桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第122回】

『グスコーブドリの伝記』(宮沢賢治)

開催日時 2015年6月20日(土) 14:00~17:00
会場 勤労福祉会館 和室(小) 西武池袋線大泉学園駅・徒歩3分

作者

宮沢賢治(1896~1933)
明治29年(1896年)花巻で生まれる。
童話と詩(心象スケッチ)の創作活動のほか、教育者、農業者、天文・気象・地理・歴史・哲学・宗教・化学・園芸・生物・美術・音楽などの造詣が深く、活動分野は多岐にわたった。
18歳の時に出会った法華経信仰を生涯貫いた。
24歳で盛岡高等農林学校研究生を修了後、国柱会に入会。25歳のときに父と信仰をめぐって対立、東京に出奔するが妹トシの発病を機に帰郷。5年余り花巻農学校教諭を勤め、30歳の時に羅須地人会を設立。
農村の改良と農民芸術の興隆を願って農耕自炊の生活を始めて、農民講座等を行なう。2年後の8月に粗食と過労で発病。
その後健康を回復し東北砕石工場に勤務し、土壌改良のための肥料用炭酸石灰の普及に尽力するが、半年後再び病床に。
自らの理想郷をイーハトーブと呼んだ農民詩人は昭和8年(1933年)9月21日37歳で永眠。

作品の背景

本作にはその前身となる作品、1922年(大正11年)頃までに初稿が執筆されたと推定される『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』がある。この作品は「ばけもの世界」を舞台とし、苦労して育った主人公であるネネムが「世界裁判長」に上り詰めながら慢心によって転落するという内容の作品。
賢治はこの作品のモチーフを利用しながら、およそ10年の間に作り変え(その過渡的形態を示す『ペンネンノルデは今はいないよ』という創作メモが残されている)、1931年(昭和6年)頃に本作とほぼ同じ内容を持つ下書き作品『グスコンブドリの伝記』を成立させた。
賢治は詩人・佐藤一英が編集・発行した雑誌『児童文学』の創刊号に『北守将軍と三人兄弟の医者』を発表したのに続き、本作を発表する。その発表用と思われる清書原稿の反故が数枚現存しているが、その中には上記の『グスコンブドリの伝記』の終わりのほうに裏面を転用したものがあり、『グスコンブドリの伝記』が完結しない段階で冒頭から『グスコーブドリの伝記』の清書を行うという差し迫った状況を垣間見せる。『グスコンブドリの伝記』と本作を比較すると、『グスコンブドリ』での細かいエピソードの描写を省略した箇所がいくつか存在している。賢治の実弟である宮澤清六も評伝『兄・賢治の生涯』で「後半を書き急いでいるような印象」を指摘している。
なお、本作の発表用原稿の執筆時期については1931年(昭和6年)夏に書かれた書簡に「(『児童文学』に対して童話を)既に二回出してあり」という表現が見られる一方、『兄・賢治の生涯』ではこの作品の執筆をめぐるエピソードが1932年(昭和7年)春の話として出てくる。このため1931年夏にいったん送った後、書き直しを求められたのではないかとする意見もあるが詳細は不明である。

主な登場人物

グスコーブドリ
ブドリとも呼ぶ、本編の主人公。イーハトーブの森に暮らす樵(きこり)・グスコーナドリの長男として生まれる。冷害による飢饉が原因で一家離散の憂き目に遭った後、森一帯を買収した資本家の経営するてぐす工場で働くが、火山噴火による降灰被害で工場は閉鎖する。続いて、山師的な農家「赤ひげ」のもとに住み込み、農作業の手伝いと勉強に励む。その後、興味を持っていたクーボー大博士の学校で試問を受け、イーハトーブ火山局への就職を紹介される。火山局では着実に技術と地位を向上させていき、数々の業務に携わり、ひとかどの技師になる。しかし27歳のとき、またしてもイーハトーブを冷害が襲い、ブドリは苦悩する。
ネリ
ブドリの妹。冷害による飢饉の時、自宅を訪れた男に攫われてしまうが、泣き叫んだ事が却って幸いし、置き去りになった牧場の夫婦に救われ養女になる。後年、新聞の記事で火山局に勤務するブドリが無理解な農民から暴行された事件を知り、兄と再会を果たす。その時には牧場の主人の長男に嫁いでいた。のちに息子を出産し、母親となる。
グスコーナドリ
ナドリとも呼ぶ。ブドリとネリの父親。樵(きこり)をしていたが、冷害による飢饉の際に家族に食料を残すため、家を出ていってしまう。ブドリの母ナドリの妻で、ブドリとネリの母親。飢饉の際、ナドリの後を追うようにやはり家を出て、二度と戻らなかった。
人さらい
序盤でネリを誘拐した男。売身目的だったが誘拐してから3日後、ネリの泣き声の大きさに耐えられなくなり、とある小さな牧場の近くに置き去りにしてしまった。 てぐす飼い
ブドリたちの家と森一帯を買収し、てぐす工場を経営する資本家。森の外れで行き倒れていたブドリに声をかけ、てぐす工場で働かせる。のちに火山噴火の影響でてぐすが全滅したため、工場を放棄し、ブドリに野原(農地)で働くことを勧める。
赤ひげ
広大な沼ばたけ(水田)を所有し、オリザ(稲)などの投機的な作付けをしている農家の主。ブドリを雇って働かせるとともに、亡くなった息子の本をブドリに与えて勉強させた。
おかみさん
赤ひげの妻。夫が投機的な作付をすることを快く思わないが、それでも愛想を尽かさずに家計を支える。 赤ひげの隣人
赤ひげの隣に沼ばたけと水口を持つ男。自分の沼ばたけや水口に、他人が手を入れることを嫌う。 クーボー大博士
イーハトーブでは高名な学者。無料の学校を一か月間開いており、最終日に志願制の試問を行い、優秀な生徒に職を斡旋している。作中では、類を見ない優れた解答を行ったブドリに火山局を紹介した。自家用飛行船を持っており、それを使って移動している。ブドリが就職した後も、専門知識が必要な場面で相談に乗っていた。クーボー大博士のキャラクターは、賢治の盛岡高等農林学校での恩師である関豊太郎がモデルとも言われている。
ペンネンナーム
通称はペンネン技師。火山局に務める老技師で、ブドリのよき相談相手。「ペンネンナーム」の名は、本作品の前身にあたる『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』の名残でもある。

作品のあらすじ

グスコーブドリ(ブドリ)はイーハトーブの森に暮らす樵(きこり)の息子として生まれた。冷害による飢饉で両親を失い、妹と生き別れ、火山噴火の影響による職場の閉鎖などといった苦難を経験するが、農業に携わったのち、クーボー大博士に出会い学問の道に入る。課程の修了後、彼はペンネン老技師のもとでイーハトーブ火山局の技師となり、噴火被害の軽減や人工降雨を利用した施肥などを実現させる。前後して、無事成長し牧場に嫁いでいた妹との再会も果たした。

ブドリが27歳のとき、イーハトーブはまたしても深刻な冷害に見舞われる。火山を人工的に爆発させることで大量の炭酸ガスを放出させ、その温室効果によってイーハトーブを暖められないか、ブドリは飢饉を回避する方法を提案する。しかし、クーボー博士の見積もりでは、その実行に際して誰か一人は噴火から逃げることができなかった。犠牲を覚悟したブドリは、彼の才能を高く評価するが故に止めようとするクーボー博士やペンネン老技師を冷静に説得し、最後の一人として火山に残った。ブドリが火山を爆発させると、冷害は食い止められ、イーハトーブは救われた。

1994年、2012年に映画化された。


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