桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第30回】

『わかったつもり-読解力がつかない本当の原因-』(西本克彦)

開催日時 2007年9月29日(土) 14:00~17:00
会場 サンライフねりま・和室(小)西武池袋線中村橋駅・徒歩5分

開催。諸々コメント。

日常の中にあっても理解が深化しない状態を、よく「わからない箇所がわからない」という表現をすることがあります。
この著書で指摘している「わかったつもり」の状態とは、理解が浅いにもかかわらず「わかった」と思っている状態であり、ここからいかにして抜け出すことができるのかを考察した本であると言えます。

しかし、簡単に「わかったつもり」と言っても、その本人は「必要なだけの理解ができている」と思っているわけですから、自分が「つもり」になっているとは、もちろん思えない状態です。

あなたは、自分の回りの人と話をしていて、共通の話題で会話が成り立っているのに「どこか理解されていないなぁ」「さらっと流されてるなぁ」と感じたことはありませんか?私もついそんなことをしてしまうことがあり、つい先日も反省をしたばかりです(^_^;)
また、重大なテーマを語り合っているのにその問題の本質が理解できる人とできない人に分かれてしまう...。そんな深刻な場面に遭遇した人も少なからずいるのではと思います。 「話す」と「読む」で少し場面は違いますが、今回の本はそうした理解の度合いの違い、肌で感じる温度差の違いがどこに起因するのかという問題について、ひとつの考えが述べられている一書ともいえると思います。
この「わかったつもり」は、情報化社会に暮している(と思っている)私たち現代人が罹っている病理の表層なのかも知れません。

作品の前半では、なぜ「わかったつもり」の状態が生まれるのか、「わかったつもり」にはどのようなパターンがあるのかを、わかりやすい文章事例を挙げて、読者が自ら追体験できる構成になっています。
西林氏は、よりよく文章を読もうとする際に障害となるのは「わかった」という状態(わかったつもり)にあると指摘し、この「わかった」状態を壊すことが、よりわかるために不可欠であると指摘しています。一見わかったような(^^;)当たり前のような、それでいて何を言っているのかよくわからないという人もいると思います。

そして後半は、「整合性」と「妥当性」の違いを明確にしながら、「わかったつもり」の状態を壊して脱出するための具体的方法を提案していきます。
最終章では国語教育に対する違和感についての彼の持論と提案も書かれており、現場の教育者としての一端ものぞかせていて興味深い構成になっています。

とても平易な表現でわかりやすい文章で綴られている本書ですが、その論理展開は重要な示唆を含んでいます。
本を読むということを、少し違う視点で考え、更に読書が好きになれるきっかけのひとつにもなればと思っています。

当日の様子など

当日開始直後に、まず参加者に読後の印象を聞きました。 参加者の中には
「西林氏が取上げている文例がしっくりしない」
「著者が言うような、そこまで文脈を読み取る必要があるのか」
という懐疑的な意見を持った方もいました。
最初に読後感を聞いたねらいは、3時間の桂冠塾を経た後で、その読後感がどのように変わるのかを実感してほしいと思ったからです。
そのねらいは達成できたように思います。

古今東西の様々なジャンルから毎月一冊を取上げるというのが経験塾の趣旨ですが、「本を読む」こと自体を考えるという意味では参加者にも好評だったようです。
新書サイズで読みやすいボリュームだったので参加いただいた全員が読了しての出席でした。これは30回目にして初めてのことです。全員が読了していたのでチェアマンとしても進めやすく、当初予定していた討議内容を一通り終えることができたのも初めてでした。
読了するということも大切だなと改めて感じました。

作者

西林克彦。 1944年生まれ。宮城教育大学教育学部教授。 主な著作『親子でみつける「わかる」のしくみ』『間違いだらけの学習論』など。

作品の章立て

第一章 「読み」が深まらないのはなぜか?
1.短い物語を読む
2.「わからない」と「わかる」と「よりわかる」
3.「わかったつもり」という困った状態

第二章 「読み」における文脈のはたらき
1.文脈がわからないと「わからない」
2.文脈による意味の引き出し
3.文脈の積極的活用

第三章 これが「わかったつもり」だ
1.「全体の雰囲気」という魔物(その1)
2.「全体の雰囲気」という魔物(その2)
3.「わかったつもり」の手強さ

第四章さまざまな「わかったつもり」
1.「わかったつもり」の“犯人”たち
2.文脈の魔力
3.ステレオタイプのスキーマ

第五章 「わかったつもり」の壊し方
1.「わかったつもり」からの脱出
2.解釈の自由と制約
3.試験問題を解いてみる
4.まとめ

読解力がつかない本当の原因

誤解を恐れずにこの本をざくっと概観すれば、西林氏の考える「読解力がつかない本当の原因」とは、本来は文章を正確に理解するために行なわれている文脈の理解と既存スキーマの発動という2つの大きな構成要素が魔力と化することで起こると展開します。
そしてその2つは文章を構成する「部分」を読み飛ばしたり読み違えたりすることによって発生するというのが西林氏の持論と言えるでしょう。
言い換えれば、このことで「わかったつもり」から脱出することができるということになります。

【本書から】「文脈」「既存のスキーマ」の働き

本書から短い例文を二つ紹介しましょう。
この例文は「文脈」「既存のスキーマ」の働きを気づかしてくれる初歩的な文章です。
みなさんはそれぞれ何について(またはどのような状況を)述べている文章かわかりますか? そして「なぜ理解できたのか」または「なぜ理解できなかったのか」考えてみたいと思った方は是非この本を読むことをお奨めします。
*例文(1)
新聞の方が雑誌よりもいい。街中より海岸の方が場所としていい。最初は歩くより走る方がいい。何度もトライしなくてはならないだろう。ちょっとしたコツがいるが、つかむのは易しい。小さな子供でも楽しめる。一度成功すると面倒は少ない。鳥が近づきすぎることはめったにない。ただ、雨はすぐにしみこむ。多すぎる人がこれをいっせいにやると面倒がおきうる。ひとつについてかなりのスペースがいる。面倒がなければ、のどかなものである。石はアンカーがわりに使える。ゆるんでとれたりすると、それで終わりである。(ブランスフォードたちの実験材料より)
*例文(2)
風船が破裂すれば、なにしろすべてがあまりに遠いから、音は目当ての階に届かないだろう。ほとんどの建物はよく遮蔽されているので、窓が閉まっているとやはり届かないだろう。作戦全体は電流が安定して流れるかどうかによるので、電線が切れると問題が起こるだろう。もちろん、男は叫ぶこともできるが、人間の声はそんなに遠くまで届くほど大きくはない。付加的な問題は、楽器の弦が切れるかもしれないことである。そうすると、メッセージに伴奏がつかないことになる。距離が近ければよいのは明らかである。そうすれば、問題の起きる可能性は少ない。顔を合わせている状態だと問題が少なくてすむだろう。(ブランスフォードたちの実験材料より)

作品のイメージ

参考文献

『読む力・聴く力』河合隼雄・立花隆・谷川俊太郎(岩波書店)
『読書へのアニマシオン』有元秀文(学習研究社)
『中学校・高等学校 PISA型「読解力」』田中孝一監修(明治書院)
『もしもしおかあさん』(金の星社)
『正倉院とシルクロード』(講談社)
『間違いだらけの学習論』西林克彦著(新曜社)

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