桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第98回】

『背教者ユリアヌス』(辻邦生)※前半

開催日時 2013年6月29日(土) 14:00~17:00
会場 サンライフ練馬 第二和室  西武池袋線中村橋駅・徒歩5分

開催のあいさつ

今月と来月の2回で辻邦生著作『背教者ユリアヌス』を取り上げます。
この物語は紀元334年秋からローマ帝国を舞台にして展開されていきます。

紀元293年に始まった四分割統治(テトラルキア)制度下で副帝であったコンスタンティヌスは4皇帝並立の混乱期を経て、324年にローマ皇帝に就きます。
彼は首都をビュザンティオンに遷都。古代から続くローマ帝国が西方中心から東方中心の国家に変質する時代を迎えます。
また彼はキリスト教の洗礼を受けた最初の皇帝となり、キリスト教を国教に定めて、結果的には古代ローマからの文化と神教が衰退へ向かう端緒にもなりました。

大帝と呼ばれていたコンスタンティヌスの死後、帝国は3分割され3人の子供達がそれぞれ正帝となります。この時、コンスタンティヌス大帝の弟であったユリウス一族が3兄弟の疑心暗鬼から一族抹殺を画策されます。
ユリウス一族の中でかろうじて虐殺を免れたのが年少であったガルスとユリアヌスの幼い兄弟でした。
その後、3正帝時代が短く、叛乱等を経て次男コンスタンティウスに権力が集約されていきます。

ユリアヌスは暗殺の危険に晒されながらも、多くの友人や学問の師匠を得てギリシア哲学を愛する青年へと成長していきます。
その間もローマ帝国は内紛と暗殺、外敵との戦争が続き、政治的にはエウビウスを筆頭とした宦官が暗躍。私腹を肥やす輩が跋扈し、癒着と驕慢が蔓延する伏魔殿と化していました。
ユリアヌスの兄ガルスは一族の復讐を忘れずに生き抜き、皇帝となっていたコンスタンティウスの皇族による統治の考えによって副帝の地位と皇帝の妹コンスタンティアを妃として西方ローマの統治を行ないます。
しかしコンスタンティアの野望と自身の驕慢さから皇帝への謀反の疑いをかけたれて処刑されます。

そして、政治への野心も興味も全く持たないユリアヌスに副帝の使命が舞い込んできます。その陰にはコンスタンティウス皇帝の疑心暗鬼、そして皇妃エウセピアとユリアヌスとの運命的な出会いがありました。
皇帝のもう一人の妹ヘレナと結婚させられて、西方に位置するガリア統治のために若き哲学青年ユリアヌスが任地へと赴いて行きます。

のちに背教者と呼ばれることになるユリアヌスの人生はどのように展開されていくのでしょうか。
彼が現実にどのような人生を送ったのか。
ユリアヌスが生きたその根底には何があったのか。
なぜ彼は背教者と呼ばれるようになったのか。
その背景にはどんな人達のどのような思いが渦巻いていたのでしょうか。

入手しやすい中公文庫版で上中下の3巻の長編作品でもあります。
今月来月の2回でじっくりと読み込んでいきたいと思います。
当日のご参加もお待ちしております。

著者

辻邦生(つじくにお 1925(大正14)年9月24日 - 1999(平成11)年7月29日)
小説家、フランス文学者。
東京市本郷区駒込西片町に生まれる。父はジャーナリストで薩摩琵琶の伴奏家、母は鹿児島県の医家の出身。辻家の本籍地は山梨県東八代郡春日居町国府(現笛吹市)で、代々の医家。9月24日生まれだったことから、「くにお」と名付けられる。

1930年(昭和5年)に名古屋へ転居し、1932年(昭和7年)に東京へ戻り、赤坂区に住む。
赤坂小学校から旧制日大三中を経て、湯河原に疎開時に一浪し、1944年(昭和19年)に旧制松本高等学校理科乙類へ入学。翌年には文科乙類へ転科し1949年(昭和24年)まで過ごした。
寮生活において斎藤宗吉(北杜夫)と知り合い終生交流し、回覧雑誌や句会を行い、演劇にも親しみ自ら出演もした。
高校卒業後は、東京大学文学部仏蘭西文学科へ入学。大学では渡辺一夫に師事する一方、民生デイゼル(当時、現・UDトラックス)宣伝部嘱託として働き、父の新聞も手伝い記者の仕事もしている。
1952年(昭和27年)に卒業し大学院へ進学。卒業論文は「スタンダール論」。卒業の翌年に、辻佐保子(旧姓後藤、のち名古屋大学名誉教授、ビサンツ美学美術史専攻)と結婚。立教大学助教授、学習院大学文学部フランス文学科教授等を歴任し、後年まで教鞭を執る。学習院大学の同僚に福永武彦がいる。

1957年から1961年までフランス・パリに留学。帰国後の1963年『廻廊にて』で近代文学賞。以後『安土往還記』や『背教者ユリアヌス』などの歴史小説で、様々な文学賞を受けた。
1981年(昭和56年)父の死去を機に辻家の家系を探訪。山梨県立図書館に所蔵されていた「辻家文書」(現在は山梨県立博物館所蔵)などを参照して小説「銀杏散りやまず」として発表。
西行の生涯を描いた歴史小説『西行花伝』で谷崎潤一郎賞を受賞。
1996年、日本芸術院会員。
1999年、別荘がある軽井沢滞在中に急逝。
2004年より『辻邦生全集』(新潮社)が刊行された。
ほかに美術・演劇や映画評などの評論も数多く残している。信濃毎日新聞で連載したエッセイは、「死ぬまで続ける」の言葉どおり、急逝の直前まで続き、『辻邦生が見た20世紀末』として出版されている。
後年はパリ5区、Rue Descartesに位置するポール・ヴェルレーヌが没した建物の左隣に在住した。
没後はヴェルレーヌと並び記念プレートが掲げられている。
(wikipediaから転載)

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