桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第74回】

『あすなろ物語』(井上靖)

開催日時 2011年6月25日(土) 14:00~17:00
会場 勤労福祉会館 和室(小)
西武池袋線大泉学園駅・徒歩3分

開催。諸々コメント。

今回は井上靖作『あすなろ物語』です。
中高校生に読まれる代表的作品の一つでもありますので、作品のタイトルはだれも一度は目にしているのではないかと思います。
その反面、読了した人が少ない作品であるように思います。
「明日は檜になろう」「明日はなろう」と毎日願いながら永遠に檜にはなれない「あすなろ」の木に思いを託したこの小説に自身の気持ちを重ね合わせた少年少女時代。
10代の青春を思い起こす読者も多いことでしょう。いま改めて、この作品を読んでみると、何を思い、何を感じることができるのでしょうか。

作品のあらすじ

まずはじめに本作品のあらすじを確認しておきます。
この作品は6章から構成されています。

第一章 深い深い雪の中で
第二章 寒月がかかれば
第三章 漲ろう水の面より
第四章 春の狐火
第五章 勝敗
第六章 星の植民地

各章毎に要約してみますと概ね以下のような内容になります。

〔第一章〕 深い深い雪の中で
主人公・梶鮎太が祖母りょうと過ごす13歳の時代。
19歳の冴子が登場。
冴子が大学生の加島と心中するまでの出来事が描かれます。

〔第二章〕 寒月がかかれば
中学三年生になった鮎太。秀才、神童と呼ばれていた時代。
三年生二学期の終わりにN市の中学に転校。
下宿先である寺の娘・雪枝が登場。
学業成績が落ちていく中で鉄棒、喧嘩と経験していきます。

〔第三章〕 漲ろう水の面より
北国の高等学校を卒業した鮎太。
佐分利信子が登場。高等学校時代からのマドンナ的存在の未亡人。鮎太たちが卒業と同時期に東京に移り住みます。
鮎太は九州の官立(国立)大学に進学するが勉学をすることもなく旧友の住む東京に行き来する。友人達が自身の信じる道を進む中で鮎太は漫然と日々を送ります。

〔第四章〕 春の狐火
招集も経験した鮎太は大学を卒業してR新聞社の新聞記者として大阪で社会人生活を始めます。山岸大蔵、杉村春三郎らの先輩に囲まれて新聞記者としての経験を積むシーンが展開されます。
杉村春三郎の妹・清香が登場。
故郷・岡山の支局に移った杉村の手紙を機に「春の狐火」の取材に向かいます。取材の夜、幻想的な体験をした相手が清香だったことを後日知ります。

〔第五章〕 勝敗
社会部の遊軍記者となった鮎太。L新聞社の左山町介が現れます。記者としての能力は高いが要領よく友人はいない。次第に互いに心を通わすライバル的存在になっていきます。
左山の恋愛事件にもからんでしまい結婚披露宴にも出席。その席で13歳の時に出会った加島浜子に再会しますが、浜子は気付かずにわずかなシーンで終わります。
鮎太と左山はそれぞれ従軍記者、特派員になり戦地に赴任。石家荘から天津に向かう貨物列車で偶然の再会を果たします。その後左山は軍艦の甲板上で戦死。

〔第六章〕 星の植民地
終戦前の大阪。結婚をした鮎太は妻と二人の幼い子供を疎開させて一人新聞記者の仕事を続けます。
終戦の日。町の表情を記事にした鮎太。自分の思いを綴った初めての記事でした。
夕刻に合った熊井源吉。今日出会った女と明日結婚をして住みついた他人の土蔵で店を開くという。
翌日開店した熊井の汁粉屋でオシゲと出会います。
犬塚山次、田原との交流、熊井夫婦の不仲、オシゲと親密な関係に陥るなどいくつかの出来事を経て、オシゲは秋田の米屋に嫁いでいきます。
最後に二人が別れた場所は、かつて熊井達と月見の宴を開いて月を見上げた際に「星の植民地」という言葉が浮かんできた、まさにその場所でした。

概ねこのようなストーリーといえるでしょうか。
井上靖氏の自伝的小説とも評されることもありますが必ずしも事実に沿って書かれているわけでもありません。
いくつか論点が提示される本作品ですが時間の都合もあり(^_^;)ここでは一点のみ指摘しておきたいと思います。
それは題号にもなっている「あすなろ」に込めた思いです。

