開催内容 桂冠塾【第87回】
『生命について』トルストイ

| 開催日時 | 2012年7月21日(土) 14:00~17:00 |
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| 会場 | 勤労福祉会館 和室(小) 西武池袋線大泉学園駅・徒歩3分 |
開催。諸々コメント。
今回取り上げる本はトルストイの『生命について』です。従来は『人生論』の邦題で訳されていた作品ですが原文に忠実な生命論としての日本語訳が適切です。
本書が書かれたのは1887年、トルストイが59歳の一年間とされています。『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』等の文学性の高い作品を書き終えた後の時期に入り、宗教的思索が進化し自分自身の中に永遠の生命につながる生き方を確立していったとされる作品です。
作品の冒頭で水車小屋を持つ粉ひき職人の例をあげ、粉をひくためと言いながら川を認識することの違いを指摘し、考察全体の共通目的に結びつかない考察は無分別なものであると指摘する。その最たるものとして生命の問題に入っていく。
生命がどこから生じるのか。
このテーマに関して、いくつかの条件を生命そのものとして論じているのが今の科学であると断じた後にトルストイの生命論が展開されていきます。
トルストイは自身の生命論を展開するにあたり、『パンセ』の「考える葦」、カントから導かれた「人間の内面世界の法則性」、そしてヨハネによる福音書を拠り所とします。
様々な視点からの論陣を展開した後に生命について以下のように結論づけます。
「人間の生命はひたすら幸福へと向かうことであり、彼の希求するものは与えられているのである。死となりえない生命と、禍いとなりえない幸福とは。」
トルストイの生命論、幸福論を通して、私たち自身における生きることの意味を考える契機にできればと思います。
幸せになりたい。
人間は誰もが自分が幸せになりたいと願っている。しかし自分の幸福は自分以外のものに左右されることに気づく。
そして自分だけの幸福を追い求めると結局は自分自身が幸福になれない。
自他共の幸福こそが唯一の幸福であり、それは宇宙を貫く根源的な法則に則っている。その法則に一致していれば人間は幸せになれるのだ。
トルストイはそのように主張する。
1)人間や社会を超える、根源的・普遍的なものがある。
2)我々の理性は人間が作ったものに従うのではなく、本源的なものに一致しなければならないし一致することができる。
3)根源的なものに一致していれば、人間は生き抜くことができる。
これが本書を貫くトルストイの生命論である。
根源的なもの
ではトルストイの言う「根源的なもの」とは何か?トルストイは、愛と宗教こそが純潔で高い二つの感情であると訴える。
そのうちの「宗教」についてさらに考察が続く。
トルストイにとっての宗教とは何か。トルストイはその本質を「神」の概念とあわせながら次のように論理を展開します。
1)生命は不滅である。
2)神を理解しないが、神を信じる。
3)永遠の報いを信じる。
4) 良心を承認する。
5) 霊と肉が衝突する時、霊が勝利する。
6)神の隣に自然があり、その隣に民衆がいる。
確かにここに生命の本質があるのではないかと感じさせる力強さがある。
生命そのものは厳然として存在する。
このことを否定する人は限りなく少数派である。
生命とは何か
生命そのものを論じてきた人は、日本においては間違いなく少数派である。なぜか生命を論じることを忌避する風潮が厳然と横たわっている。
しかし、生命そのものを直視することなく、自分自身の生命を全うすることができるだろうか。
今一度改めて、生命を直視し、論じ、そこから見出した生命法則に則って人生に挑戦することが必要だと訴えたい。
従来、日本語訳としては『人生論』とのタイトルで読まれてきた作品。
しかしこれは決して「人生論」という程度のものではない。
まぎれもなく生命論である。
この作品を「人生論」と呼んでしまうところに、日本人の哲学不在、宗教不在の浅薄さを感じざるを得ない。
この本を購入しようと思っても、現在は出版社在庫なしの状態。
名著が売れないのが現実なのです。
読みたい方は地元の図書館等で借りて下さい。
著者
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(Viktor Emil Frankl、1905年3月26日 - 1997年9月2日)
作家、思想家。
「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」、「復活」が三大作品といわれる。
当時の平均寿命と比べて驚異的な長寿・82歳の生涯を通して、世界文学有数の長編小説を生み、あらゆる秩序を批判し、暴力を否定した。トルストイ主義と呼ばれるキリスト教的な人間愛と、道徳的自己完成を説いたとされる。
