桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第118回】

『ハムレット』(シェイクスピア)

開催日時 2015年2月21日(土) 14:00~17:00
会場 勤労福祉会館 和室(小)
西武池袋線大泉学園駅・徒歩3分

開催。諸々コメント。

『ハムレット』は、シェイクスピアの代表作の一つであり、5幕から構成された悲劇の戯曲です。
正式な題名は「デンマークの王子ハムレットの悲劇」(The Tragedy of Hamlet, Prince of Denmark)。
初演は1601年か1602年とされており、作品としては1600年頃、シェークスピアが36歳頃に構想されたとされています。

戯曲の出版は当時も上演後に編纂されることが多く、『ハムレット』も例にもれず出版までしばらくの期間がかかっています。
最初に出版された本は1603年の発刊された四折本(クウェート版)であることからQ1と呼ばれますが、これはシェイクスピアの自筆によるものではなく、戯曲を観劇した者による作とされており、その後の発刊のものよりもかなり短く不完全とされています。

信頼できる版として、1604年の第二クウェート版(Q2)と1623年に発刊されたFもしくはF1と称されるフォリオ版(二折本)があります。2つの間にはそれぞれ欠けているせりふがあり、日本で上演される演劇の場合は、Q2とFを折衷して底本とすることが多いです。

今回は福田恒存訳(※)、河合祥一郎訳を中心に読み進めたいと思います。

Frailty, thy name is woman.
To be or not to be, that is the question.

シェイクスピアがハムレットに託したテーマは何だったのか。一緒に考えてみたいと思います。
※日本語変換の都合上、当用漢字での表記とさせていただきました。

著者

ウィリアム・シェイクスピア
(William Shakespeare, 1564年4月26日-1616年4月23日(グレゴリオ暦5月3日))
シェイクスピアの生涯についてはほとんど記録が残っておらず同時代の人物の残した資料などから推測するしかない。1564年にイングランドのストラットフォード・アポン・エイヴォンに生れた。誕生日は4月23日とされているが実際には4月26日に洗礼を受けたと伝えられるのみで、誕生日は推測である。父親のジョンは商人で、町長にも選ばれたこともあり、非常に裕福な家庭環境だった。グレマー・スクールで学んだが、家庭が没落してきたため中退したという説もある。この後結婚まで記録が残っていない。
1582年、8歳年上のアン・ハサウェイと結婚。このときすでに彼女は長女スザンナを身籠っていた。1585年に長男ハムネット(シェイクスピアの友人、ハムネット・セドラー夫妻が名付けたらしい)と、次女ジュディスの双子が生れる。この前後にロンドンに出たようである。ロンドンに出た理由には、鹿泥棒をして故郷を追われたなどいくつかの伝説が残っているが、定かではない。当時は、エリザベス朝演劇の興隆に伴って、劇場や劇団が次々と設立されている最中であった。シェイクスピアは俳優として活動するかたわら次第に脚本を書くようになる。
1592年にシェイクスピア作だと思われる『ヘンリー六世 第1部』の上演記録が残っているほか、同じく1592年にはロバート・グリーンの著書『三文の知恵』において、新進の劇作家シェイクスピアへの諷刺と思われる記述がある。これが劇作家としてのシェイクスピアに関する最初の記録であり、それまでの行状が一切不明となっている約7年間は「失われた年月」(The Lost Years)と呼ばれる。
『ヘンリー六世』三部作(1590-92年)を皮切りに、『リチャード三世』『間違いの喜劇』『じゃじゃ馬ならし』『タイタス・アンドロニカス』などを発表し、当代随一の劇作家としての地歩を固める。これらの初期作品は、生硬な史劇と軽快な喜劇に分類される。
ペストの流行により劇場が一時閉鎖された時期には詩作にも手を染め、『ヴィーナスとアドーニス』(1593年)や『ルークリース陵辱』(1594年)などを刊行し、詩人としての天分も開花させた。1609年に刊行された『ソネット集』もこの時期に執筆されたと推定されている。演劇活動が再開された1594年には劇団「宮内大臣一座」(のちに「国王一座」と改称)の中心人物となっていたと考えられ、同劇団の本拠地でもあった劇場グローブ座の共同株主にもなった。
1595年の悲劇『ロミオとジュリエット』以後、『夏の夜の夢』『ヴェニスの商人』『空騒ぎ』『お気に召すまま』『十二夜』といった喜劇を発表。これら中期の作品は円熟味を増し、『ヘンリー四世』二部作などの史劇には登場人物フォルスタッフを中心とした滑稽味が加わり、逆に喜劇作品においては諷刺や諧謔の色付けがなされるなど、作風は複眼的な独特のものとなっていく。
1599年に『ジュリアス・シーザー』を発表したが、このころから次第に軽やかさが影をひそめていったのが後期作品の特色である。1600年代初頭の四大悲劇といわれる『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』では、人間の実存的な葛藤を力強く描き出した。また、同じころに書いた『終わりよければ全てよし』『尺には尺を』などの作品は、喜劇作品でありながらも人間と社会との矛盾や人間心理の不可解さといった要素が加わり、悲劇にも劣らぬ重さや暗さをもつため、19世紀以降「問題劇」と呼ばれている。
『アントニーとクレオパトラ』『アテネのタイモン』などののち、1610年前後から晩期の作品は「ロマンス劇」と呼ばれる。『ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語』『テンペスト』の4作品がこれにあたり、登場人物たちの長い離別と再開といったプロットの他に、超現実的な劇作法が特徴である。長らく荒唐無稽な作品として軽視されていたが、20世紀以降再評価されるようになった。
これらロマンス劇の執筆を最後にロンドンを去り、1612年ストラトフォードに隠退。1616年4月23日に没し、ホーリー・トリニティ教会に葬られた。死因は不明。没後7年を経た1623年、劇団の同僚であったジョン・ヘミングスとヘンリー・コンデルによってシェイクスピアの戯曲36編が集められ、最初の全集ファースト・フォリオが刊行された。

