桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第148回】

『人間の土地』(サン=テグジュペリ)

開催日時 2018年5月12日(日) 14:00~17:00
会場 勤労福祉会館 和室(小) 西武池袋線大泉学園駅・徒歩3分

開催。諸々コメント。

今回はサン=テグジュペリの代表作『人間の土地』を取り上げます。

航空がまだ黎明期だった時代。
サン=テグジュペリは操縦士として生死の境を飛び続けました。
帰還しなかった同僚もいる中で、サハラ砂漠に不時着したサン=テグジュペリは奇跡的な生還を果たします。
その間の心の葛藤、疲弊していく身体と心。死と直面する日々を送るがゆえなのかサン=テグジュペリの語る人生の哲学は一つひとつの言葉に重みが増していきます。
目の前に雪に閉ざされた山脈や、乾ききった砂漠が現れるような描写の文章と心の襞を言葉にのせたかのような文章も俊逸です。
自身の現状とも重ね合わせながら読み進めたいと思います。

作品の背景

『人間の土地』は、1939年にフランスで出版された。飛行士としての15年間の経験を基に巧みな筆致で語るエッセイで、極限状態での僚友との友情や、人間らしい生き方とは何か、が主題となっている。出版の同年にアカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞した。
主に語られているのは1926年以降の郵便飛行士としての経験で、作者はラテコエール社での僚友アンリ・ギヨメに同書を捧げている。
フランス語の原題 Terre des hommes は、著者が書き残した戯画等を考え合わせると、直訳すれば「人間達の地球」という意味であると思われる。東欧圏では「人びとの惑星」と訳すのが一般的である。アメリカ版の題は Wind, Sand and Stars となっている。

作品の構成

序文  人間の使命について。
第1章 定期航空
作者がラテコエール社に入社したばかりの駆け出しの飛行士であったころの思い出。
第2章 僚友
勇敢な僚友たちの思い出をふり返り、人間らしい生き方について語る。
第3章 飛行機
技術の進歩とは何を意味するかについて。この章は一貫してギヨメへと語りかける形式で書かれている。
第4章 飛行機と地球
飛行機がはじめて見せる地球の姿について。
第5章 オアシス
アルゼンチンで招待された、おとぎ話のような一軒家での出来事について。
第6章 砂漠で
サハラ砂漠での現地民との交流について、砂漠の魅力について。
第7章 砂漠のまん中で
リビア砂漠にて墜落・遭難し、奇跡的に生還した経験について。
第8章 人間
人間の本質とは何か、なぜ挑戦し続けるのかについて。

他の作品への影響

この作品で描かれる飛行士としての経験は、作者の他の作品にも大きな影響を与えている。
夜間飛行
「定期航空」や「僚友」には、果敢に新航路を開発する僚友や、親友が消息不明になった経験、服務規程を徹底する支配人など、『夜間飛行』の原型になったと思われるエピソードが多数描かれている。
星の王子さま
『星の王子さま』の主人公はサハラ砂漠の単独飛行中に不時着しているが、この元になったと思われる「砂漠のまん中で」は、リビア砂漠(サハラ砂漠の一部分。エジプトとリビアにまたがる)での遭難体験(1935年12月。墜落地点はカイロ西方200km)である。これとは別に1927年2月、サハラ西部に不時着し、2日後にギヨメに救出されるという体験もしている。
南方郵便機
「砂漠で」のエピソードのうちいくつかは、『南方郵便機』にそのまま挿入されたものだと作者自身が『人間の土地』の中で語っている。

作者

アントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリ(1900年6月29日 - 1944年7月31日)
フランスの作家、操縦士。郵便輸送のためのパイロットとして、欧州-南米間の飛行航路開拓などにも携わった。読者からは「サンテックス」の愛称で親しまれる。

リヨンの伯爵の子として生まれる。イエズス会のノートルダム・ド・サント・クロワ学院を経て、スイスのフリブールにある聖ヨハネ学院では文学にいそしむ。
兵役(志願)で陸軍飛行連隊に所属し、異例の経歴で軍の操縦士(士官)となる。退役後(士官であったため、陸軍予備役少尉となる)は自動車販売員などに就業した後、民間航空界に入る。
1926年、26歳で作家として本格的にデビューし、寡作ながら以後、自分のパイロットとしての体験に基づいた作品を発表。著作は世界中で読まれ、有名パイロットの仲間入りをしたが、仲間のパイロットの間では反感も強かったという。
後に敵となるドイツ空軍にも信奉者はおり、サン=テグジュペリが所属する部隊とは戦いたくないと語った兵士もいたという。
1935年、フランス-ベトナム間最短時間飛行記録に挑戦するも機体トラブルでサハラ砂漠に不時着、一時は絶望視されるも3日後に徒歩でカイロに生還した(この体験が後の『星の王子さま』に反映されている)。
1939年9月4日、第二次世界大戦で召集され、トゥールーズで飛行教官を務めた。前線への転属を希望したサン=テグジュペリは、伝手を頼り、周囲の反対を押し切る形で転属を実現させる。戦闘隊や爆撃隊は希望せず、1939年11月9日、オルコントに駐屯する偵察隊(II/33 部隊)に配属された。部隊は多大の損害を受けアルジェリアへ後退したが、ヴィシー政権がドイツと講和。動員解除でフランス本土へ戻った後、アメリカへ亡命。1940年12月21日リスボン出航。12月31日ニューヨーク着。
亡命先のニューヨークから、自由フランス空軍(自由フランス軍の航空部隊)へ志願、再度の実戦勤務で北アフリカ戦線へ赴き、1943年6月に原隊である II/33 部隊(偵察飛行隊)に着任する。新鋭機に対する訓練期間を経て実戦配置されたが、その直後に着陸失敗による機体破損事故を起こし、1943年8月に飛行禁止処分(事実上の除隊処分)を受けてしまう。必死の尽力により復帰を果たすと、爆撃機副操縦士としての着任命令(I/22部隊)を無視する形で、1944年5月、サルデーニャ島アルゲーロ基地に進出していたII/33部隊に戻った。部隊は後にコルシカ島に進出。
1944年7月31日、フランス内陸部グルノーブル、シャンベリー、アヌシーを写真偵察のため、ロッキード F-5B(P-38の偵察型)を駆ってボルゴ飛行場から単機で出撃後、地中海上空で行方不明となる。

主な作品

南方郵便機(Courrier Sud、1929年6月)
夜間飛行(Vol de Nuit、1931年10月)
人間の土地(Terre des Hommes、1939年3月)
戦う操縦士(Pilot de Guerre、1942年)
ある人質への手紙(Lettre à un Otage、1943年2月または6月)
星の王子さま(Le Petit Prince、1943年4月)
城砦(Citadelle、1948年。未完)
若き日の手紙1923-1931(Lettres de Jeunesse(1923-1931)、1953年)
手帳(Carnets、1953年)
母への手紙(Lettres à sa Mère、1955年)
人生に意味を(Un Sens à la Vie、1956年)
戦時の記録(Écrits de Guerre、1982年)
踊り子マノン・他(全4巻2007年)(和訳の刊行は未定)
名の明かされない女性への手紙(Lettres à L'inconue、2008年)

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