桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第31回】

『下流志向』(内田 樹)

開催日時 2007年10月27日(土) 14:00~17:00
会場 サンライフねりま・第二和室 西武池袋線中村橋駅・徒歩5分

開催。諸々コメント。

今月の本は内田樹著『下流志向 学ばない子供たち働かない若者たち』です。
皆さんは『義務教育』と聞いて「子どもには小中学校に行く義務がある」と思っていないだろうか?内田氏は時代の移り変わりの中で変化してきた現代人の意識の危うさを指摘しています。
小学校で授業を始めると児童が「先生、それが何の役に立つの?」と尋ねてくる。絶句するか、子供でもわかるもっともらしい目先の利益を説くような対応か、大人はそのいずれしか反応できない。
もっともらしい回答をする親や教師にも問題があるとする。
答えられない質問というものがあるのだ、と内田氏は言います。

大人世代の人間にとって「子供からの質問に絶句する」という事態は、殆どの場合において受入れ難いと思っているに違いないと私は思う。こうした思考経路それ自体に、病根が存在しているのかもしれません。

そして内田氏は、幼少期から子供は経済面では消費の主体として社会と接するという立場に位置しているのが現代の実態だという。
かつての時代においては、子供が社会と接する早い段階での行為は家庭内労働であった。家の片付けや母親の家事手伝いなどがその代表であり、子供は労働主体として社会経験を始めたのだという。
これをはじめとして様々な状況が「等価交換」的発想を定着させたと論調は進んでいきます。
こうしたいくつかの視点から「学ばない子供たち」「働かない若者たち」はなぜ生まれてきたのかを論じている一書です。

作者

内田樹(うちだたつる)
1950年東京生まれ。神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。 主な著作『ためらいの倫理学』『先生はえらい』など。

作品の章立て


第一章学びからの逃走
1.新しいタイプの日本人の出現
2.勉強を嫌悪する日本の子ども
3.学力低下は自覚されない
4.「矛盾」と書けない大学生
5.わからないことがあっても気にならない
6.世界そのものが穴だらけ
7.オレ様化する子どもたち
8.想定外の問い
9.家庭内労働の消滅
10.教育サービスの買い手
11.教育の逆説
12.不快という貨幣
13.生徒たちの意思表示
14.不快貨幣の起源
15.クレーマーの増加
16.学びと時間
17.母語の習得
18.変化に抗う子どもたち
19.「自分探し」イデオロギー
20.未来を売り払う子どもたち

第二章リスク社会の弱者たち
1.パイプラインの亀裂
2.階層ごとにリスクの濃淡がある
3.リスクヘッジとは何のことか?
4.三法一両損という調停術
5.リスクヘッジを忘れた日本人
6.代替プランを用意しない
7.自己決定・自己責任論
8.貧しさの知恵
9.構造的弱者が生まれつつある
10.自己決定する弱者たち
11.勉強しなくても自信たっぷり
12.学力低下は「努力の成果」

第三章労働からの逃走
1.自己決定の詐術
2.不条理に気づかない
3.日本型ニート
4.青い鳥症候群
5.転職を繰り返す思考パターン
6.「賃金が安い」と感じる理由
7.労働はオーバーチーブ
8.交換と贈与
9.IT長者を支持する理由
10.実学志向
11.時間と学び
12.「学び方」を学ぶ
13.工場としての学校

第四章質疑応答
1.アメリカン・モデルの終焉
2.子どもの成長を待てない親
3.育児と音楽
4.高速化する社会活動
5.師弟関係の条件
6.教育者に必要な条件
7.無限の尊敬
8.クレーマー化する親
9.文化資本と階層化
10.家族と親密圏
11.新しい親密圏
12.ニートの未来
13.ニート対策は家庭で
14.余計なコミュニケーションが人を育てる
15.付和雷同体質
16.相手の話を聴かない人々
17.時間性の回復策
18.身体性の教育

批判することに潜む他者の軽視

近年の悪しき傾向のひとつとして私は「充分に理解しないうちに相手を批判する」という言動が気になっています。
充分な吟味をせず相手の発言を遮るように速攻で批判する。それも論議すべき論点ではなく、相手の存在を否定するかのような発言が何の脈絡もなく飛び出してくることが多々あります。何を言えば最も効率的に相手にダメージを与えることができるかだけを考えているような、批判することで相手よりも優位に立てると思っているかのような錯覚をしているのかなと感じることもあります。

それは書籍を読む姿勢にも現れています。
古今東西の名作や長編作品が読まれなくなった原因の一端がこうした傾向にあるように感じます。
時間に追われて仕事でも生活でも早い決断が求められ、Web時代を迎えて以前ほどの努力を必要とせず結果を求めることができる現代人にとって、我見を挟まずに多くの時間を費やして読書することは、ある意味での忍耐と境涯変革を必要としていると感じています。
そうした観点からみても、内田氏の主張する下流志向の論調には高い賛同を感じます。

ニートとか、ワーキングプアとか、ネットカフェ難民だとか、やたらとカタカナ文字で表現される現代人の生活実態。本来ならば相当な深刻さをもって語られなければならないはずが、なぜか軽く受け流されている病根を探る一端になるかもしれない。
そんな気持ちも込めて読みすすめてみたいと思います。

