。 悩み、苦しみ、時には哀しみと絶望を味わいながらも、常にミリエル司教の説く「正しい人」であろうと努め、「マドレーヌ」(M. Madeleine) と名乗る。

シャルル=フランソワ=ビヤンヴニュ・ミリエル (Charles-François-Bienvenu Myriel)
10歳年下の妹、バティスティーヌ嬢 (mademoiselle Baptistine) と、女中であるマグロワール夫人 (madame Magloire) との三人で慎ましく暮らす司教。プロヴァンス生まれ。「ビヤンヴニュ(歓迎の意)閣下」(monseigneur Bienvenu) と呼ばれて民衆に慕われる。
1815年10月のある日、行き場のないジャン・ヴァルジャンを司教館に泊めてもてなしたが、彼に銀の食器を盗まれる。ヴァルジャンは憲兵に捕らえられるがミリエル司教は「食器は私が彼にあげた物だ」と言って放免させる。唖然とするヴァルジャンにさらに二本の銀の燭台を差し出し、「正直な人間になるために、この銀器を使いなさい」と諭す。彼の行動は、ヴァルジャンの人間性を大きく変えることとなる。 1821年のはじめ82歳で永眠。

ジャヴェール警部 (Inspecteur Javert)
1780年に、服役囚の父と、同じく服役囚のトランプ占いのジプシー女の子供としてトゥーロンの徒刑場で生まる。社会から外れ「普通の人間として」社会に関われないという絶望から、自身の境遇やそれと同じ境遇に属する人間を憎み、社会を守る人間であることを選び警察官となる。有名人であるマドレーヌ氏のことを、昔トゥーロンで見たジャン・ヴァルジャンではないかと疑い続ける。

ファンティーヌ (Fantine)
1796年生まれ。美しい髪と前歯を持つ可憐で純粋な美女。モントルイュ=スュール=メール生まれの孤児。10歳で近隣の農家へ出稼ぎに行き、15歳でお針子娘としてパリに出た彼女は、トゥールーズ出身の老学生フェリックス・トロミエスに遊ばれ、1815年19歳のときに娘コゼットをもうける。その後は転落の人生に。

コゼット (Cosette)
本名はユーフラジー (Euphrasie)。 1815年にファンティーヌの娘として誕生。純粋無垢で心優しく心を許した他人に身をゆだねる素直で明るい少女。 1818年の春テナルディエ一家に預けられる。母のことをほとんど覚えてなく、ファンティーヌの名前も知らない。 幼い頃からテナルディエ一家からむごい仕打ちを受けていたため弱弱しい子供になってしまっていた。体格も小さくやつれていた。1823年のクリスマスにヴァルジャンに引き取られ、それまで手にすることの出来なかった愛する機会を手に入れ、ヴァルジャンに親愛の情を抱くようになっていく。

マリユス・ポンメルシー (Marius Pontmercy)
パリで弁護士をしながら暮らす貧乏な青年。自由主義者で夢想家。自身の行動を後々後悔する事が多い、激情的だが内省的、そして祖父に似て頑固な性格の持ち主。ABCの友に所属するようになる。リュクサンブール公園で「ルブラン氏」(M.Lebelanc) ことジャン・ヴァルジャンとコゼットの親子連れに出会う。半年後美しく成長したコゼットに心を奪われてしまう。

テナルディエ(Thénardier)
「テナルディエ」とは苗字であり、ファーストネームは不明。パリ郊外のモンフェルメイユで宿屋(安料理屋)を経営する根っからの小悪党。ワーテルローの戦いでは軍曹だったと自称しているが全くのでたらめ。酒保商人兼かっぱらいが本業でこのときにかっぱらった遺品を質に入れた金で宿屋を開いた。ファンティーヌからコゼットを引き取り、金銭を引き出していく。
最終的に奴隷貿易に身を投じることになる。

テナルディエ夫人 (Madame Thénardier)
テナルディエの妻(ファーストネームは不明)。宿屋のおかみ。コゼットに無茶な肉体労働をさせたり、顔面を殴ったりするなど肉体的な虐待を加えた。
ゴルボー屋敷での一件で夫や娘たちとともにジャヴェールに逮捕され、みじめな最期を迎える。

エポニーヌ (Éponine)
テナルディエの長女。

アゼルマ (Azelma)
テナルディエの次女。

ガヴローシュ (Gavroche)
1832年の六月暴動に参加する。バリケードの上で絶命。まだ12歳であった。彼が助けた実の弟たちは、浮浪児としてたくましく生きていくようになる。

パトロン=ミネット(Patron-Minette、子猫男爵)
1830年から1835年にかけてパリで暗躍した悪党集団。4人の頭を中心に構成。「パトロン=ミネット」という名は、朝に仕事が終わるという意味からつけられた。彼らは夜に目を覚まし、ラ・サルペトリエール救護院 (Hôpital de la Salpêtrière) の近くの草原に集まり、そこで会議を開く。そして、ひと肌ぬぐ必要があり、金になる悪事ならば、4人の頭はそれぞれ必要なだけのを手下を他の頭に貸して(頭自身も参加して)悪事を働くのだった。

