桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第156回】

『人間失格』太宰治

開催日時 2024年2月3日(土) 10:30~12:30
開催方法 オンライン開催

開催。諸々コメント。

4年半の期間を経て、桂冠塾をオンラインで再開します。
「再開第一作目は短編で」ということで選びました。

作者

太宰治(だざいおさむ)
本名:津島修治(つしましゅうじ)。
1909年6月19日生まれ。1948年6月13日没。
津軽の大地主の津島家の六男として生まれる。父は貴族院議員、衆議院議員を勤めた名士で「金木の殿様」と呼ばれた。
当時台頭してきたデモクラシー、マルキシズムの影響も受け、新興の大地主の息子に罪悪感に近い感情を抱いたとも思われ、弘前高校から東京大学仏文科に進学。非合法共産党へのカンパから共産主義活動に参加するようになる。
手段を選ばぬ共産主義運動に強い違和感と絶望を覚えた太宰は運動から脱落。地主の六男という中途半端な自分を自ら滅ぼすことが社会への唯一の奉仕と思い込み、21歳の時に出会ったばかりの女性と鎌倉の海で投身自殺を図るが、女だけが死に太宰は生き残る。
遺書のつもりで書き始めた書簡を第一創作集『晩年』として著す(昭和11年)。この時太宰は27歳。熱望していた芥川賞は落選するが奇しくも作家の道を歩き始める。
この年の10月にパビナール中毒治療のため入院し根治するが太宰の真意を理解しないままの入院の勧めに信頼していた人達に絶望する。
太平洋戦争に向う時期から戦争末期そして終戦後の混迷の時代に、妥協を許さない創作活動を続けた数少ない作家の一人である。
井伏鱒二に師事し、潜在的二人称の独特の文体が特徴で短編を中心に多くの作品を発表。戦中と敗戦後の混沌荒廃した日本において多くの人々に希望と魂の叫びを呼び覚まし続けたといっても過言ではない。なかでも『斜陽』(昭和22年)は大きな反響を呼び、若者を中心に多くの人々に影響を与えた。
代表作に『走れメロス』『富岳百景』『女生徒』『津軽』『新ハムレット』『パンドラの匣』など多数。
しかし太宰自身の人生は4度の自殺未遂、薬物中毒、過度の飲酒で悲惨を極めた。
1948年、喀血を繰り返すようになった太宰は6月13日山崎富栄と玉川上水に入水自殺した。

作品の章立て

はしがき
第一の手記
第二の手記
第三の手記
あとがき

作品のあらすじ

はしがき
「私は、その男の写真を三葉、見たことがある。」
という文章から始まる。
その三枚の写真は
・十歳前後で大勢の女性に取りかこまれた写真
・学生時代の写真
・白髪で汚い部屋の片隅で火鉢に手をかざす写真
いずれも奇妙な表情をしている。
一枚目は猿が醜い皺をよせるような作り物の笑顔。
二枚目は美貌になっているが生命の充実感が全くない。
三枚目は死相よりもいやな気持にさせる不吉なにおいがする特徴がない顔。
この男の手記が紹介されるというストーリーだ。

第一の手記
東北の田舎の裕福な家庭に生まれた自分(葉蔵)。
自分には人間の生活が見当つかないという。
物事の意味や理由、空腹という感覚や隣人の苦しみの性質や程度がまるで見当がつかない。
他人と何を話したらいいかもわからない。
考え出した方法は「道化」であった。
本心を隠し何をすれば相手が喜ぶかを考えて行動することを身に着けた。一方で女中や下男から哀しいことを教えられて犯されていた。人の表と裏の顔を知り人間不信、女性不信になり女性に付け込まれる誘因になっていったと綴る。