なぜ「積極的に学ばない」選択を始めたのか

タイトルからは今どきの話題本かと思われるかもしれませんが、読了すると著者の内田さんは確固たる教育者であることが理解できます。実に多くの気づきと指摘が盛り込まれています。ここ数年の出版本の中では群を抜く作品であると感じます。参加したメンバーの反響も高かったです。

なぜ若者(これを私は現代人と言い換えたほうがより正確だと思う)は自ら「積極的に学ばない」選択を始めたのかという大きなテーマを真正面から取組み、教育へのビジネス概念の導入の愚かさ、不快という貨幣による解析の試み、自己責任とリスクヘッジの欠落、時間概念があってこそ理解できるという教育の捉え方、その根本にある師弟関係の欠落の指摘など、その論理展開は納得のいく点が多々あります。

教育をビジネス概念で捉える危険性

教育の大半をビジネス概念で捉えることの危険性の指摘には思い当たる点がいくつもあります。
これは学校教育だけでなく、少し仕事ができるという感覚の人々が多用するのがビジネス用語(しかもアメリカ仕込のカタカナ用語)でもあり、日常生活の場面でも特異な空気が流れることがあります。その言葉を使っている本人は「さも的確に状況を捉えている」かのような錯覚に陥っていることに気がついていない。
内田さんが展開する教育における「等価交換」概念の導入や子どもが消費行動から社会生活に入っていくという指摘などは「果たしてそれで多くが説明できるのなかぁ」という疑問を抱く人もいるかもしれませんが、それはひとつの見方として読み進めるのがよいと思います。
内田さんが論じたいのはそうした個々の解釈ではなく、私たちはどうしたらいいのかというこれからの提案ですから個々の解釈にこだわる必要はないと思いまます。

「不機嫌」が持つ悪意

一例として挙げている「不機嫌」という不快貨幣を使い始めた現代人の性向についての指摘には多くの共感が得られると思います。私もこのことは日頃から気になっていました。
「不機嫌」についてはゲーテも論じている古典的なテーマでもあります。
この10年20年の間に、皆さんの回りに「不機嫌な人」が増えたなぁと感じたことはありませんか?道を歩いていてすれ違いざまに肩がぶつかってお互いによろけてしまった。
そんなときあなたなら、どうするでしょうか?
「すみません」「大丈夫ですか?」といいますか?
あなたは言うかもしれませんが、相手の人は同じように言うでしょうか。
近年断然増えてきた反応は、
・不機嫌そうに相手をにらむ
・「ちっ」と舌打ちをする
・「気をつけろよ!」と相手を怒鳴る…。
こんな光景が日常になったように感じるのは私だけではないと思います。

交通事故の場合でもそうです。事故を起こしたとしても「絶対に先に謝ってはいけない」というのが常識になっています。
なぜ謝ってはいけないんでしょう?
車同士がぶつかってしまった。相手のドライバーは大丈夫だろうか?そんな気持ちを言葉にしてはいけない。そんなことがいつから常識になったのでしょうか。

これは単なる一例にすぎませんが、まわりの社会環境がこれでは、いくら自分一人が健康で気持ちよく生きようと思っても、人の中に出て行くと、どうしてもいやな気持ち、他人を警戒する気持ちになってしまう…。
その結果として、次第に人との関わりは最小限度にして、他人とは必要以上に関わらないようにしようという生活スタイルが主流を占めるようになったように感じます。
これらの行動の原因の一つに、不機嫌という態度をとることによってその後の交渉を優位に進めようという経済概念が働いているという内田さんの指摘は的を得ている部分があると思います。

人と人との繋がり

しかし、このような時代になったからこそ、人と人との繋がりが真摯に求められるようになってきていると私は感じます。
「二十四の瞳」「金八先生」を紹介しながらの教育者のあり方、「スターウォーズ」のメインテーマは師弟関係にあるという文脈からの師弟の重要性の展開などは正鵠を得た論理展開だと喝采を送りたいです。

おそらく今年のベストセラーの一冊となるこの本。
今年の終りまでに多くの人に読んでいただきたいと思います。

話題に出たテーマ等々。

・相対評価を重視する入試に偏向した現代日本においては親も子どもも全体としての学力低下を自覚することが難しい。
・現代人の異常なまでの読み飛ばし能力の発達は過剰な情報の氾濫にその一因があるのではないか。
・「好きか嫌いか」「わかるかわかんないか」で判断する傾向は近年著しい。そうした人達には論理的説得は無意味である。
・義務教育は保護者にとっての義務であり、教育を受ける本人にとっては権利である。その認識は確実に欠落している。言葉の持つ責任は大きい。
・「なぜ学ぶのか?」という問いかけには大きな危険を孕んでいる。本源的な問題意識を持つことは非常に重要である。しかしそれが自分が理解できる範囲だけで判断する傾向が定着することが重大な問題である。
・子どものことではない。現代の大人の病理のほうがずっと深刻だ。
・子どもの苦役としての授業時間との等価交換。極論とも思えるが確実に心理の一面も指摘していると思う。
・開き直りとしか見えない行為も交渉を有利に運ぶための大人のやり方の模倣だとみれば理解できる。
・家庭内労働の消滅は時代の流れ。これは現実的には難しい。
・不快貨幣とは的確な表現だ。子どもだけでなく現代人はこの病理に冒されている。
・学びとは自らが知らないこと、想像できないことを教えてもらおうという行為。自ら理解できるかできないかで学習を始めるかどうかを決めるというのは明らかな自己矛盾。それを思考停止のまま学びから逃走することが時流になってしまった。

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