桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第84回】

『城』 (カフカ )

開催日時 2012年4月21日(土) 14:00~17:00
会場 西武池袋線 石神井公園駅・徒歩1分  石神井公園区民交流センター 和室(2)

開催。諸々コメント。

今月の作品はカフカの『城』です。
日本では短編の『変身』がよく読まれているように思います(桂冠塾では第59回で取り上げました)。カフカには3つの長編が残されており今回取り上げる『城』はそのひとつです。
物語は測量師Kが仕事の依頼を受けた伯爵の住む城の麓村に辿りついたシーンから始まります。
到着が夜更けになったため宿屋を探して酒場のすみで眠りつくがすぐに起こされる。執事の息子と名乗る男は、Kに対して村は城の所領だから許可証なしでは泊まれないという。ひと悶着あるがKが伯爵の依頼を受けた測量師であることは明らかになる。
しかしここから先には何一つ物事が進まない。
城に行って話を聞こうとするが城に通じる道が見つからず辿りつくことができない。夕刻宿屋に戻ると城から命じられたという助手2名が派遣されている。しかし彼らはKの指示など聞こうとしない。しかも彼ら2人はKの以前からの助手だとされている。
この辺りから読んでいる読者は登場人物の辻褄の合わない会話に居心地が悪くなっていく(^^;。小さな、しかしはっきりとした心の中のざわつきのような感じである。
そもそも測量の仕事自体があるのかないのかもわからない。誰が依頼したのかすらわからない。そこに城の使者バルバナスが登場しクラム長官からの手紙を手渡される。Kの上司は村長だと書かれている。
Kは何としても城に行こうとして豪雪の中をバルバナスについて行くが、到着したのは村の中にあるバルバナスの家だった。次の手を考えたKはバルバナスの妹に城の役人が宿泊する宿に連れて行ってもらい、城の人間に会おうとするが実現できない。
宿の酒場で働く給仕フリーダに惚れてしまい翌日には一緒に生活を始める。
村長に合ったKは経緯を聞く。Kへの依頼にはいくつかの手違いと城が有している官僚組織の弊害があることがわかるが、測量の必要は全くないと話す。
そのかわりに学校の用務員として雇うと村長から提案されるが....

何が事実で何が虚構なのか。
Kがこだわっているものは何なのか。
そして城に辿りつけないという事実の意味するものとKの存在とは?
物語全体に流れる、かみ合わない会話と対応はカフカの意図なのか。

作品成立の経緯

カフカは1922年1月から2月にかけて、現在ポーランドとチェコの国境高地にあるシュピンドラーミューレのホテルに滞在しており、『城』はこのホテルでの滞在初日から書き始められた。それから3ヶ月ほどで半分あまりを執筆し、3月半ばにはマックス・ブロートに冒頭部分を語って聞かせている。しかし次第に行き詰るようになり、9月に最終的に放棄された。この間の6月、カフカは結核により勤めていた保険局を病気退職している。
作品は大判のノート6冊に書かれており、25の区切りのうち19に章名にあたるものが付いている。ブロートはこれを再構成し、20章のまとまった章にして出版した。カフカのほかの多くの草稿と同じくこの作品にも作品タイトルに当たるものがつけられておらず、ブロートはカフカが生前「城の物語」と表現していたことに基づいて『城』のタイトルをつけた。

作品のあらすじ

第一章
ある冬の晩、主人公Kは雪深い村の宿屋にたどり着く。この村はヴェストヴェスト伯爵の城の所領であり、彼はこの城に雇われた測量士である。宿屋の酒場を借りて一夜を過ごしたKは、翌朝城を目指して歩いていくが、しかし城へ通じる道を見つけることができず、百姓家で一休みして宿屋に戻るともう日が暮れてしまう。

第二章
宿屋の戸口には、その日道端で見かけた二人組の男が立っている。アルトゥールとイェーレミアスと名乗るその見知らぬ2人は、Kに追いついてきた彼の昔ながらの助手であるという。
助手たちの話によれば、許可がない限り城に入れてもらうことはできないらしい。そこでKは城の執事に電話をかけ、いつそちらに向かえばよいかと聞くと、永久に駄目だという返事が来る。そこに城からの使者だというバルバナスという男がやってきて、Kに手紙を渡す。その手紙は城の長官クラムからのもので、それによればKの直接の上官は村長であるという。Kは城に連れて行ってもらえるのではないかと期待してバルナバスと連れ立って宿を出るが、期待に反して彼がたどり着いた先はバルナバスの家であった。

第三章
Kはバルナバスの妹オルガに宿屋に連れて行ってもらう。しかしそこははじめにKが止まっていた「橋屋」ではなく、城の役人が泊まる「貴紳荘」であり、今まさにKの長官クラムが滞在しているという。Kはその酒場で給仕をしていたフリーダに一目惚れする。彼女はもと「橋屋」の女中であったがその後「貴紳荘」のホステスに出世し、今はクラムの愛人でもあるという。しかしKと彼女はカウンターの下で愛し合い、翌日連れ立って「橋屋」のKの部屋に移り住む。

第四章
次の日、Kは「橋屋」の女将からフリーダに対する責任について詰め寄られる。

第五章
Kは助手2人を連れて村長のもとを訪ねるが、村長は現在、測量士を全く必要としていないという。Kは村長から城の行政機構の仕組みを長々と聞かされたのち、何の成果もなく宿屋に戻る。