原書

ハムレットには三つの異なる印刷原本が存在しており、二つの四折版(quatro)をQ1とQ2、もう一つの二折版(folio)をF1と呼ぶ。
Q1(1603年、約2150行):短縮版を役者の記憶に基づき再現(マーセラス役の俳優を買収か?)した海賊版とされているが、現在では真正であり、Q2の原型ではないかと考えられている(安西徹雄の訳により光文社 から2010年に出版されている(ISBN 4334752012))。 Q2(1604年 - 1605年、約3700行):草稿版。真正かつ完全なる原稿であり、海賊版に対抗して(現在の説ではQ1の改訂版として)出版された。
F1(1623年、Q2の230行を削り、80行追加):演出台本版。劇団保管の演出台本にQ2を参考にして制作された。

作品の構成

第一幕
第一場 - エルシノア城。防壁の上。
第二場 - 城内。国務の間。
第三場 - ポローニアスの館。その一室。
第四場 - 防壁の上。
第五場 - 防壁の上、別の場所。

第二幕
第一場 - ポローニアスの館。その一室
第二場 - 城内の一室。

第三幕
第一場 - 城内の一室。
第二場 - 城内の大広間。
第三場 - 城内の一室。
第四場 - ガートルード妃の部屋。

第四幕
第一場 - ガートルード妃の部屋。
第二場 - 城内の一室。
第三場 - 城内の、別の一室。
第四場 - ガートルード妃の部屋。
第五場 - 城内の一室。
第六場 - 城内の、別の一室。
第七場 - 城内の、別の一室。

第五幕
第一場 - 墓地。
第二場 - 城内の大広間。

物語のあらすじ

デンマーク王が急死する。王の弟クローディアスは王妃と結婚し、跡を継いでデンマーク王の座に就く。父王の死と母の早い再婚とで憂いに沈む王子ハムレットは、従臣から父の亡霊が夜な夜な城壁に現れるという話を聞き、自らも確かめる。亡霊に会ったハムレットは、実は父の死はクローディアスによる毒殺だったと告げられる。

復讐を誓ったハムレットは狂気を装う。王と王妃はその変貌ぶりに憂慮するが、宰相ポローニアスは、その原因を娘オフィーリアへの実らぬ恋ゆえだと察する。父の命令で探りを入れるオフィーリアを、ハムレットは無下に扱う。やがて、王が父を暗殺したという確かな証拠を掴んだハムレットだが、母である王妃と会話しているところを隠れて盗み聞きしていたポローニアスを、王と誤って刺殺してしまう(「ねずみかな」という台詞があるが、本当にねずみと思っていたわけではない)。オフィーリアは度重なる悲しみのあまり狂い、やがて溺死する。ポローニアスの息子レアティーズは、父と妹の仇をとろうと怒りを燃やす。

