【読書会】桂冠塾

桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第85回】

『スカラムーシュ』 (ラファエル・サバチニ )

開催日時 2012年5月19日(土) 14:00~17:00
会場 勤労福祉会館 和室(小) 西武池袋線大泉学園駅・徒歩3分

物語のあらすじ

今月の本はフランス革命の時代を舞台にした小説です。 1921年に発表されるとベストセラーとなりイギリス、アメリカで長く読み継がれ、映画化にもなりました。

物語のストーリーは主人公アンドレ・ルイ・モローが平民大衆(第三階級)の側に立ち、支配階級である貴族、なかでもラトゥール・ダジール侯爵と対峙していくという構図で構成されています。ブルタニー地方の若手弁護士であるルイは元々思想的には第三勢力に立っていたのではなく貴族の代理人として審議会にも出ており共和主義者に皮肉的な批評をする雄弁家としても知られていました。

しかし友人ヴィルモランが決闘の名のもとでダジール侯爵に殺害される場に立ち会うことに。その殺人はヴィルモランが持つ特権階級を攻撃する雄弁さが危険であると感じたダジール侯爵によって行われました。

ルイはヴィルモランの遺志を受け継ぎ、彼のごとく行動して彼を殺したダジール侯爵を追い詰めることを決意します。
ダジール侯爵の悪事を国王代理判事に訴えるが聞き入られなかったルイ。直後に市民が殺害されたレンヌの街で今まで持っていなかった主義主張をヴィルモランの代理の気持ちで演説を行なったルイは大衆の心をつかみます。そしてナントの街でも演説を行い第三階級の議席を獲得する流れを確実なものにしていきます。

しかしルイは扇動罪で当局から終われる身に。即興劇団ビネ一座の一員として身を隠したルイは道化役者スカラムーシュとして舞台に立ちます。脚本も書くルイの活躍でビネ一座は一躍有名に。一流の作家になることも思い描くルイ。
しかしそこにはダジール侯爵との運命的な再会が待っていました。

ダジール侯爵が幼馴染の女性アリーヌと婚約したり、ルイが婚約したビネ座長の娘クリメーヌに手を出したりと感情は複雑に入り混じります。ルイはダジール侯爵に一矢を報いるために即興劇の舞台で事件を起こします。その結末は...。
そしてアンドレ・ルイ・モローは演劇と作家の道を歩みペンの力で戦うのかそれともフランス革命の表舞台に躍り出るのか...。

国王代理判事に訴え出るときに際して、自分を育ててくれた名付け親であるケルカディウ伯爵は風車に突進したドン・キホーテを例に挙げて無謀な行動を思いとどまるようルイを説得します。その時ルイは次のように言います。

「もし風車が強すぎるようでしたら...」
「風のほうを何とかするようにつとめてみるつもりです」

この物語の結末は是非じっくりとお読みいただければと思います。
皆様の参加をお待ちしております。

作品の舞台

フランス革命の時代、佳境に入る前あたりまでの時期を舞台にした小説です。
1921年に発表されるとベストセラーとなりイギリス、アメリカで長く読み継がれ、映画にもなりました。
この物語は、主人公アンドレ・ルイ・モローが大衆(第三階級)の側に立ち、支配階級である貴族、なかでもラトゥール・ダジール侯爵と対峙していくというストーリーです。

親友ヴィルモランの死と革命のリーダー誕生

ブルタニー地方の若手弁護士であるルイは、元々思想的には第三勢力に立ってはいませんでした。貴族の代理人として審議会にも出ており、仲間の間では共和主義者に皮肉的な批評をする雄弁家としても知られていました。
しかし、親友ヴィルモランが決闘の名のもとで、ダジール侯爵(幼馴染のアリーヌに求婚)に殺害される場に立ち会うことに。その殺人は、ヴィルモランが持つ特権階級を攻撃する『雄弁という危険な才能』を取り去る必要があると感じたダジール侯爵によって仕掛けれたものでした。
ルイはヴィルモランの遺志を受け継ぎ、彼のごとく行動して、彼を殺したダジール侯爵を追い詰めることを決意します。
ダジール侯爵の悪事を国王代理判事に訴えるが聞き入られなかったルイ。直後に市民が殺害されたレンヌの街で、ヴィルモランの代理の気持ちで彼の主義主張の演説を行なったルイは大衆の心をつかみます。そしてナントの街でも演説を行い、第三階級の議席を獲得する流れを確実なものにする一助の役割を果たします。

