桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第125回】

『出口のない海』(横山秀夫)

開催日時 2015年9月23日(水祝) 14:00~17:00
会場 勤労福祉会館 和室(小)
西武池袋線大泉学園駅・徒歩3分

開催。諸々コメント。

太平洋戦争の開始前から終戦後までをテーマにした先月の『落日燃ゆ』に続き、今月は終戦直前の一時期を描いた『出口のない海』を取り上げます。
太平洋戦争の末期。日本海軍は海洋における特攻兵器として人間魚雷「回天」を開発し実戦に投入しました。この史実を踏まえて青春群像として書かれたのが本作品です。

主人公・並木浩二は甲子園で優勝した投手である野球選手。
A大学に進学するが右ヒジの故障で3年間リハビリを続けている。その並木が魔球を開発して試合に復帰すると宣言する。その日は昭和16年12月8日。日本がハワイ真珠湾を攻撃した日米開戦の日と重なった。

魔球開発を目指して黙々と練習を続ける並木は次第に時代の潮流に飲み込まれていく。戦況の悪化に伴い大学野球リーグは中止になり、学生の中からも志願して戦場に行く者が現れる。
昭和18年9月21日。学生に対する徴兵猶予の全面停止が決定。10月21日、出陣学徒壮行会が行われた。海軍に配属された並木は対潜学校に入るが、そこで「敵撃滅の特殊兵器」の志願が募られた。特殊兵器とは何か?「挺身一撃必殺」「特に危険を伴う」との表現の他は何も説明が行われないまま「この特殊兵器に乗って戦闘に参加したければ名前と二重マルを書け」と告げられる。
ぎりぎりまで迷う並木。そして彼は二重マルを書いた。
並木が、日本海軍が秘密裏に準備してきた人間魚雷「回天」に搭乗することが決定した。

なぜ並木は回天に登場することを選んだのか?
そしてどのような思いで回天出撃までの訓練を受けたのか。
そしてその結末は...。
淡い恋心も交錯する。
魔球の完成を誓っていた野球選手が戦争へと突き進んだ人生。

終戦70年の秋に今一度戦争とは何かを考えてみたいと思います。

水中特攻の経緯

1943年末、甲標的搭乗員の黒木博司大尉と仁科関夫中尉が人間魚雷の構想を血書で省部に上申したが、12月28日軍令部総長永野修身は却下。
マーシャル陥落、トラック島空襲を受けて中央は1944年2月26日初の特攻兵器となる「人間魚雷」の試作を決定、海軍はここから組織的特攻に動き出した。最初は搭乗員の水中放出を条件としていたが、1944年4月4日、軍令部第二部長黒島亀人により「作戦上急速実現を要望する兵力」として「体当たり戦闘機」「装甲爆破艇(震洋)」「大威力魚雷(回天)」の特攻兵器の開発が提案された。軍令部はこれを検討後、他の兵器とともに「装甲爆破艇(震洋)」「大威力魚雷(回天)」の緊急実験を海軍省に要望した。海軍省海軍艦政本部は仮名称を付して担当主務部を定め特殊緊急実験を開始した。
マリアナ沖海戦の敗北を受け、1944年6月25日元帥会議が行われた。伏見宮博恭王が「陸海軍とも、なにか特殊な兵器を考えこれを用いて戦争をしなければならない。戦局がこのように困難となった以上、航空機、軍艦、小舟艇とも特殊なものを考案し迅速に使用するを要する」と発言。 陸軍の参謀本部総長東條英機、海軍の軍令部総長嶋田繁太郎はすでに考案中であると答えた。
会議後、軍令部総長兼海軍省大臣の嶋田繁太郎は、海軍省に奇襲兵器促進班を設け、実行委員長を定めるように指示。1944年7月1日大森仙太郎が海軍特攻部長に発令される(正式就任は9月13日)。
大森の人選は、水中特攻を重視しての人選であり、大森は全権を自分に委ねてどの部署も自分の指示に従うようにするという条件を出して引き受けた。
1944年9月13日海軍省特攻部が発足。特攻兵器の研究・調査・企画を掌握し実行促進を行う。
1944年7月10日特攻兵器回天の部隊として第一特別基地隊の編成が行われる。
1944年7月21日、総長兼大臣の嶋田繁太郎は連合艦隊司令長官豊田副武に対して特殊奇襲兵器(「回天」)の作戦採用が含まれた「大海指四三一号」を発令した(水中特攻のみで航空では夜間の奇襲作戦が採用されている)。

回天 実行を取り巻く推移

1941年12月08日 日米開戦
1943年09月21日 学徒徴兵猶予の全面停止 閣議決定
1943年10月21日 学徒出陣壮行会
1944年02月26日 海軍軍務局 「○六」の暗号名で人間魚雷の試作を命令
1944年08月 下旬 対潜学校の学生に特殊兵器搭乗の志願が募られる
1944年11月20日 回天 初出撃

主な登場人物

並木浩二 - 海軍少尉 / 回天搭乗員。甲子園で優勝したA大学野球部ピッチャー
北勝也 - 海軍中尉 / 回天搭乗員。A大学陸上部
鳴海美奈子 - 並木の恋人
伊藤伸夫 - 回天隊整備員
佐久間安吉 - 回天搭乗員
沖田寛之 - 回天搭乗員
小畑聡 – A治大学野球部マネージャー
剛原力 – A大学野球部キャッチャー
並木幸代 - 並木の妹
馬場大尉 - 光基地先任将校
戸田航海長 - イ号潜水艦航海長
剣崎中尉 - 光基地将校

作者

横山 秀夫(よこやま ひでお、1957年1月17日 - )
東京都立向丘高等学校、国際商科大学(現在の東京国際大学)商学部卒業。1979年上毛新聞社に入社。以後12年間記者として勤務。1991年「ルパンの消息」が第9回サントリーミステリー大賞佳作を受賞したことを契機に退社。以後フリーランス・ライターとして『週刊少年マガジン』にて漫画原作(ながてゆか作画『PEAK!』など)や児童書の執筆、警備のアルバイトなどをする。
1998年に「陰の季節」で第5回松本清張賞を受賞し小説家デビュー。
2002年、『半落ち』が第128回直木三十五賞候補作となる。しかし選考委員の北方謙三が、この小説中で重要な鍵となる要素について関係機関に問い合わせたところ「現実ではありえない」との回答を得て、北方は選考会でこの回答を報告、「半落ち」は現実味に欠けると批判され落選した(受賞作なし)。また本作が各種ランキングで1位になったことに対して、選考委員・林真理子が講評の記者会見で「欠陥に気づかず賞を与えた業界も悪い」とミステリー業界を批判し、のちに雑誌で「欠陥があるのに売れ続けるなんて、読者と作者は違うということ」と読者をも批判した。目黒考二は選考委員を非難し、「直木賞にそこまで権威があるのか」と論議が起こる。横山は、ミステリー作家たちだけでなく読者までもが侮辱されたと反論し、直木賞と訣別宣言をする。選考会での意見を受けて、横山は独自に再調査をし、設定のうえで事実誤認はなかったと確信し、直木賞を主催する日本文学振興会に事実の検証を求めたが、回答がないまま『オール讀物』の選評で、「作者による誤認」という点が修正されないまま掲載され、候補者からの質問に答えようとしない主催者に『権威のもつ驕り』を感じ取った横山は、直木賞との決別を宣言した。同作品は2004年1月に映画化(佐々部清監督)され、横山は法廷記者としてエキストラ出演している。

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