ロシアでは「もっとも偉大な反逆者」とも呼ばれており、その長い嵐のような生涯を通じて、ロシア正教会や政府、文学的伝統、自身の家族(妻)とさえ対決した人であったという講評もある。
また教育の実践にも力を注いでおり、農奴解放の先駆的実践も行なっている。
トルストイの人生を俯瞰して感じることは決して完璧で高潔な人生を歩んだわけではないという点だ。特に前半生は若年層にありがちな、体制への無批判のままの受容と、根拠と地道な努力が伴わない楽観主義が随所に見られる。
また人生を通して苦難に直面した際の対処姿勢には賛同するには釈然としない点も多々感じられる。当時のロシアの風習、社会通念をそのまま受け入れた生き方でもあり、知ってみるとその実態に唖然とすることも少なくない。トルストイは、結果とした現れた現実に対して生命の永遠性を主張しながら、個々の現象に対しての考察が明快に論じられている一方で、その因果性に言及することなくキリスト教の説く神の存在に全ての原点を求めている。
トルストイの晩年にはその神の存在と自身が持つ愛の精神との融合の試みがなされているが、生命の永遠性の大原理である因果性を思索した形跡は見つけることはできなかった。
作品の章立てとあらすじ
はじめに第1章 人間の生命の根本矛盾
第2章 生命の矛盾は人類によって大昔から意識されてきた。人類の啓蒙家たちは、この内的矛盾を解決する生命の定義を人々に明らかにしてきたが、ファリサイの徒と書物の徒がそれを人々の目から隠している。
第3章 書物の徒の思い違い
第4章 書物の徒の教えは、人間の生命全体の観念に動物としての生存の目にみえる現象だけを当てはめ、そこから生命の目的に関する結論を引き出している。
第5章 ファリサイの徒と書物の徒の偽の教えは、本当の生命の意味の説明も、生活の指針も与えない。生活の唯一の指針になっているのは、合理的な根拠を持たない生活の惰性である。
第6章 われわれの世の中の人々における意識の分裂
第7章 意識の分裂は動物の生命と人間の生命とを取り違えることから生じる
第8章 分裂や矛盾はない。それが現れるのは、偽りの教えのもとにおいてだけである。
第9章 人間における真の生命の誕生
第10章 理性は人間によって意識される法則であり、人間の生命はそれに従って実現されなければならない。
第11章 知識の誤った方向
第12章 誤った知識の原因は対象をとらえる誤った遠近法である。
第13章 対象に対する認識の可能性が増大するのは、対象が時間と空間の中に現れ出ることに依るのではなく、我々と我々が研究する対象との従っている法則が一致することによる。
第14章 人間の真の生命は空間と時間のうちに生じるものではない。
第15章 動物としての個の幸福を放棄することは人間の生命の法則である。
第16章 動物としての個は生命の道具である。
第17章 霊による誕生
第18章 理性的な意識が求めるもの
第19章 理性的な意識の裏付け
第20章 の要求は理性的な意識の要求とは相いれないものらしい。
第21章 必要なのは個を放棄することではなく、個を理性的な意識に従わせることである。
第22章 愛の感情は理性的な意識に従属した個の活動の現れである。
第23章 愛の感情の発現は、生命の意味を理解していない人々には不可能である。
第24章 真の愛は個の幸福を放棄することによってもたらされる。
第25章 愛は真の生命のただひとつの完全な活動である。
第26章 生存のありえない改善に向けられている人々の努力は、人々からただ一つの真の生命の可能性を奪っている。
第27章 死の恐怖は生命の未解決の矛盾の意識にすぎない。
第28章 肉体的な死は空間のうちにある肉体と時間のうちにある意識を滅ぼすが、生命の根本を成している、それぞれの生きものが持つ世界に対する特殊な関係を滅ぼすことはできない。
第29章 死の恐怖が生じるのは、人々が誤った見方によって自ら限定した生命の小さな一部を生命とみなしているからである。
第30章 生命は世界に対する関係である。生命の運動は新たな、より高次の関係を確立することであり、したがって、死は新たな関係に入ることである。
第31章 死んだ人々の生命はこの世界で終わるわけではない。
第32章 死という迷信は、人が、世界に対する自分の様々な関係を混同することからはじまる。
第33章 目に見える生命は、生命の限りない運動の一部である。
第34章 地上の生存がもたらす苦しみの不可解さは、人間の生命が、誕生によってはじまり死によって終わる個の生命ではないことを何より説得力を持って人に証明する。
第35章 肉体的な苦痛は人々の生命と幸福の不可欠な条件である。
結び 人間の生命は幸福へのあこがれであり、彼の希求するものは与えられている。
付記1
付記2
付記3