喜劇役者スカラムーシュ登場

扇動罪で当局から追われるルイは、即興劇団ビネ一座の一員として身を隠し、道化役者スカラムーシュとして舞台に立ちます。脚本も書きはじめたルイの活躍で、ビネ一座は一躍有名に。一流の作家になることも思い描くルイ。一座の共同経営者となり、大都市での公演を目論み、レドンの街を経てナントで公演を始めたルイの前には、ダジール侯爵との運命的な再会が待ち構えていました。
ルイを婚約した劇団の女優クリメールを遊び目的で連れ出すダジール。ルイと再会しダジールの火遊びを知ったアリーヌはダジールへの態度を硬化。彼女の逆鱗にふれてクリメールとの関係を断つことを決めたダジールですが、最後通牒にと訪れたビネ一座の公演で、舞台の即興劇の形を借りて、ルイから名指しで弾劾されます。

剣と言論の闘士アンドレ・ルイ・モローへ

クリメールと別れて 再び逃亡生活に入ったルイは、逃亡の末、パリ・アザール街13番地のフェンシング教室に教師として住み込みます。
政治の世界では既に国民議会が招集され、第三階級から議員が誕生していました。法律的な罪も問われなくなったと感じたルイ(この時には暴動に巻き込まれて死亡したデ・ザミに代わってフェンシング学校の校長になっていた)は、国民議会議長を務めるシャプリエと再会。パリ郊外ミュードンに身を寄せていたカンタン、アリームを訪問再会します。
その時、少年時代に会ったことのあるプルゥガステル伯爵夫人とも再会。夫人の仲介で政治に関わらないことを条件に、カンタンと和解します。

しかしダジールとの決闘で葬られた議員の補充で議員になったルイ。決闘の名のもとでシャブリアーヌはじめ貴族派の議員を粛清する。真の目的であるダジールとの決闘の場をつかみ勝利しますが、致命傷を与えられず復讐の機会を逸してしまいます。
この騒動の中でアリーヌのルイへの思いが鮮明になるのですが、ルイは曲解したまま時は過ぎていきます。
さらに2ケ月が過ぎ、パリの状況は進展。市民革命は次の段階に。 無政府状態に入ろうする最中で、パリに残っているアリーヌとプルゥガステル伯爵夫人を救出するシーンに。 策を講じるカンタンだが二人は脱出できない。危機極まったかと思われたときにルイの活躍で無事脱出に成功します。 一連の救出劇の中でルイの出生の秘密が明らかになります。

ルイの母親はプルゥガステル伯爵夫人でした。 さらに大衆に襲撃されて逃げ込んでいたダジールの心の思いの吐露を聞くルイ。それでも決着をつけようとするルイとダジールに、プルゥガステル伯爵夫人はルイの父親がダジールであることを告げます。真実を知ったルイは、ダジールの逃亡を黙認したのでした。

最終シーンはルイとアリーヌとの愛の語らい。 ロマンス物語の典型とも言える結末を迎えます。

作品の章立て

第一部 法服
第1章 共和主義者
第2章 貴族
第3章 ヴィルモランの雄弁
第4章 あとをつぐもの
第5章 ガブリヤク領主
第6章 風車
第7章 風
第8章 オムネス・オムニブス
第9章 その後

第二部 悲劇
第1章 不法侵入者たち
第2章 悲劇役者(セシス)のつとめ
第3章 喜劇のミューズ
第4章 ムッシュー・パルヴィシムスの退場
第5章 スカラムーシュ登場
第6章 クリメーヌ
第7章 ナント征服
第8章 夢
第9章 夢醒める
第10章 悔悟
第11章 フェイデゥ劇場の騒動

第三部 剣
第1章 変遷
第2章 天譴を受ける人
第3章 ル・シャプリエ議長
第4章 パリ郊外ミュードンで
第5章 プルゥガステル伯爵夫人
第6章 政治家たち
第7章 刺客たち
第8章 第三階級の勇者(パラデイン)
第9章 引き裂かれた誇り
第10章 帰りの馬車
第11章 推量
第12章 決定的理由
第13章 隠れ家
第14章 障壁
第15章 安全通行証
第16章 夜明け

主な登場人物

アンドレ・ルイ・モロー 私生児として名付け親ケルカディブの元で養育され弁護士になる。ヴィルモランの遺志を受け継ぎレンヌとナントで演説を行う。ビネ一座ではスカラムーシュを演じる。
フィリップ・ド・ヴィルモラン レンヌ在住の神学徒。モローの親友。レンヌ文芸協会の主要メンバー。決闘の名のもとにダジールに殺害される。
アリーヌ・ド・ケルカディウ カンタンの姪。4歳で孤児になりカンタンに育てられる。
カンタン・ド・ケルカディウ ガブリヤクの領主。ルイの名付け親。
ラトゥール・ダジール侯爵 ミューポンの領主。カンタンの隣の領主。
シャブリアーヌ勲爵士 ダジールの従弟。
レスディギエール レンヌの国王代理判事。
シャブリエ・イザーク レンヌ文芸協会の指導者的メンバー。国民議会の議長を務める。

