桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第40回】

『月と6ペンス』(サマセット・モーム)

開催日時 2008年7月26日(土) 14:00~17:00
会場 勤労福祉会館 第二和室  西武池袋線大泉学園駅・徒歩3分

開催。諸々コメント。

本作品はサマセット・モームが世に知られた最初の作品と言われています。
モームの作品は、短編作品には秀作が多いと言われつつも論評されることが少なく、私の回りではあまり読まれることがないように思います。 しかし、人間に対する観察眼とでもいうような評価には一定のものがあるように感じます。

物語はチャールズ・ストリックランドという人物に関する描写で構成されている。 語り手である「私」がストリックランドと触れ合う中で起きた事件、その人物や思想に対して理解しがたい部分や感じた出来事などが綴られていく。
他人の評価、自分自身の信念の通し方がいかに際どいものかを痛感させれもする。
なぜストリックランドがそこまで絵を描こうとしたのか、絵を描こうとするために他のすべてを無視する、というか完全な無関心になぜなれたのか。果たしてその生き様は私達に何を語りかけるのだろうか。
モーム自身が感じたであろう独善的ともいえるストリックランドの人生を通して、今を生きる自分自身の人生について考えてみたい。

本作品の翻訳としては、行方昭夫訳(岩波文庫)、中野好夫訳(新潮文庫)、土屋政雄訳(光文社)などが入手しやすい。私は中野好夫訳(新潮文庫)を読ませていただきました。

作者:ウィリアム・サマセット・モーム (William Somerset Maugham)

1874年1月25日パリに生まれる。両親はイギリス人。父ロバートはパリのイギリス大使館の顧問弁護士。母は名家の出身で非常に美人。家にはメリメ、ドレも訪れた。
8歳で母、10歳で父が死去。一家は離散しイギリスのケント州ウィットステイブルの牧師・叔父マクドナルドに引き取られた。英語をうまくしゃべれず、生来の吃音のために非常にコンプレックスを感じていた。叔父とも不仲で孤独な生活を送った。
やがて肺を病み、南仏で療養。その後ドイツのハイデルベルク大学に遊学。作家を志すが、神父を望む叔父と対立、聖トマス病院付属学校に入学。耽美派などの文学書を読みふけった。
この時期に貧民街に住居したことは、赤裸々な人間の本質を知るきっかけになった。1897年にこの間の経験をいかした小説『ランペスのライザ』を出版、一定の評価を得る。医者の資格を得たが、文学者となることを決め、その後も作品を発表し続けたが大成しなかった。
その後スペインを旅行。『ドン・フェルナンド』などの紀行を発表。30歳にパリで暮らし、シチリアにも訪れている。
やがて戯作をはじめ、『信義の人』『ジャック・ストロー』『ドット夫人』などが上演され、劇作家として一本立ちした。 1914年、40歳のときに第一次世界大戦が始まり、ベルギー戦線の赤十字野戦病院に勤務。その後諜報機関に配属、スイスのジュネーブに滞在。半生を振り返る大作「人間の絆」や傑作戯曲「おえら方」を書く。
1915年健康を損ない諜報活動をやめると、アメリカに渡り、タヒチ島などの南洋の島を訪問。『人間の絆』が出版されたが、戦時中で注目されなかった。
翌年アメリカから日本を経由してシベリアへ渡りペトログラードへ向かう。MI6としてのロシア革命阻止に動くが失敗に終わる。

やがて肺結核にかかりスコットランドのサナトリウムで療養。「月と六ペンス」の構想を練り、1919年に出版。
アメリカでベストセラーとなり、『人間の絆』も再評価され、小説家として世界的名声を得る。
「雨」「赤毛」を収めた『木の葉のそよぎ』『お菓子とビール』『劇場』などの長編、「おえら方」「ひとめぐり」などの戯曲を発表し、第二次世界大戦まで旺盛な創作活動を行う。
1930年代には執筆料の最も高い作家といわれた。その後も旅を続け、中国、マレー半島、インドシナ半島、キプロス、ニューヨーク、スペイン、西インド諸島、インドなどに赴く。

1933年に「シェピー」で戯作と絶縁。1938年に自伝『サミング・アップ』を刊行。
1948年に長編『カタリーナ』を最後に小説の筆を絶った。
その後は『世界の十大小説』『作家の手帳』などの評論・エッセイを発表したが、1958年の評論集『作家の立場から』で執筆活動終了を宣言した。
1959年に東南アジアを旅し、11月から1か月間日本を訪れている。
1965年12月16日、リヴィエラの自宅で没した。享年91歳。

作品の感想

サマセット・モームには『人間の絆』などの代表作がありますがモームの存在を知らしめた本作品を取り上げました。
戦後しばらくの期間にわたって英語教育の教材に取り上げられることが多かったようで、中高年世代以上の方には懐かしく感じられる作家です。「モームの作品は英語の副読本で読んだ」という人もいました。
作品そのものの評価は必ずしも高いとは言えないかも知れません。
たしかに何らかの啓発を受けたという人は少ないようですし、私自身読了した感想としては問題提起の意識の高さに比して、独自の思索の深さというものはあまり感じられなかったように思います。
しかしモーム自身の文筆の力には驚嘆させらます。
とにかく先に先にと読み進めたくなる文章とストーリー展開。
適度な話の溜め方には、嫌気が差すほどひっぱりまくる今どきの報道番組のプロデューサー達にも見習ってもらいたいほど、抜群のタイミングを感じます。
モームの短編作品が高い評価を受けているのも、そうした点に大きな要因があるようにも思います。

