桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第140回】

『壁』(安部公房)

開催日時 2016年12月10日(土) 14:00~17:00
会場 サンライフ練馬 第二和室 西武池袋線中村橋駅・徒歩5分

物語のあらすじ

『壁』は昭和26年6月に刊行された三部構成の作品。

第1部「S・カルマ氏の犯罪」
ある朝、目を覚ますと自分の名前を想い出せない。
当初は何かの理由で失念してしまったのかと思った「ぼく」だったが「名刺」に名前を盗まれたことが判明する。
作品は冒頭から実に不思議な展開になります。
「名刺」は何事もなかったかのように「ぼく」に入れ替わっている。
回りの人間たちもそのことに疑問を持っていないようだ。
「ぼく」は名前を失ったことで異常な体験を続ける。
心で強く思うとそのことを自分の想像の意識の中に吸収してしまうことを知る。
そして名前がないことで裁判の被告になってしまう。
話の展開は次第に形而上的と言える状態に...。

第2部「バベルの塔の狸」
次の主人公「ぼく」は、名前ではなく「影」を奇妙な動物に咥えられて持ちされてしまう。
影を失ったことで「ぼく」は影の元である身体そのものも消えて透明人間になってしまった。「ぼく」は元の身体を復元させようと様々と試みる。
そして「とらぬ狸」なるものが...。

第3部「赤い繭」
前年の昭和25年に発表した短編作品が4つ並びます。

安部公房はこの三部構成の作品を通して何を語っているのでしょうか。 安部公房の作品としては『砂の女』が有名ですが、『壁』は安部公房の精神世界に迫るためにもぜひ読んでいただきたい一書です。

第一部 S・カルマ氏の犯罪

ある朝、目を覚ますとぼくは違和感を感じた。食堂でつけをしようとするが、自分の名前が書けない。身分証明書を見てみても名前の部分だけ消えていた。事務所の名札には、「S・カルマ」と書かれているが、しっくりとこない。驚いたことには、ぼくの席に、「S・カルマ」と書かれた名刺がすでに座っていた。名刺はぼくの元から逃げ出し、空虚感を覚えたぼくは病院へ行った。だが、院内の絵入雑誌の砂丘の風景を胸の中に吸い取ってしまったことがわかり、帰されてしまう。ぼくは動物園に向かったが、ラクダを吸い取りかけたところを、グリーンの背広の大男たちに捕らえられ、窃盗の罪で裁判にかけられることになった。法廷には今日会った人々が証人として集まっていた。
その場を同僚のタイピスト・Y子と逃げたぼくは、翌日に動物園でまた彼女と会う約束をして、アパートに帰った。翌朝、パパが訪ねてきた。その後、ぼくは靴やネクタイに反抗され時間に遅れて動物園についた。Y子はぼくの名刺と語らっていた。よく見るとY子はマネキン人形だった。ぼくは、街のショーウインドーに残されている男の人形から、「世界の果に関する講演と映画」の切符をもらった。行くと、せむしによる講演と映画が始まった。ぼくはスクリーンに映っているぼくの部屋を見た。やがてぼくは、グリーンの背広の大男たちにスクリーンの中へ突き飛ばされ画面の中に入った。
画面の中のぼく(彼)が壁を見続けていると、あたりが暗くなり砂丘に「彼」はいた。そして地面から壁が生えてきて、そのドアを開けると酒場だった。そこにはタイピストとマネキン半々のY子がいた。
別のドアから「成長する壁調査団」となったドクトル(病院の医者)とパパの姿をしたユルバン教授が現われ、「彼」を解剖しようとするが、「彼」は機転をきかし、難を逃れた。その後、ユルバン教授は、ラクダを国立動物園から呼びよせ、それに乗り、縮小して「彼」の中を探索するが蒼ざめて戻ってきた。ドクトルとユルバン教授は、調査を中止し逃げていった。ただ一人残された「彼」は、壁そのものに変形していく。