ビネ(パンタルーン)
クリメール
レアンドル
ハリクィン
ポリシネル

デ・ザミ フェンシングの剣士。
プルゥガステル伯爵夫人 カンタンの従妹。夫プルゥガステル氏はフランス王妃とオーストリア皇帝の間の策士。

ダントン

作者

ラファエル・サバチニ
(Rafael Sabatini、1875年4月29日 - 1950年2月13日)
イタリアイェージ生まれのイギリスの小説家。父はイタリア人、母はイギリス人でともにオペラ歌手の家庭に育つ。
イングランドで祖父と同居し、ポルトガルとスイスの学校に通ったことで若くして多くの言語を学び17歳で5ヶ国語をマスター。その後イングランドに定住するために戻り、6言語目の英語を身につけた。
1890年代から短編を書き始め、最初の小説は1902年に出版されたが作品はヒットせず、四半世紀の長きにわたる不遇の時代を過ごす。1921年の「スカラムーシュ」の大ヒットによって国際的なベストセラー作家になった。1922年に発表した「キャプテン・ブラッド(Captain Blood)」も大ヒット作となった。
これにより初期の作品の全てが再版された。初期の作品の中で最も有名なものは1915年の「海のわし(The Sea Hawk)」である。
サバチニは多作でも知られ、ほぼ毎年、新しい本をプロデュースした。31編の小説、8つの短編集、6冊のノンフィクション本、また多くの単行本未収載の短編や芝居をプロデュースしている。「スカラムーシュ」や「キャプテン・ブラッド」のような大ヒット作を世に現すことはなかったが、続く10年間、人気作家であり続けた。1940年代になると、病気のためにそれまでよりも執筆のペースは遅くなったが執筆活動は続けた。
1950年2月13日、スイスで死去。スイスのアデルボーデン(Adelboden)に埋葬された。

痛快なラブストーリー

作品としては三部構成になっています。 第一部は、親友ヴィルラモンが殺害され、彼に代ってレンヌとナントで演説して民衆を発起させるまでが描かれます。 第二部は、当局に追われたルイが、ビネ一座に潜り込み、喜劇役者スカラムーシュとして舞台で活躍します。そして仇敵ダジール侯爵を舞台の上から実名で弾劾して、再び逃亡生活に入ります。
第三部は、パリのフェンシング学校の教師として剣を磨き、国会議員として再びダジールと対決する場面を迎えます。そして自らの出生、そしてダジールとの関係を知りつつ、愛するアリーヌを救出します。
その意味では、フランス革命を舞台にした歴史小説であると共に、痛快な大衆小説でありラブストーリーということもできると思います。

微妙に、しかし確実に変化する人の心

小説の導入部分で気になる点の一つとして、ルイがヴィルモランの遺志を受け継いで大衆にアジテーションする場面があります。皆さんは違和感とまでは言わなくとも、少しあれっと感じた点がありませんでしたか?
作品としてはこの場面は非常に重要で、親友の死という事件に際してルイが立ち上がらなければ、その後の様々な出来事は起こらなかったことになります。
しかし、それまでノンポリとまでは言わなくても、比較的冷静に大衆の動きを傍観していたルイが演説をすることで多くの民衆の心に火をつけます。
この一連の出来事は何を意味するのでしょうか。
いくつかの見方ができると思います。

ルイ本人は自覚がなくても、ヴィルモランの思いがルイに伝わって本気にさせた。
今まで自覚はなかったが元々ルイの中にも大衆と同じ思いがあった。
さほど真剣に考えていなくても熱意をこめて訴えれば大衆は共感する。
演説の力は、演説する本人が信じていないことであっても他人を信じさせるテクニカルな面もある。
大衆の気持というのはさほど深いものではなく、ちょっとしたことで右にも左にも簡単になびいてしまう面がある。

他にも見方が有ると思いますが、列挙したいずれが正しくて、何が間違っているということは一概には言えないのではないかと感じます。言いかえればいずれの指摘も、多少の違いはあれ真実を含んでいると言えないでしょうか。