第二の手記
中学校に進学した自分。
ここでも道化を演じて暮らしていたが、同級生の竹一に正体を見抜かれる。竹一を手懐けることに腐心。竹一は「お前は、きっと、女に惚れられるよ」と予言のように言う。竹一から贈られた「お化けの絵」に自分の人生の道を決定したように感じて自分も「お化けの絵」を書くようになる。竹一は「お前は、偉い絵描きになる」と言った。
下宿先の姉妹との交流も綴っている。
4年生で修了し東京に出て高等学校に進む。 短い寮生活を経て、議員である父の上野桜木町の別荘で暮らす。
画学生・堀木正雄と出会い、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想を知る。女達者と言われて自分と女性の関係を考える。
非合法の感覚に楽しみを感じて共産主義の会合にも参加する。
父親の議員引退で別荘を引き払い、本郷森川町の下宿に引っ越して困窮するように。
学業も画の勉強も放棄し、高等学校に入学して2年目。
金が無く、共産主義運動が忙しくなり、逃げ出して死ぬことを決意。
当時自分に好意を寄せていた3人の女性がいた。下宿屋の娘、共産主義「同志」の女、そしてカフェの女給ツネ子。
一夜の関係を持ったツネ子に生まれて初めて恋の心を抱き、鎌倉の海で入水する。ツネ子は死に、自分は生き残った。
取り調べを受けた検事から演技を見透かされて人生最大の屈辱を感じる。

第三の手記(一)
高等学校から追放され、後見人のヒラメの家で居候する。将来を問い詰められて漫画家になると決意。
堀木の家で出会った雑誌編集者シヅ子と娘シゲ子の家に転がり込み、彼女の紹介で雑誌に漫画を掲載するように。
幸せな母娘の生活を壊してはいけないと思った自分はその家を出て、京橋のスタンドバーのママの部屋に居候し、漫画を描きながら酒浸りの日々を送る。
バーの向かいのタバコ屋の娘ヨシ子の純粋無垢さに心を打たれて結婚する。

第三の手記(二)
ヨシ子と結婚して隅田川近くのアパートで暮らし酒をやめ仕事をするようになった自分だったが、堀木の訪問を機に放蕩の生活に戻ってしまう。
堀木とアパートの屋上で飲んでいる時に罪の対語は罰なのかと思い至り、その直後にヨシ子が出入りの商人に暴行される場面に遭遇する。
神に問う。信頼は罪なりや。
無垢の信頼心は、罪なりや。

その年の暮れ、大量の睡眠剤で自殺を図るが、死ねずにヨシ子と離縁する。
暴行を止めることもできず逃げ出した自分を責め酒に溺れ喀血。近くの薬屋で薬を求めモルヒネ中毒になり、薬屋の女主人とも関係を持った。
地獄から逃れたいと実家の父に手紙を出すと、兄達が訪れ脳病院に入院させられる。
神に問う。無抵抗は罪なりや。
人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
まさに廃人。

3ケ月後再び兄が訪ねてきて父が逝去したことを告げる。田舎で療養するように言われて東北では暖かい海辺の温泉地に古い家を購入して六十近い女中と暮す。
それから三年。平穏に暮らす。
いまは自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
(中略)
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分はことし、二十七になります。
白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。

あとがき
この筆者は疎開した友人を訪ねて船橋市に行った際に立ち寄った喫茶店のマダムから三枚の写真と手記が書かれたノートを預かった経緯を綴る。
マダムは10年前の京橋のバーのマダムだった。
マダムは言う。
あの人のお父さんが悪いのですよ。
私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・・・・神様みたいないい子でした。

太宰治氏の人生は何だったのか

太宰治氏の遺作は『グッド・バイ』であるが未完でもあり、完結した作品としては最後の作品である『人間失格』を、その内容と雑誌連載中に心中を遂げたことから実質的な遺作としてとらえている人も多い。
太宰氏の経歴とあわせてみていくと『人間失格』が太宰氏自身の人生を投影して書かれていると考えるのが妥当だろう。
その理由を多くの人が自説を展開しているので興味のある方はそれぞれ読んでいただきたいと思うが、あえて実質的な遺作と考える理由をひとつだけ指摘すると、作品に主題がないと感じるからだ。
太宰氏自身の人生の外観を淡々と綴っている。どちらかというと、なげやりに。そこには内面の描写とか主張とか悔恨とかテーマと言ったものはないように感じる。ただ、淡々と綴っている。『人間失格』を書き残すことが人生の最後の仕事だと言っているかのように。書き終えた太宰氏はこれで人生は終わった、やり残したことはないというような気持ちになったのではないか、そのように感じる。これが私が『人間失格』を実質的な遺作と考える一番の理由である。

