桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第32回】

『貧しき人びと』(ドストエフスキー)

開催日時 2007年11月24日(土) 14:00~17:00
会場 石神井公園区民交流センター 第二会議室 西武池袋線石神井公園駅・徒歩1分

開催。諸々コメント。

今月はドストエフスキー作『貧しき人びと』を読んでみたいと思います。
ドストエフスキーには『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『白痴』など長編の代表作品が並んでいます。特に近年、新装丁での『カラマーゾフの兄弟』がベストセラーに上がるなどブームにもなりました。
まだまだ読みづらい大作というのが私たちのロシア文学への正直な認識かもしれません。
『貧しき人びと』はドストエフスキーの処女作であり、短編でもあるので最初に読む作品として推奨されている方も多いようです。

登場人物は少し年配になっている下級官吏マーカル・ジェーヴシキンと幸薄い少女ワーレンカ。二人の往復書簡という形式で構成されています。
純愛小説といえば純愛小説ですし、中年を過ぎて結婚に恵まれない独身男性の悲哀といえば悲哀に満ちた小説でもあり、時代が移り変わっても、人が抱える問題は変わりないことを痛感させられもします。
それぞれの人が、それぞれの立場でじっくりと読んでみたいと思う一書です。

主な登場人物

マカール・ジェーヴシキン
ワルワーラ・ドブロショーロワ(ワーレンカ)
フェードラ
アンナ・フョードロヴナ
ブイコフ
閣下

交わされた手紙

1)4月8日(→ワルワーラ)
2)4月8日(→マカール・ジェーヴシキン)
3)4月8日(→ワルワーラ)
4)4月9日(→マカール・ジェーヴシキン)
5)4月12日(→ワルワーラ)
6)4月25日(→マカール・ジェーヴシキン)
7)5月20日(→ワルワーラ)
8)6月1日(→マカール・ジェーヴシキン)※手帳同封
9)6月11日(→マカール・ジェーヴシキン)
10)6月12日(→ワルワーラ)

11)6月20日(→マカール・ジェーヴシキン)
12)6月21日(→ワルワーラ)
13)6月22日(→ワルワーラ)
14)6月25日(→マカール・ジェーヴシキン)
15)6月26日(→ワルワーラ)
16)6月27日(→マカール・ジェーヴシキン)
17)6月28日(→ワルワーラ)
18)7月1日(→マカール・ジェーヴシキン)
19)7月1日(→ワルワーラ)
20)7月6日(→マカール・ジェーヴシキン)

21)7月7日(→ワルワーラ)
22)7月8日(→ワルワーラ)
23)7月27日(→マカール・ジェーヴシキン)
24)7月28日(→ワルワーラ)
25)7月28日(→ワルワーラ)
26)7月29日(→マカール・ジェーヴシキン)
27)8月1日(→ワルワーラ)
28)8月2日(→マカール・ジェーヴシキン)
29)8月3日(→ワルワーラ)
30)8月4日(→マカール・ジェーヴシキン)

31)8月4日(→ワルワーラ)
32)8月5日(→マカール・ジェーヴシキン)
33)8月5日(→ワルワーラ)
34)8月11日(→ワルワーラ)
35)8月13日(→マカール・ジェーヴシキン)
36)8月14日(→マカール・ジェーヴシキン)
37)8月19日(→ワルワーラ)
38)8月21日(→ワルワーラ)
39)9月3日(→マカール・ジェーヴシキン)
40)9月5日(→ワルワーラ)

41)9月9日(→ワルワーラ)
42)9月10日(→マカール・ジェーヴシキン)
43)9月11日(→ワルワーラ)
44)9月15日(→マカール・ジェーヴシキン)
45)9月15日(→ワルワーラ)
46)9月19日(→ワルワーラ)
47)9月23日(→マカール・ジェーヴシキン)
48)9月23日(→ワルワーラ)
49)9月27日(→マカール・ジェーヴシキン)
50)9月27日(→ワルワーラ)

51)9月28日(→マカール・ジェーヴシキン)
52)9月28日(→ワルワーラ)
53)9月29日(→ワルワーラ)
54)9月30日(→マカール・ジェーヴシキン)
55)日付なし(→ワルワーラ)

当日の様子など

参加されていた増田さんが以前からドストエフスキー作品を様々読まれていましたので様々補足をしていただきながらディスカッションを行なうことができました。

ドストエフスキーは1821年にモスクワで生まれています。トルストイと同時代を生きたロシアを代表する作家の一人です。ただ生涯を通してトルストイとの交流は生まれなかったようです。
雑誌『時代』で連載したコラム「作家の日記」でトルストイの作品を高く評価するなど、若くして高い評価を得ていたドストエフスキーのほうは「トルストイのような作品を書いてみたい」と親しみを感じていたようですが、トルストイはドストエフスキーがあまり好きではなかったのかもしれません。そんな話題をはじめ様々な感想を交わしました。

