開催内容 桂冠塾【第35回】
『人形の家』(イプセン)
開催日時 | 2008年2月23日(土) 14:00~17:00 |
---|---|
会場 | 石神井公園区民交流センター(第二会議室) 西武池袋線石神井公園駅・徒歩1分 東京都練馬区石神井町2-14-1 |
開催。諸々コメント。
イプセンの『人形の家』といえば、女性解放、女性自立を謳った作品というイメージが強く印象づけられているのではないかと思います。それはそれとしての認識だと思いますが、それだけの作品だと考えるのはイプセンの思いからすれば非常に狭い解釈になってしまうのだと感じます。
『人形の家』は1879年に三幕構成の演劇としてデンマークで初演され、現在も世界各地で上演されています。作品的にも短編の部類であり、読みやすい作品です。
イプセンがこの作品を通して書き伝えたかったもの。
この作品の覚書には「権威への信仰」と書き残されています。この「権威への信仰」を打破することを、イプセンが目指していたと考えるのが順当であると思われます。
主人公ノラの生き方と通して、またノラに対する周囲の人々の対応や考えを通してイプセンは、人間としていかに生きようとするのがより素晴らしい人生なのかを訴えようとします。彼はそれを「人間の精神の革新」と呼びました。
女性には女性でなければできない使命がある。
それは私には私にしかできない、あなたにもあなたにしかできない使命があると深く信じて自らの人生を切り拓こうとする日々の格闘と同様であると私は思います。 主人公ノラが描かれた19世紀末の時代と21世紀をすごしている私たちとの違いはあるものの、人としてよりよく生きようとする思いは合い通じるものがあるように思えてなりません。
一部には「各幕毎の展開が単純だ」「ノラ自身の行動がいいかげんだ」「結末が単純すぎる」等々の批評もある作品でもあります。
ぜひ今一度、自分の目で読み返してほしいと思う一冊です。
作品の感想
作品が発表された当時、女性の人権確立が叫ばれていた時代背景とも重なって、女性の自立と権利を主張した作品のように思われがちですがそれにとどまる作品でないことは読み返してみると明白です。人の幸福とは何か?
人は何のために生きるのか?
こうした生命の本質的な問いかけが随所にちりばめられています。主人公のノーラ(以前の訳本ではノラ)とその夫ヘルメルのすれ違う会話の本質は、価値観の相違そのものでありました。
舞台が開いた時にすでに行われていたノーラの違法行為。ヘルメルにとってはストレートに違法かどうかが問題であるのに対して、ノーラはその行為の動機や目的が一番大切だと思っている。思いが純粋であるのだからその行為は罪ではないと法律書のどこかに書いているはずだと、頭から思い込んで微塵も疑わない。
ノーラへの金銭の貸主であり、夫ヘルメルの就任先の部下になる男であり、かつて手形の偽サインで社会的に失墜しているクロクスタに、脅迫に似た要求を突きつけられて、ノーラの過去の違法行為が白日の下に晒された時。
彼女とヘルメルの状況に対処する姿とその行動理由が実に対照的だ。
そして、リンデ夫人の役回りと絡まってクロクスタがノーラの違法行為の暴露を放棄したあとのヘルメルの豹変振りは決定的だ。
失笑さえ出てくる場面だが、しかし、ヘルメルのとった行為を浅はかだと誰が言えるだろうか。
ヘルメル的行為は、私達の日常生活の中で、実に頻繁に行われており、常態化している。
しかしそのヘルメルの行為がノーラにとって決定的だったのだ。
それはイプセンにとっても、私達読者にとっても、人として何を基準に行動を決定するのか、何のために一緒に生き行動するのかという本源的な問いかけである。
ヘンリック・イプセン(Henrik Johan Ibsen)
1828年首都クリスチャニア(現・オスロ)から南西100kmに位置する港町シェーエンに生まれる。1906年没。
近代演劇の創始者といわれる劇作家。
21歳で処女戯曲『カティリーナ』を執筆し生涯で26作を残した。
代表作は『ブラン』『ペール・ギュント』『人形の家』『野鴨』『ロスメルスホルム』『ヘッダ・ガーブレル』など。
イプセン自身がノルウェーを嫌い、長く国外で生活したため、当時はノルウェーの国民作家という意識は薄かったが、現在は国の象徴、世界史上もっとも重大な劇作家として尊敬され、ノルウェーの1000クローネ紙幣に描かれていた。
自費出版した『カティリーナ』が世評にのぼらなかったイプセンは、1851年ベルゲンに創立された「ノルウェー劇場」の座付作者に招聘され、本格的な劇作家の生活に入る。
しかし5年余りの努力は報われず、クリスチャニアに移り「クリスチャニア・ノルウェー劇場」の芸術監督に就任するが6年余りで経営的に行き詰まり劇場が閉鎖する。
この間、浪漫主義的な韻文劇4編を発表。劇場から派遣されたデンマークとドイツでシェークスピアの舞台に出会い、またウジェーヌ・スクリーヴの「うまく作られた芝居」の技巧をマスターしたイプセンは、1858年4月、散文による台詞の詩的可能性に挑んだ『ヘルゲランの勇士たち』を発表。その後の近代リアリズム劇の基盤となった。
1864年、政府の研究旅行助成金を獲得したイプセンは南国の地ローマに行き住み始める。
1865年に劇詩『ブラン』を発表、独創的な作品が大反響を呼び、北欧の一流作家となる。
次作『ペール・ギュント』で評価は不動のものとなった。
4年後、ドレスデンに移住し散文劇を精力的に発表。
その後もミュンヘン、ローマを転々とした。ローマに前後10年余り、ドレスデンに6年、ミュンヘンに11年暮らした後、1892年6月、62歳でノルウェーに移住。
悔恨のドラマ4作を発表し1906年5月他界した。
魂のうちにひそむトロル
トロールまたはトロル(troll)とは... 北欧の国、特にノルウェーの伝承に登場する妖精の一種。どのような存在であるかについては様々な描写がある。人間の男を貪り食らい、女を奪って陵辱する自然の中の悪魔的な力の象徴、人間の魂の邪悪の力の象徴とも解される。ノルウェーの人の中では、現在でもこのトロールを信じている人が多い。日常生活でふっと物が無くなった際には「トロールのいたずら」と言われる。
イプセンの代表作『ペール・ギュント』の主人公は、「魂のうちにひそむトロル」と闘い遍歴を続ける。
イプセンの描いたトロルは、うぬぼれと卑怯の衣装をまとっており、ノルウェー人とイプセン自身に向けた批判の刃と評され、イプセンの戯曲は「魂のうちにひそむトロル」との闘いであった。
『人形の家』で訴えたかったもの
ノーラのモデルノルウェー生まれの女流文筆家ラウラ・キュラー
現代悲劇のための覚え書
二種類の道徳的掟がある。
二種類の良心がある。
一つは男性のもの、一つはまったく違ったもので、女性のものだ。
それらは互いに通じ合わない。
しかし現実の生活では、女性は男性の掟によって裁かれる
。 彼女が女性ではなく、男性であるかのように。
北欧教会での騒動(1879年)
《1》イプセンの2つの提案(1月末)
① 協会の図書係に女性の係員を採用する
② 女性に協会の総会での投票権を与える
《2》イプセンによる説明演説とパーティでの発言
① 女性賛美
② 女性蔑視