第六章
橋屋のお内儀さんの身の上話

第七章
宿屋の2階に、Kが到着初日に道端で会った小学校教師が待っている。彼は村長の使いであり、Kに測量士として雇うことはできないが、学校の小使としてなら雇えるという村長の伝言を話す。Kは最初拒絶するが、フリーダからの提案で小使の仕事を引き受けることになる。
第八章
ペーピーが中庭で待ち伏せをしており、フリーダの実態を訴える。

第九章
在村秘書モームス
尋問を断る

第十章
帰り道で
長官クラムの第二の手紙
バルバナスに伝言

第十一章
学校での第一夜

第十二章
女教師ギーザ
朝の諍い

第十三章
助手たちを追い出す
フリーダとの語らい
助手たちのこと
ハンス・ブルンスウィック少年
ハンスの母親
フリーダの意見

第十四章
シュワルツァーの恋
バルバナスを訪ねる
アマーリアとの会話

第十五章
オルガとの会話
使者の仕事
城の官房
クラムについての疑惑
アマーリアの秘密
アマーリアの罰
請願
オルガの計画
深夜の訪問者

第十六章
イェレミーアスとの会話
ガーラターのこと
その後のフリーダ
バルバナス
エルランガーからの伝言

第十七章
夜の尋問
縉紳館の客室

第十八章
縉紳館に戻ったフリーダ
病気のイェレミーアス
ビュルゲルの部屋で

第十九章
エルランガー
縉紳館の朝
書類分配
Kのスキャンダル

第二十章
ペーピーの告白
縉紳館のお内儀

作者

フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883年7月3日 - 1924年6月3日)
1883年、オーストリア=ハンガリー帝国領プラハで高級小間物商を営むヘルマン・カフカと妻ユーリエとの間に生まれる。両親はユダヤ人。1893年春、入学試験を受けてプラハ旧市ギムナジウムに入学。スピノザ、ダーウィン、ヘッケル、ニーチェなどの著作、実証主義、社会主義に興味を持つ。将来作家になる夢を持ちゲーテ、クライスト、グリルパルツァー、シュティフターなどを読み影響を受けた。卒業の際にはドイツ語・演説演習として「ゲーテの『タッソー』の結末をどう解釈すべきか」というテーマを選んでいる。
1901年7月北海へ卒業旅行に行き、叔父ジークフリートとノルデルナイ島に数週間滞在、この年の秋にプラハ大学に入学。哲学専攻を希望するが父に失業者志望と嘲笑され化学を専攻するが授業に合わず法学専攻に変更。1906年6月大学終了試験に合格。直前の4月から弁護士の元で無給見習いを、10月からプラハ地方裁判所にて1年間の司法研修を受ける。この夏、長期休暇を利用して長編予定で『田舎の婚礼準備』の執筆に着手。また1904年から「ある戦いの記録」の執筆も試みていたがいずれも未完となった。翌年司法修習後に保険会社に入社。1908年8月労働者傷害保険協会に転職。午後の時間に執筆活動を続けた。
1908年3月文芸誌『ヒュペーリオン』創刊号に『観察』が掲載され、作品が初めて活字になった。
1909年ルポ「ブレシアの飛行機」を執筆し、日刊紙『ボヘミア』9月26日朝刊に掲載。1911年イディッシュ語劇団に興味を持ち公私にわたる交流に発展、ユダヤの民族性への意識に目覚めるきっかけとなった。1912年8月4歳年下のユダヤ人女性フェリーツェ・バウアーとの出会いがあり2度の婚約に進んだ。しかし勤務と長時間の執筆による無理がたたり、2度目の婚約翌月の1917年8月に喀血。9月に肺結核と診断され、12月末病気を理由に再び婚約を解消。カフカは9月から療養のため小村チェーラウに8ヶ月間滞在。日中は散歩や日光浴を楽しみ、ここでの田舎生活は後に書かれる『城』に反映されることになった。妹オットラとともに過ごしたチェーラウでの8ヶ月間を後に「自分の人生で最もやすらぎに満ちていた時」と述べている。
1918年4月末プラハに戻り職場に復帰するが長期療養と職場復帰とを何度も繰り返す。同年11月スペイン風邪に罹り肺に大きな打撃を与える。1922年7月勤務が不可能になり年金生活者に。バルト沿岸ミューリツに滞在。最後の恋人ドーラ・ディアマントと出会いベルリンで共同生活を始める。翌年3月叔父ジークフリートから説得を受けプラハの実家に戻った。
1923年4月、ウィーン大学付属病院に入院。1924年6月3日死去。41歳の誕生日の一ヶ月前であった。遺体はプラハに送られ、この地のユダヤ人墓地に埋葬された。

常に不安と孤独の漂う、夢の世界を思わせるような独特の小説作品を残した。その著作は数編の長編小説と多数の短編、日記および恋人などに宛てた膨大な量の手紙から成る。
生前は『変身』など数冊の著書が知られるのみだったが、死後に友人マックス・ブロートによって未完の長編『審判』『城』『失踪者』を始めとする遺稿が発表されて再評価を受け、特に実存主義から注目されたことによって世界的なブームとなった。現在ではジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストと並び20世紀の文学を代表する作家と見なされている。

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