桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第123回】

『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫)

開催日時 2015年7月11日(土) 14:00~17:00
会場 サンライフ練馬 第二和室 西武池袋線中村橋駅・徒歩5分

開催。諸々コメント。

1985年8月12日。
その日、日本史上最悪の飛行機事故は起こった。
日本航空の羽田発大阪行きジャンボジェット機が突如としてレーダーから消えた。
後世に日航123便墜落事故として知られるこの事故の被害は甚大で、乗客乗務員524名中生存はわずか4名だった。
墜落現場は山深い地形であり、救出作業は困難を極めた。

群馬県御巣鷹山に墜落した航空機事故を追う新聞記者たちの死闘がこの作品のテーマである。

主人公悠木和雅は、群馬県の地元紙「北関東新聞」、通称キタカンに勤務する遊軍記者である。 5年前の出来事を機に閑職のような人生を送っている悠木の趣味は山登り。社内の山岳同好会に所属し、その日は営業部の安西耿一郎と谷川岳の衝立岩に登るはずだった。
しかし悠木は、突如として起こった航空機事故取材の全権デスクに任命される。

事故現場、被害者家族、一般読者、新聞社内の派閥抗争...。
それぞれが家族との葛藤を抱えながら、極限の現場で決断を迫られる場面の連続。
なによりもこの事故はなぜ起きてしまったのか?
地元新聞記者たちが苦しみ、もがき、その思いをどのような記事にしたのか。
この作品では事故発生から一週間の激闘が描かれていきます。

作品のタイトルである「クライマーズ・ハイ」とは、登山者の興奮状態が高まり、恐怖心が麻痺してしまう状態を指す言葉。難所をクリアしていく達成感から自分に酔って実力を超えた場所も乗り越えていくが、突然その状態が解けることがある。そうするとよみがえってきた恐怖心によってその場所から一歩も動けなくなることもあると言う。
いま自分は冷静に挑戦しているのか、それともクライマーズ・ハイなのか。
その見極めは難しいのではないだろうか。

事故発生から今年8月12日で30年を迎えます。
節目のこの時に、今一度あの事故を振り返りながら読み進めてみたいと思います。

作者

横山 秀夫(よこやま ひでお、1957年1月17日 - )
東京都立向丘高等学校、国際商科大学(現在の東京国際大学)商学部卒業。1979年上毛新聞社に入社。以後12年間記者として勤務。
1991年「ルパンの消息」が第9回サントリーミステリー大賞佳作を受賞したことを契機に退社。以後フリーランス・ライターとして『週刊少年マガジン』にて漫画原作(ながてゆか作画『PEAK!』など)や児童書の執筆、警備のアルバイトなどをする。
1998年に「陰の季節」で第5回松本清張賞を受賞し小説家デビュー。
2002年、『半落ち』が第128回直木三十五賞候補作となる。しかし、選考委員の北方謙三が、この小説中で重要な鍵となる要素について関係機関に問い合わせたところ「現実ではありえない」との回答を得て、北方は選考会でこの回答を報告、「半落ち」は現実味に欠けると批判され落選した(受賞作なし)。
また本作が各種ランキングで1位になったことに対して、選考委員・林真理子が講評の記者会見で「欠陥に気づかず賞を与えた業界も悪い」とミステリー業界を批判し、のちに雑誌で「欠陥があるのに売れ続けるなんて、読者と作者は違うということ」と読者をも批判した。目黒考二は選考委員を非難し、「直木賞にそこまで権威があるのか」と論議が起こる。横山は、ミステリー作家たちだけでなく読者までもが侮辱されたと反論し、直木賞と訣別宣言をする。選考会での意見を受けて、横山は独自に再調査をし、設定のうえで事実誤認はなかったと確信し、直木賞を主催する日本文学振興会に事実の検証を求めたが、回答がないまま『オール讀物』の選評で、「作者による誤認」という点が修正されないまま掲載され、候補者からの質問に答えようとしない主催者に『権威のもつ驕り』を感じ取った横山は、直木賞との決別を宣言した。同作品は2004年1月に映画化(佐々部清監督)され、横山は法廷記者としてエキストラ出演している。
2003年に刊行された『クライマーズ・ハイ』は、著者が記者時代に遭遇した日航機墜落事故取材の体験をまとめたもの。作中の「北関東新聞」は「上毛新聞」のことである。作中で上毛新聞は、北関東新聞の競争相手として何度か登場している。
しばらく体調を崩していたが、2012年、7年ぶりに刊行した『64』がベストセラーになり、「週刊文春ミステリーベスト10」で1位に輝くなど完全復活した。数千枚の原稿を捨てながら作品の完成度を上げることに努力したという。

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