親しい友人、家族や恩人等の死に接して、今まで思索をしたことがないより深き真実や人生を我がこととして考え始めるということは、多くの方が経験していることだと思います。
また知人の熱意に触れて、自分の中にも熱き思いがあったことに気づかされることも多々あります。
その一方で、ディベートに象徴されるように立場が変わっても論理的に他人を納得させる力が言葉そのものには厳然として存在しています。
さらにそうした言葉の力を悪用して、表面的なアジテーションや甘言のテクニックだけで、多くの庶民を騙す政治家や詐欺師が横行するのも、古今東西いつの時代にも存在する悪人の構図です。
そして、「衆愚」という言葉があるように、大きな声や公的だと思われる声やマスメディアの報道に、さほどの思慮もなく引きずられてしまう面が庶民にはあるのではないでしょうか。昨今の政権を担当する政党が実現不可能な政策を掲げて選挙をした際にも、耳当たりのよい言葉を無条件に信じてしまった有権者が多かったのも、この一例と言えるでしょう。
導入時点では明らかな違和感のあったルイの思想的変遷ですが、作品が進む中でヴィルモランが訴えていたことが真実に近いものだったとルイ自身が理解していく経過も描かれています。
その意味ではルイはよき友に縁をすることで自分の進む道を選ぶことができたともいえると思います。

稀代のスーパースター

ある意味、ルイは他に類を見ない、非常に優秀な人物として描かれています。容姿はさほど美しくないと書かれているのは最初のところだけで(^^;全編を通じて卓越した人物として描かれます。
出生の不遇こそあれ、若くして法律家となり、演説をすれば多くの民衆の心をわしづかみにし、劇団員として身を隠せば一流の舞台役者となり、経営者としての才覚を発揮して、脚本を書けばフランス一流の文学者達を軽く乗り越えてしまい、剣を修行すれば向かうところ敵なし、窮地に陥っても賢明な頭脳と決断でか弱き女性達を颯爽と助け出す....。

前代未聞と言いましょうか、向かうところ敵なし、天下無敵のスーパーヒーローです(^^;。
さすがにここまでの設定で描かれると「う~ん」と思ってしまいそうですが、まあこれくらい痛快に描かれると嫌味もありませんね。

依って立つものの違い

この作品を読み進める中で、ふと気になったことがあります。
それは一見すると「ダジール侯爵」VS「アンドレ・ルイ・モロー」の対決構図。
ほとんどの読者は「悪人ダジール」を追い詰める「正義の味方ルイ」と読むのではないか。しかし果たしてそれは正視眼の見方なのだろうかということです。

作品の最終少し前の部分、第三部第15章でダジールが独白する個所で、その疑問は読者の眼前に晒されることになります。
ダジールは静かに語ります。

ルイの親友であるヴィルモランを殺したことは個人的な感情ではなく、自分が属する貴族階級、ひいてはその当時の社会体制を守るための決断であったこと。自己防衛上必要な対処であったことを。
決して個人の快楽のためにではなく、本当に心が重かったと。

多くの読者が気づいているように、ルイが議員となって実行した貴族派議員の粛清は、立場こそ逆転していますが、ダジールがヴィルモランに対して行った決闘そのものだったわけです。
それぞれが信じて依って立つ思想や体制を守るために、良きことと信じて行う行為の中には、立場が違う者から見ると悪行そのものとなる行為が、厳然と存在するということではないかと思います。
信念と呼ばれるその人の思いが強ければ強いほど、その立場の違いが決定的に合意できない溝になるのだと思います。
依って立つ信念理念というのは、とことんまで吟味し、思索熟慮して、過ちは糺してより深き真実を自身の拠り所にしていくことが求められているのではないでしょうか。

本質を見極めることの大切さ

最後にこの作品の中で印象に残った場面をひとつ挙げておきたいと思います。
それはルイが国王代理判事にダジール侯爵の所業を訴え出ようとした際に、ルイを育ててくれた名付け親であるケルカディウ伯爵は風車に突進したドン・キホーテを例に挙げて無謀な行動を思いとどまるようルイを説得します。
その時ルイは次のように言います。

「もし風車が強すぎるようでしたら...」
「風のほうを何とかするようにつとめてみるつもりです」

直接立ち向かう国王代理判事、そしてその後ろに控えている貴族階級やその恩恵に浴している人々を含む国家体制そのものを、ドン・キホーテが突進した「風車」にたとえたルイ。
そして「風車」を回している「風」を風車よりも大きな力としてとらえたルイ。
「風」そのものを変えようと思うと言い切ったルイは、自分達の力で世論という「風」を変え、フランス革命を推進していった民衆自身のモデルとして描かれたのかもしれないと感じました。

なお本作品は、創元社と潮出版社から発刊されています。
個人的には潮版のほうが読みやすいかなと思います。

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