第二部 バベルの塔の狸

貧しい詩人のぼくは、自分の空想やプランをつけている手帳を「とらぬ狸の皮」と呼んでいた。ぼくはP公園で奇妙な獣を見つけた。その獣は突如、ぼくの影をくわえ逃げ去り、影を失ったぼくは目だけ残して透明人間になってしまった。その夜、獣は夜空から霊柩車に乗ってやってきて、自分は君に養ってもらった「とらぬ狸」であると言い、ぼくをバベルの塔へ連れて行った。そこには狸がたくさんいた。とらぬ狸は、「みなぼくの仲間だ。人間は誰でも各々のとらぬ狸を持っている」と言った。
とらぬ狸はぼくを入塔式に案内した後、目玉銀行に連れてゆき、目玉を預けろと言った。狸たちにとって、人間の目玉は有害なのだと目玉銀行の管理人・エホバが説明した。それを拒否したぼくは、次に行った時間彫刻器の研究室で、とらぬ狸におどりかかった。ぼくは時間彫刻器の箱を開けてタイムマシンで、影をとられる前の時間のP公園に戻った。そして近づいて来たとらぬ狸に向かって、手帳や小石を投げつけ追っ払った。

第三部 赤い繭

「赤い繭」
帰る家のない「おれ」は、日の暮れた住宅街をさまよううちに、足から絹糸がずるずるとのびてゆき、どんどんほころんでいった。その糸は「おれ」の身を袋のように包みこんでいって、ついに「おれ」は消滅し、一個の空っぽの大きな、夕陽に赤々と染まった繭となった。だが家が出来ても、今度は帰ってゆく「おれ」がいない。踏切とレールの間のころがっていた赤い繭は、「彼」の眼にとまり、ポケットに入れられた。その後、繭は「彼」の息子の玩具箱に移された。
「洪水」
世界のいたるところで、労働者たちが液化しはじめた。刑務所の囚人も液化したため、治安も悪化し大混乱となった。警察も物理学者もお手上げ状態となり、富める者たちは恐水病に陥った。様々な対処も無駄となり、人類は洪水で絶滅した。しかし、静まった水底で、何やらきらめく物質が結晶しはじめる。それは、過飽和な液体人間たちの中の目に見えない心臓を中心にしていた。
「魔法のチョーク」
貧しい画家のアルゴン君は、画材道具や家具も売り払い、その日に食べる物にも困っていた。一つ残っていた赤いチョークで壁にパンやバターや林檎を描くと、実物になって落ちてきた。アルゴン君は、夢中でそれを食べた。ベッドも書くとそれが現われた。しかし、翌日になると、ベッドは絵に戻り、林檎の芯など食べられなかったものだけ壁の絵に戻っていた。日光が部屋に入ると効力がなくなると気づいたアルゴン君は、壁から出した財布の金で毛布などを買い、部屋に暗幕をめぐらした。
窓がほしくなったアルゴン君は試しに描いてみたが、窓が「外」を持たないと駄目だった。ドアだけ描いて恐々開けると、黒ずんだ空の熱風砂漠だった。やはり「外の絵」を作り出さなければならなかった。アルゴン君は途方に暮れ、ふと目についた新聞記事のミス・ニッポンを壁に描いてイヴを作った。アルゴン君は一緒に世界を設計しようと彼女に言うが、高慢なイヴは半分もらったチョークでピストルとハンマーを描き、アルゴン君を撃ち殺してドアを打ち壊してしまった。
日光が入り、絵から出たものは絵に戻っていた。アルゴン君の胸の疵も消滅し癒えていたが、壁の絵ばかり食べていた肉体は、ほとんど壁の成分になっていた。アルゴン君はよろめき壁に吸い込まれてイヴの上に重なり、壁の絵になった。騒ぎに集まった人々や怒る管理人が帰った後、絵のアルゴン君は、「世界をつくりかえるのは、チョークではない」と呟き、その目から一滴のしずくが落ちた。
「事業」
司祭で事業家の私は、鼠を原料とした食肉加工で成功した。しかし飼育した肥大鼠に従業員と妻子が襲われて死亡する事件が起きた。それをきっかけに私は六人の死体を食肉に加工してみた。各界代表者を招いた試食会(原料を伏せた)も成功し、大商社各社から特約を受け、人肉加工の事業を展開した。事業は目ざましい拡張発展をとげ、原料(堕胎児や屍体)が不足した。私は、食べることを目的として生物を殺すのは罪ではないというキリスト教の教えによって、新事業の拡張新分野(殺人合法化)を計画する。

