桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第86回】

『夜と霧』(ヴィクトール・F・フランクル)

開催日時 2012年6月23日(土) 14:00~17:00
会場 勤労福祉会館 和室(小)
西武池袋線大泉学園駅・徒歩3分

開催。諸々コメント。

この作品は、第二次世界大戦中にドイツの強制収容所を経験した事実をもとに、心理学者の立場から著述したヴィクトール・フランクルの著作である。
日本語版としては霜山徳爾氏の訳と池田香代子氏の「新版」訳がある。これは単に旧約・新約ということではなく、原作自体が新版となっていることが「訳者あとがき」で触れられている。
今回、新版、旧版共に読んでみたが、新版のほうが体系的な章立てになっている。

新版では
第一段階 収容
第二段階 収容所生活
第三段階 収容所から解放されて
の三部で構成されている。

極限状態の強制収容所に送られる人々の思い、不条理としか言いようのない、いつ突然に死が訪れてもおかしくない状況下。精神を病んでいった人もいた中で、かろうじて正常な精神状態を維持できた要因は何であったのか。
本文では、収容所生活を送る人達の多くが感じていた精神状態を、精神科医の立場で分析した文章が並んでいく。
生死を分ける選択が、思いつきで行われているのではないかとしか思えないような状況。自分の下す判断が生死いずれの結果に傾くのか。
すべてのことに対して、疑心暗鬼にもなる。
収容所では、被収容者は名前ではなく、収容者番号で扱われる。
「誰れ」をガス室に送るかは一顧にもされず、そこにあるのは処理する数。
一つ違いの番号が書き込まれると誰かが生き延びる代わりに、別の誰かがガス室で死んでいく。

フランクルは医師として病院のある収容所に移動するかどうか、選択する自由を与えられる。
しかしそれは、本当に医師としての移動なのか、単なる選別なのか。
フランクルは自分の選択を信じて行動した。
そして、生き延びたのだ。
その一方で、自分の選択によって結果的に死を選んだ同胞もいた。
何が、両者の間に横たわっていたのだろうか。

一方で、収容所を監理する側で役務に従事する人間たちの言動には、非人道的な所作が散見する。同じ人間でありながら、立場が違うだけで人間をぞんざいに扱うことになぜこうも無感覚になれるのだろうか。

フランクルの眼は、被収容者と収容者の両方に向けられている。

人間の心はきれいに二分されるものでは、もちろんない。
被収容者でありながら同胞である同じ立場の被収容者を売る行為を行う輩が少なからず出てくる。
逆の立場で非人道的に収容所に勤務する人間の中にも、少数であるが被収容者を気遣う者もいた。
フランクルの筆は、そうした人間模様を淡々と描き続ける。

収容所から解放された後の生活については、多くの紙面は割かれていない。
極限で行われた人をモノのように扱う所為の対象となった人間に、精神的なダメージがないとは到底思えない。現実に大きな衝撃が残り続けているのだろう。
それと同時に、極限の経験を乗り越えた人間だからこそ、果たせる使命があるのだと信じたい。

なぜこのような狂気の沙汰が大規模に行われてしまったのか。
人間の生命の底に巣くう暗部を考えざるを得なくなる。
振り返ってみて、私達が生きる現代。
生命尊厳の思想は広く認知されてきたのだろうか。
同じ過ちを繰り返さないためには、今何が必要なのか。
今一度、生命そのものについての哲学思想の探求が求められているように思えてならない。

作品のあらすじ

心理学者 強制収容所を経験する
知られざる収容所
上からの選抜と下からの選抜
被収容者119104の報告-心理学的試み

第一段階 収容
アウシュヴィッツ駅
最初の選抜
消毒
人に残されたもの-裸の存在
最初の反応
「鉄条網に走る」?

第二段階 収容所生活
感動の消滅
苦痛
愚弄という伴奏
被収容者の夢
飢え
性的なことがら
非情ということ
政治と宗教
降霊術
内面への逃避
もはやなにも残されていなくても
壕のなかの瞑想
灰色の朝のモノローグ
収容所のユーモア
刑務所の囚人への羨望
なにかを回避するという幸運
発疹チフス収容所に行く?
孤独への渇望
運命のたわむれ
遺言の暗記
脱走計画
いらだち
精神の自由
運命-賜物
暫定的存在を分析する
教育者スピノーザ
生きる意味を問う
苦しむことはなにかをなしとげること
なにかが待つ
時機にかなった言葉
医師、魂を教導する
収容所監視者の心理

第三段階 収容所から解放されて
放免

強制収容所

強制収容所(きょうせいしゅうようじょ、英: concentration camp、独: Konzentrationslager、露: лагерь)とは、戦争時における国内の敵性外国人や、反政府主義者など、その時の政府が敵対視する者などを治安の維持のため強制的に財産などを没収の上に収容するための施設のことである。
強制収容には、彼らにスパイ活動や破壊活動をさせないということと、不必要に彼らが迫害や暴力の犠牲にならないようにという二重の意味があるといわれるが、これまであった強制収容所のありようから考えればそれが後者の意義から設けられたことはほとんどないに等しい。
ナチスドイツ下にあっては、コンツェントラツィオンス・ラーガー(独: Konzentrationslager、一般的にKZ(カーツェット)と略。管理者である親衛隊 (SS) は公式にKL(カーエル)と略した)と呼ばれ、ナチス・ドイツがユダヤ人、反ナチ分子、反独分子、エホバの証人、政治的カトリック、同性愛者、ソ連捕虜、常習的犯罪者、「反社会分子」(浮浪者、ロマ、労働忌避者など)といった者たちを収容するためにドイツ本国及び併合・占領したヨーロッパの各地に設置した。

著者

ヴィクトール・E・フランクル
(Viktor Emil Frankl、1905年3月26日 - 1997年9月2日)

1905年ウィーンに生まれる。
ウィーン大学在学にアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。
1955年からウィーン大学医学部精神科教授。人間が存在することの意味への意志を重視し、心理療法に活かすという、実存分析やロゴテラピーと称される独自の理論を展開。ドイツ語圏では「第三ウィーン学派」として知られた。マックス・シェーラーの影響が濃く、マルティン・ハイデッガーの体系を汲む。精神科医として有名で、脳外科医としての腕前も一級であった。
第二次世界大戦中、ユダヤ人であるが為にナチスによって強制収容所に送られた。この体験をもとに著した『夜と霧』は、日本語を含め17カ国語に翻訳され、60年以上にわたって読み継がれている。英語版だけでも累計900万部に及び、1991年のアメリカ国会図書館の調査で「私の人生に最も影響を与えた本」のベストテンに入った。また読売新聞による「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」のアンケート調査で、翻訳ドキュメント部門第3位になった。
その他翻訳された著書として『死と愛』『時代精神の病理学』『精神医学的人間像』『識られざる神』『神経症』(以上、みすず書房)『それでも人生にイエスと言う』『宿命を超えて、自己を超えて』『フランクル回想録』『〈生きる意味〉を求めて』『制約されざる人間』『意味への意志』(以上、春秋社)などがある。
1997年9月に逝去。享年92歳。

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