「人間とは何か」人間本源の叫び。

モーム自身が強く感じていた問題意識とは何か。 それは様々な表現があると思いますが、ある視点から見ると「人間とは何か」という人としての本源的な叫びであったように感じます。
モームはその疑問を生涯持ち続ける中で、ゴーギャンという異色の画家の人生を知り、『月と6ペンス』の構想を具体化していったのだと思います。 ただ、その疑問についてのモーム自身の思索は深化することはなかったように思います。その裏返しとして、自分自身を「通俗的」作家という表現で自虐したのかなとも思います。
自伝的作品である『サミングアップ(The Summing Up)』では「自分は批評家たちから、20代では残忍、30代では軽薄、40代では皮肉、50代では達者、現在60代では皮相と評されている」と書いている。
そのように記述し、また自身もそのように表現することで、そこから先の思索を凍結してしまったように感じます。
モームには、そこで立ち止まることなく、人間そのものを直視し、掘り下げていく努力をしてほしかった。
またそれができる人物だったと思います。

作品の発表から明年で90年。
サマセットモームの提示したテーマを解決する必然性が迫ってきているように思えてなりません。

『月と6ペンス』プロット

1) 今のストリックランドの評価
2) 僕がストリックランドのことを書く正当性
3) 当時の僕と僕の交遊する人達
4) ローズ・ウォータフォドの世話でミセス・ストリックランドの午餐会に行く
5) ミセス・ストリックランドに度々会うようになり主人と会う話になる
6) 全く善良、平凡、正直なストリックランドに会う
7) 世間並みに幸福に終わるだろうストリックランド一家と僕の感慨
8) 突然のストリックランドの失踪と駆け落ちのうわさ
9) パリにいる事実と思い至らないストリックランド失踪の理由
10) ストリックランドに会いに行くことを依頼される僕に凡その状況が伝えられる
11) パリの場末のホテルでストリックランドに再会 虚実に戸惑う僕
12) 感じていた疑問をぶつける僕 真相が明らかになるストリックランドとの会話
13) 商売女との遣り取り ストリックランドの心境の一端を垣間見る
14) ストリックランド失踪の動機を考える僕
15) ミセス・ストリックランドへ報告する 関係者が見せる性格と態度
16) ミセス・ストリックランドの転身
《5年が経過》
17) ロンドンからパリへ転居する僕 ミセス・ストリックランドのその後の生活
18) 流行画家・友人ダーク・ストルーヴのこと
19) ストルーヴの自宅を訪ねる ストリックランドを偉大な画家と讃えるストルーヴ
20) カフェでストリックランドと再会する
21) 5年間の来し方と語るストリックランド
22) パリでの僕の生活 ストルーヴと画商を訪ねる
23) 僕とストリックランド、ストルーヴのつきあい
24) ストリックランドが病気になる
25) ストリックランドを自宅で看病すると主張するストルーヴと、強硬に反対する妻ブランシュ
26) 無償の介抱をするストルーヴと感謝の念を持たないストリックランド
27) ストルーヴのアトリエを占拠するストリックランド
28) ストルーヴの妻と家を奪ったストリックランド
29) ストルーヴのブランシュへの思い
30) ブランシュの行動の理由を想像する僕が、全く想像つかないストリックランドの行動
31) ストリーヴのブランシュへの尽きぬ思い
32) 数週間ぶりにストリックランドとブランシュに出会う
33) ストルーヴに依頼されブランシュに手紙を書く
34) ブランシュが自殺未遂を図る
35) 面会を拒絶するブランシュ
36) ブランシュの死
37) ブランシュを埋葬する
38) 故郷オランダに帰ることを告げるストリーヴ
39) ストリックランドが描いたブランシュの裸婦画を見て彼と再会しイギリスを経つウィストリーヴ
40) 1ケ月後ストリックランドと再会する 話したがるストリックランドと嫌悪が吹き出す僕
41) 僕の家についてきて饒舌に語るストリックランド
42) ストリックランドに連れられて彼の絵を見に行く ストリックランド1週間後マルセイユに発つ
43) 僕の考察:なぜこうした事実が起きたのか
44) ストリックランドの絵画論
《それから15年後》
45) タヒチへ旅行にいく
46) キャプテン・ニコルズに会って話を聞く
47) キャプテン・ニコルズの話 タヒチに来るまでのストリックランドの生活
48) 僕の当執筆に関する気持ちとユダヤ系商人コーエンの話
49) ホテル・ド・ラ・フルールのティアレ・ジョンソンの話
50) エイブラハムとアレック・カーマイクル
51) ストリックランドとアタが結婚した経緯
52) ストリックランドの充実した生活
53) ストリックランドを訪問したキャプテン・ブルノの話
54) 自分もストリックランドも美を求めていたと話すキャプテン・ブルノの半生
55) ストリックランドを診察に訪れたドクトル・クトラ ハンセン病に侵されたストリックランド
56) ストリックランドの死
57) 最高傑作を焼き捨てさせたストリックランド
58) タヒチを発つ僕 ロンドンの人達の生活

運営

桂冠塾プロジェクト
東京都練馬区東大泉5-1-7
毎月1回
オンライン開催