変遷する「あすなろ」が象徴する意味

この物語の最大のキーワードは「あすなろ」です。
そのことは多くの人にも異論なくそうだと言っていただけると思います。
この「あすなろ」の木に託す思いとして多くの読者は、「明日は檜(ひのき)になろうと念願しながら永遠に檜になれない翌檜(あすなろ)」に重ね合わせた主人公・梶鮎太の多感な青春時代が描かれている...このように受け止められていると思います。
これは書評や文庫版の裏表紙に書かれている要約文(※出版社の社員が書いている?)の影響が大きいと思います。全くの間違いとは言いませんが、作品の中での「あすなろ」に託す思いとしては一部分にしか過ぎません。
じっくりと読んでいくと、井上靖氏は「あすなろ」の意味合いを作品中で、少なくとも3つの段階を経た位置づけをあたえています。

(1)絶対に檜になれない翌檜(あすなろ)

小学校と中学の途中まで「神童」と呼ばれてきた鮎太。しかし学業が頓挫し始め、鉄棒も続かず、歌もへた...。自分が何者なのかわからず、もがき続ける十代の少年。北陸の高校へ進学し、無試験で九州の大学に入学し怠惰な学生生活が描かれる頃までの文中で出てくる「あすなろ」の意味合いは、身の丈を知らない「檜になれない翌檜」そのものです。 その中でも努力をし続けることの健気さが描かれているのが印象的で、多くの読者の青春時代を思い起こさせるシーンだと思います。

(2)翌檜と思いこんでいる檜がいる

二番目の意味合いを持って「あすなろ」が語られるのは第三章の途中からです。
「英ちゃんのために乾杯しましょうよ。英ちゃんが翌檜でないように!」
「誰が檜の子かしら」
多くの人間はたいてい翌檜であるが、その中に大きくなって檜になるれっきとした檜の子がその中に混じっている。その見分けがつかないことが問題だ、という表現も書かれています。

(3)希望を持って努力する人の異名「あすなろ」

社会人になってからの生活が描かれる第四章以降。「あすなろ」という言葉にもうひとつの意味が加えられます。
「新聞社内はあすなろでいっぱいだった」
「明日は何ものかになろうというあすなろたちが、日本の都市という都市から全く姿を消してしまったのは...」
また終戦後一番早く自分の生活の建て直しに積極的に取り掛かった熊さんを評して「翌檜第一号」と称えています。
ここに至って、あすなろとセットになっていた檜云々の話は出て来なくなる。
明日に向かって努力を続ける人はすべて「あすなろ」であり、そうした「あすなろ」達によって戦後日本は再建することができた。このようにも聞こえてきます。
第六章の最終部分に次のような表現があります。

気付いてみると、あすなろは今や、オシゲと並んで歩いて行く彼の周囲にもいっぱい氾濫していた。

あすなろは努力し続ける人の異名として描かれてこの作品は終わります。
ここに井上靖氏の思いの一端があったと思うことに、さほど大きな間違いはないように私は感じます。
その他にも各章毎に登場する女性の存在と役割、前半三章と後半三章との対比など、作品を楽しむ読み方も語り合ったが、また時間のある時にでも記したいと思います。 また井上靖氏の執筆スタイルである詩と小説。まずモチーフが凝縮された詩が創作されたのち、そのテーマで小説が書かれていく。『あすなろ物語』も忠実にこのステップが踏襲されています。

井上作品のテーマ

桂冠塾で取り上げる井上靖氏の作品は『蒼き狼』に続いて二作品目でした。
かたや成吉思汗(チンギスハン)の生い立ちから生涯の活躍を描いた壮大なロマン小説。
今回の作品は自伝的な色彩もあると言われている日本的な作品。
一見するとまったく違う作風かと思われる二つの作品の間にも共通するモチーフを感じます。
モンゴル族の血を継承していることを自身の人生の勝利で証明したいと戦い続けた成吉思汗(チンギスハン)は、将来の夢をあきらめずに努力し続ける「あすなろ」達の姿に重なっているのではないかと思います。
井上靖氏の数々の作品の底流を流れる思想というものは、いくつかのテーマに凝縮されるのではないだろうか。
いつかゆっくり研鑽してみたいとも思います。 今回、宮城県から参加いただいた笹野英二さん。本当にお疲れ様でしたm(__)m

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