誤解のないように言い添えると、内面の描写がまったくない、というわけではない。
竹一や警察官に道化を見抜かれた驚き。
ヨシ子が暴行される場面にすくんでしまった自分を責める思い。
真意を告げられずに信頼していた人達によって精神病院に送り込まれた時の絶望感。
いずれもこの作品の重要な場面であり、その描写は俊逸ですらある。
しかし太宰氏の心根の奥底は垣間すら見せていない。ただ一箇所を除いて。

生涯を通して太宰氏の生き方には自己肯定感がない。
『人間失格』を彼自身の人生となぞるならば、物心ついた時から周囲の人達との違和感が彼の感情の器を一杯にしている。なぜそのような感情になり、その後もその状態が続いたのかは彼自身の文章からは読み取ることはできない。太宰氏自身が書こうとすら思ったことがなかったのかもしれない。
自分は何のために生まれてきたのか。そんな自問の日々が続いていたであろうことは文章の端々から読み取れる。青森県の大地主の家系に生まれ、父は名家からの入り婿で県議会議員、衆議院議員、貴族院議員を勤めたブルジョア層に属していた。ただ六男であり、生まれながらに家の身代をつぐことはない立場。太宰氏が自身の生きる意味を見出しえなかったのもそれなりの背景があったとも思える。
旧制弘前高等学校在学時の自殺未遂をはじめとして生涯で3回の自殺未遂を重ね、4回目にして自殺を遂げる。初回の自殺未遂の理由を「私は賤民ではなかった。ギロチンにかかる役のほうであった」と綴っている。当時20歳の太宰氏の心根の一端であったであろう。
初回は一人で死のうとしたがそれ以外は女性との心中(未遂)である。浴びるように酒に飲まれて薬に溺れ、共産主義運動にのめりこみ、女性との愛欲にまみれた人生。依存体質と言ってしまえばそれまでだが、何を目指して生きていたのか。太宰氏自身が彷徨っていたのか、そもそもそうしたことを考えようとしなかったのか、考えようとしたがその思いを振り捨てようとして自堕落な生活に落ちていったのか。
私たちに太宰氏の真意はわからない。太宰氏自身もわかっていたのかもわからない。

『人間失格』は中学生の時に初めて読んだ。手にした契機ははっきりとは覚えていないが夏休みの読書感想文を書こうとしたのかもと思う。当時の大手出版社が挙げる“中高生に読んでほしい名著100選”みたいな感じで紹介される作品にも入っていたと思う。当時読んでみてなぜ『人間失格』が読んでほしい本なのかと疑問に感じたことは覚えている。その頃に『走れメロス』も読み、これが同じ作者による作品なのかと驚いた記憶が鮮明に残っている。

大学時代に再読したが正直に思ったことを書けば「もう読まなくていいや」と。
希望も生きることへの示唆も何もなくて、読むだけ時間が無駄だと感じて、その後『人間失格』を手にすることはなかった。
ただひとつ、作品の最後にマダムにつぶやかせた言葉がどのような意図なのか、そのことが心に引っかかっていた。
この最後のつぶやきだけが太宰氏の心の内面を見せている。
その真意は、本当のところはわからない。
ただ何かを、言いたかったことがあったのだろうと感じるただひとつの箇所であった。

今回40年ぶりに読んだ。
やはり夢も希望も、何もない。
しかし間違いなく、太宰治が生涯をかけた名作だ。
一読をお勧めする。

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