バベ (Babet)
グールメール (Gueulemer)
クラクスー (Claquesous)
モンパルナッス (Montparnasse)

パンショー (Panchaud)
ブリュジョン (Brujon)
ドゥミ・リヤール (Demi-liards)
マニョン (Magnon)
監獄間の仲介役を務める悪女。

ABCの友 (Les amis de l'A B C)
成立してから間もない共和派の秘密結社。「ABC」とは、民衆 (Abaissé) を意味し、民衆の向上を目的に結成された。メンバーの大部分は、労働者と学生たちであった。活動拠点はル・シャンヴルリー通り(rue de la Chanvrerie, 現在のランバントゥー通り (Rue Rambuteau))の居酒屋コラント (Corinthe) とサン・ミッシェル通りのル=カフェ=ミュザン(le café Musain)である。主なメンバーは次で述べるが、孤児であるフイイー以外は、家族に王党派や正当理論派の人間がいた。

アンジョルラス (Enjolras)
ABCの友に所属する若作りで天使のような容姿端麗の22歳の青年で、結社の首領。

コンブフェール (Combeferre)
ABCの友に所属する青年で、結社の哲学面での指導者。「シトワイヤン」(Citoyen、公民という意味の革命用語)が好きで、人間そのものに愛着を感じている。

クールフェラック (Courfeyrac)
マリユスの「親友」のひとりで、ABCの友に所属している学生。結社の中心的存在。

ジャン・プルーヴェール (Jean Prouvaire)
ABCの友に所属する、心優しくて情が深いロマン主義派の学生。自らを「ジュアン」と呼ぶ。文学に精通し、東洋語学も大学教授クラスの領域までマスターしている。

フイイー (Feuilly)
孤児として育った扇作りの職工で1日3フランほどしか稼げないにもかかわらず、独学で諸言語を覚えた努力家。ABCの友に所属している民族主義者で、世界を救済することを唯一のモットーとしている。

バオレル (Bahorel)
革命以外の暴動や騒動が大好きで、11年間大学生を続けている裕福な農家出身の放蕩息子。

レーグル・ド・モー (Laigle de Meaux)
郵便局長の息子で25歳の法学の学生。南部出身ではない唯一の人物。

ジョリー (Joly)
ABCの友に所属する23歳の神経症気味でありながら、はしゃぎ屋という極端な性格を持つ医学生。脈拍を取り、血流を気に病み、鏡で自分の舌を観察するのがクセになっている。

グランテール (Grantaire)
ABCの友に所属する無政府的懐疑主義の大酒飲みの学生。うぬぼれが強い。パリで学問をしている間に魚料理やビリヤードの名店を次々と開拓していった男。

マブーフ氏 (M. Mabeuf)
マリユスの「親友」のひとりで、パリ郊外のオーステルリッツ村の田舎家に住み、藍の研究に没頭する老人。マリユスの父ジョルジュの数少ない賓客のひとり。兄はジョルジュの住むヴェルノンの主任司祭であった。

サンプリス修道女 (Sœur Simplice)
マドレーヌ氏設立の診療所で慈善看護婦として働くラザリスト会修道女。ファンティーヌを看護し死を看取る。マドレーヌ氏を救うため、ジャヴェールに対し、生涯で初めての嘘をつく。

フォーシュルヴァン爺さん (Père Fauchelevent)
モントルイュ=スュール=メールに住む老人。公証人というれっきとした職を持つ自分が没落。雨にぬかるんだ通りで馬車が倒れて下敷きになったが間一髪でヴァルジャンに助けられ、パリのプティ・ピクピュス修道院の庭師の仕事を与えられる。パリに逃げてきたジャン・ヴァルジャンを弟ユルティームとして、コゼットを姪としてプティ・ピクピュス修道院に迎え入れる手はずを整えてくれる。

ブーラトリュエル (Boulatruelle)
モンフェルメイユ在住の年老いた道路工夫。モンフェルメイユの人々から「元徒刑囚」、「盗賊団の仲間」と疑われている。テナルディエとも付き合いが。ヴァルジャンが60万フランの財産を隠すためにモンフェルメイユの森に入るところを目撃してから「森の財宝」の存在を信じるように。やがて、パリに出た彼はパトロン=ミネットの手下としてゴルボー屋敷待ち伏せ事件に参加する。

ジョルジュ・ポンメルシー (Georges Pontmercy)
ナポレオン軍の少佐。王党派のジルノルマン氏の次女と結婚し、1810年にマリユスの父となる。ワーテルローで重傷を負い、死にかけたところを「軍曹」テナルディエに「救われ」、彼を命の恩人であると思う。