ハムレットの存在に危険を感じた王はレアティーズと結託し、毒剣と毒入りの酒を用意して、ハムレットを剣術試合に招き、秘かに殺そうとする。しかし試合のさなか、王妃が毒入りとは知らずに酒を飲んで死に、ハムレットとレアティーズ両者とも試合中に毒剣で傷を負う。死にゆくレアティーズから真相を聞かされたハムレットは、王を殺して復讐を果たした後、事の顛末を語り伝えてくれるよう親友ホレイショーに言い残し、死んでいく。

主な登場人物

ハムレット(Hamlet):デンマーク王国の王子。
ガートルード(Gertrude):ハムレットの母。クローディアスと再婚している。
クローディアス(Claudius):ハムレットの叔父。ハムレットの父の急死後にデンマーク王位につく。
先王ハムレットの亡霊(King Hamlet, the Ghost):先代のデンマーク王。ハムレットの父。クローディアスの兄。
ポローニアス(Polonius):デンマーク王国の侍従長。王の右腕。
レアティーズ(Laertes):ポローニアスの息子。オフィーリアの兄。
オフィーリア(Ophelia):ハムレットの恋人。ポローニアスの娘。
ホレイショー(Horatio):ハムレットの親友。
ローゼンクランツとギルデンスターン
(Rosenkrantz and Guildenstern)
:ハムレットの学友。
フォーティンブラス(Fortinbras):ノルウェー王国の王子。
オズリック(Osric):廷臣。ハムレットとレアティーズの剣術試合で審判を務める。

劇中の有名なせりふ

Frailty, thy name is woman.
ハムレットが、夫の死後すぐに義理の弟であるクローディアスと再婚した母・ガートルードに対する批難の台詞。日本語では、坪内逍遥などが「弱き者よ、汝の名は女」と訳したものが有名である。しかし、この訳文では弱き者とは即ち保護すべき対象を指し、レディーファーストの意と誤解をしばしば招くことがあり、坪内も後に「弱き者」を「脆(もろ)き者」と再翻訳している。なお、この台詞は当時の男性中心社会の中で、女性の貞操観念のなさ、社会通念への不明(当時のキリスト教社会では義理の血縁との結婚は近親相姦となりタブーであった)などがどのようにとらえられていたかを端的に表す言葉としても有名である。また、語呂のよさから様々な場所で引用の対象とされる。(例:松原正作の戯曲『脆きもの、汝の名は日本』)

To be, or not to be
劇中で最も有名な台詞。明治期に『ハムレット』が日本に紹介されて以来、この台詞は様々に訳されてきた。『ハムレット』は、読む者の視点によって多様に解釈できる戯曲であるが、この現象はその特徴を端的に現していると言える。この台詞は有名ではあるが、訳すのが非常に困難だとされている。
「To be or not to be, that is the question.」という文は、この劇全体からすれば、「(復讐を)すべきかすべきでないか」というようにもとれる。しかし近年の訳では「生きるべきか死ぬべきか」という訳が多い。初期の日本語訳の代表的なものには、坪内逍遥の「世にある、世にあらぬ、それが疑問ぢゃ」(1926年)などがある。

Get thee to a nunnery!
ハムレットがオフィーリアに向かって言った台詞であり、特に論議を呼ぶ場面を構成する。大きく分けて二つの解釈がある。 当時、尼寺では売春が行われており、隠語で淫売屋を表現する言葉だった。ハムレットはオフィーリアに単に「世を捨てろ」と言っただけでなく、「売春婦にでもなれ」と罵ったのである。
文字通りに俗世間を離れ女子修道院(尼僧院)に入ってほしいと願った。この場面ではポローニアスがハムレットを背後で伺っているが、オフィーリアには穢れた政治に関わらず昔のままに清らかな存在でいて欲しいと願った。
尼寺を単純に「売春宿」と解釈するかしないか、については研究者の間でも議論があり、決着がついているわけではない。ただし、「尼寺」を「売春宿」と解釈する研究者は少数派と言われている。

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