私の読後感の一端ですが、なんとなく読みにくいのではと根拠もなく思い込んでいたドストエフスキーって「けっこう読みやすい」。
逆に、さらっと読み流してしまいそうなくらいです。時間つぶしくらいのつもりでも読めてしまいますし、そうした評価もなされてしまう危惧も感じます。
今年「カラマーゾフの兄弟」の新訳が出版されてベストセラーになっています。この作品自体も未完成という評価になっていて(ドストエフスキー自身が続編を構想していると言いつつ他界している)、いわゆるミステリー小説として読まれています。
訳者の亀山郁夫氏は月刊誌『潮』12月号寄せた「ドストエフスキーの蝶」と題した一文でその楽しみの一端を紹介もしています。
そのこと自体は何も悪いわけではないのですが、彼自身が生涯に残した作品に一貫した主題(テーマ)が存在することをみていくことも別の側面を知ることにもなります。

それは「ネワ河の幻影」と彼自身が呼んだ心的体験です。
この時の強烈な印象を生涯の作品の中で現そうとしたのではないかと思われます。
その意味では時代や社会情勢が作品の舞台として反映されることがあったとしても、時代の思想が彼の作品に大きな影響を与えたという印象はどこにも感じることができません。
そうした意味においても、ドストエフスキーは稀有な作家であったのではないかと感じています。

作品の感想

ドストエフスキーという作家は、日本での評価はともかく、祖国ロシアでの評価はどうなっているかなと興味を覚えた。
「日本ではともかく」と書いたのは、「ロシア文学は難しい」という既存イメージが固まっている感もあり、ドストエフスキー作品を読んでいる人が少ないのでないかとおもうからである。

さしずめ日本時作家でいえば夏目漱石か横溝正史、松本清張といった評価だろうか。
さらっと読んでもおもしろい。しかし作品の底流に流れる作者の思いに気持ちを遣りながら読み進めると、深く感じ入るものがある。そんな思いを抱く作家である。
ブログでも指摘したが、ドストエフスキーという作家が描き出す作品が「当時の思想背景に影響を受けた」という形跡は見当たらない。
大半の創作活動のモチーフは「ネワ河の幻影」から出発している。
よくいえば、心的体験を生涯をかけて表現し続けたといえる。
あえて逆の見方をすれば、自己の世界にのみ創作活動の源泉を求めたにすぎない。
これがドストエフスキー作品の特異で独特の世界を創出している由縁のひとつではないだろうか。

ドストエフスキーという人物と作品の背景

本名:フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(:Фёдор Михайлович Достоевский)。
1821年11月11日(ユリウス暦10月30日)~1881年2月9日(ユリウス暦1月28日)。 レフ・トルストイやアントン・チェーホフとともに19世紀後半のロシア文学を代表する小説家、思想家。
当時広まっていた理性万能主義(社会主義)思想に影響を受けた知識階級(インテリ)の暴力的な革命を否定し、キリスト教、殊に正教に基づく魂の救済を訴えた。
実存主義の先駆者とも評される。
モスクワの貧民救済病院の医師の次男に誕生。15歳まで生家で暮らす。
1846年、処女作『貧しき人々』を批評家ベリンスキーが「第二のゴーゴリ」と激賞、華々しく作家デビュー。
その後『白夜』『二重人格』は酷評され、ミハイル・ペトラシェフスキーが主宰する空想的社会主義サークルのサークル員となったため、1849年に官憲に逮捕。死刑判決を受けるが処刑間際で特赦が与えられ1854年までシベリアで服役。
兵士勤務後1858年にペテルブルクに帰還。この間に理想主義者的な社会主義者からキリスト教的人道主義者へと思想的変化があった。その後『罪と罰』を発表、評価が高まる。
自身の賭博好き、持病のてんかんが創作に強い影響を与えたといわれている。賭博の借金返済のため出版社と無理な契約をして締め切りに追われる日々を送った。過密スケジュールのため『罪と罰』、『賭博者』等は口述筆記の作品である。
速記係のアンナ・スニートキナはドストエフスキーの2番目の妻となる。
小説以外の著作として『作家の日記』がある。
雑誌『市民』で担当した文芸欄コラム(のちに個人雑誌として独立)であり、文芸時評、政治社会評論、エッセイ、短編小説、講演原稿(プーシキン論)、宗教論(熱狂的なロシアメシアニズム)を含み、ドストエフスキー研究の貴重な文献となる。
その中で「トルストイのような作品を書きたい」と賛辞を送ったこともあるが、トルストイから連絡があったような事実は確認できなかった。
晩年1880年に集大成の『カラマーゾフの兄弟』を脱稿。1881年1月28日に家族に看取られ60歳で逝去。残した著作は35篇で、短編も少なからず残されている。

作品が書かれた時代背景

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(:Фёдор Михайлович Достоевский) 1846年 本作品を発表(23歳)。
1844年1月 「ネワ河の幻影」心的体験
1840年代のペテルブルクの民衆の貧困

ロマノフ朝ロシア
▼アレクサンドル1世(在位1801~25年)
→国内改革の着手と侵攻の時代
▼ニコライ1世(在位1825~55年)
→ロシア・トルコ戦争(1828~29年)
→デカブリストの乱(貴族将校の反乱/ロシア社会の開明化、立憲君主制、共和制を要求)
→第三部(秘密警察)による自由主義運動の取り締まり
▼アレクサンドル2世
→1861年 農奴制を廃止(農奴解放令)

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