リュック=エスプリ・ジルノルマン (Luc-Esprit Gillenormand)
マリユスの祖父にあたり、母親の違う2人の娘がいる。フィーユ・ドゥ・カルヴェール通り6番地の邸宅に住んでいる、2番目の妻に財産のほとんどを食いつぶされたブルジョワ。
1789年(=フランス革命)を心底憎み、ナポレオンの下で働く次女の夫ポンメルシーを勘当同然に扱うなど、生粋の王党派のため、後にボナパルティズムに走ったマリユスとも対立するが六月暴動をきっかけにマリユスと和解。
一度反対したコゼットとの結婚を快諾し、彼女の美貌と境遇を心から絶賛した。

テオデュール・ジルノルマン(Théodule Gillenormand)
ジルノルマン氏の甥の子で、マリユスのまたいとこにあたる陸軍中尉 (lieutenant)。槍騎兵。美しい青年将校。マリユスと顔を合わせたことが一度もなかったが、ジルノルマン嬢の頼みでマリユスを偵察することになる。

作品の背景

ワーテルローの戦い(1815年)
1815年6月18日にイギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍が、フランス皇帝ナポレオン1世率いるフランス軍を破った戦いである。ナポレオン最後の戦いとなった。
1815年2月26日、エルバ島から脱出したナポレオンはフランスのジュアン湾に上陸し、パリへ進軍した。途中、ネイ元帥やスルト元帥を従え、7,000にふくれ上がった軍隊を率いて3月20日パリに入城し再び皇帝となった。
ナポレオンはイギリス・オランダ連合軍とプロイセン軍がまだ合流しないうちに各個撃破を計画し、12万4,000の兵を率いて連合軍に戦いを挑むべくベルギーへ向かった。兵の士気は高かった。ベルギーに布陣していたのはウェリントン公率いるイギリス・オランダ連合軍の9万5,000とブリュッヒャー元帥率いるプロイセン軍12万であった。
6月16日、リニーの戦いでナポレオンはプロイセン軍と戦い、死傷者1万6,000の損害を与えたが、完全な撃滅はできなかった。ブリュッヒャーは重傷を負い、参謀長のグナイゼナウが代わりにプロイセン軍の指揮を取った。ナポレオンはプロイセン軍が東へ退却したと誤認し、翌朝グルーシー元帥に3万の別働隊を与えてプロイセン軍を追撃させた。ナポレオン自身は7万2,000の兵を率いてブリュッセルを目指したが、ラ・ベル・アリアンスで6万8,000のイギリス・オランダ連合軍と対峙した。
ワーテルローの戦いでフランス軍は3万を失い、連合軍も25,000の死傷者を出した。ナポレオンは退位してイギリスへ亡命し百日天下は終わった。
ナポレオンはイギリスのプリマスへの上陸を求めたが、ヨーロッパの混乱の元凶はナポレオンにあるとされ、ベルトラン、モントロン、グールゴの3人の将軍とともにセントヘレナ島に流されて1821年5月5日、彼の死を看取った。

六月暴動
1831年、貸金のひき上げを要求してリヨンの労働者は抗議行動を開始し、千人をこえる労働者の武装闘争に発展した。黒籏をかかげ、『働いて生きるか、たたかって死ぬか』をスローガンとした労働者集団は市庁舎を占拠し、10日間、市政を掌握した。これは小型の「革命」であった。権力は巻きかえしをはかり、軍隊が出動し、600人の死傷者を出して事態を静めた。
弾圧の責任者であるカジミール・ペリエは語った。 『労働者たちが知るべきことは、かれらにたいする救済策は、忍耐とあきらめ以外にはないということだ』
この言葉は、来るべき1848年革命の運命についての不気味な予言であった。

関連年表

1799年 ナポレオン、第一執政に就任
1800年 ナポレオン、第二次イタリア遠征
1804年 5月 ナポレオン、フランス皇帝に即位
1804年 12月2日 ナポレオン、パリのノートルダム大聖堂でフランス皇帝の戴冠式
1805年 10月21日 トラファルガーの海戦でフランス海軍が敗れる
1805年 12月2日 ナポレオン、アウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア連合軍を破る
1806年 ナポレオン、イエナの戦いでプロイセン軍を破りベルリンに入城
1807年 ナポレオン、フリートラントの戦いでロシア軍を破る
1810年 ナポレオン、ハプスブルク家のマリー・ルイーズと結婚
1811年 ナポレオン2世誕生
1812年 ナポレオン、ロシア遠征に失敗
1813年 ナポレオン、ライプツィヒの戦いに敗北
1814年 ナポレオン、退位してエルバ島に流される。王政復古によりルイ16世の弟がルイ18世として即位
1814年 5月 ジョゼフィーヌ死去
1815年 3月 ナポレオン、エルバ島を脱出してパリに帰還
1815年 6月18日 ナポレオン、ワーテルローの戦いに敗北
1815年 10月 ナポレオン、セント・へレナ島に流される。再びルイ18世が即位
1821年 ナポレオン、死去
1832年 ナポレオン2世、ウィーンのシェーンブルン宮殿で死去
1840年 12月 ナポレオンの遺体がパリに帰還
1847年 マリー・ルイーズ、死去

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