作品の評価

『壁―S・カルマ氏の犯罪』は発表当時、画期的な作品として反響を呼び、それまでの日本近代文学において主流だった「私小説の伝統とそこに密集する近代的自我という人間中心主義の幻想」を打破したという点で、その2年前に発表された三島由紀夫の『仮面の告白』と双璧をなす作品だと高野斗志美は解説している。
芥川賞の選考審査員の川端康成は、『壁―S・カルマ氏の犯罪』を、部分によっては鋭敏でなく、冗漫と思えたところもあるとしながらも、最も高く評価し強く推した理由について、「『壁』のやうな作品の現はれることに、私は今日の必然を感じ、その意味での興味を持つからである。(中略)作者の目的も作品の傾向も明白であつて、このやうな道に出るのは新作家のそれぞれの方向であらう」と述べて、新味があり好奇心を誘った作品だとしている。同じく、芥川賞に推薦した瀧井孝作は、「寓話諷刺の作品にふさわしい文体がちゃんと出来ている。(中略)文体文章がちゃんと確かりしているから、どんな事が書いてあっても、読ませるので、筆に力があるのです。自分のスタイルを持っている。これはよい作家だと思いました」と評している。
『壁―S・カルマ氏の犯罪』の文体について市川孝は、小説の文脈は説明的で饒舌な、蔓衍体的な一面を持つと同時に、簡潔な手法とテンポの速さ、きびきびした会話の展開を含むとし、また、具象的、印象的な図形類を配している点が特色だと述べ、その特色が、「切れることなく続く全体の構成と、印象的なクライマックス」と共に、超現実的な世界を描く観念的な作風と一つの調和をなしていると解説している。
この市川孝の解説評を受け、安部は『壁―S・カルマ氏の犯罪』で「意識的に工夫」した説明的な文章について、「形式的には説明だが、内容的には、単なる前文の繰返しにすぎないのである。分かりきったことを、もっともらしく、あるいは驚きをもって反復しているにすぎない」とし、それは市川の感じた「理屈っぽい傾向」というより、「むしろぎこちない思考」であり、〈ので〉〈から〉等の接続助詞の多出も、「関節の単純さのために、すべての行動をたやすく予見でき、予見できすぎることによってかえって謎めいてくる、あのマリオネットのとぼけたおかしさに近いもの」や、「即物性から飛躍できない、子供の〈理由さがし〉のこっけいさに似たもの」を意図した文体だと説明している。
『赤い繭』について森川達也は、「この作品の生命は、何よりもまず、『赤い繭』そのものが持っているイメージの美しさ、にある」と評し、『赤い繭』が一般的に言われるように、「ユーモアとアイロニーをこめた寓話的な手法によって、現代の人間の置かれた状況を描き出した短篇」には違いないが、単にその寓意を探って合理的に解釈することよりも、作品全体の詩的イメージの美しさを重視したいと解説をしている。

作者

安部公房(あべこうぼう、1924(大正13)年3月7日 - 1993(平成5)年1月22日) 日本の小説家、劇作家、演出家。本名は公房(きみふさ)。
東京府で生まれ、少年期を満州で過ごす。高校時代からリルケとハイデッガーに傾倒していたが、戦後の復興期にさまざまな芸術運動に積極的に参加し、ルポルタージュの方法を身につけるなど作品の幅を広げ、三島由紀夫らとともに第二次戦後派の作家とされた。作品は海外でも高く評価され、30ヶ国以上で翻訳出版されている。
劇団「安部公房スタジオ」を立ちあげて俳優の養成にとりくみ、自身の演出による舞台でも国際的な評価を受けた。晩年はノーベル文学賞の有力候補と目された。

阿部公房 代表作・受賞歴

『壁』(1951年) 『砂の女』(1962年) 『他人の顔』(1964年) 『燃えつきた地図』(1967年) 『友達』(1967年、戯曲) 『箱男』(1973年) 『密会』(1977年) 『方舟さくら丸』(1984年)
デビュー作 『終りし道の標べに』(1948年)
主な受賞歴
戦後文学賞(1950年)芥川龍之介賞(1951年)岸田演劇賞(1958年)読売文学賞(1963年・1975年) 谷崎潤一郎賞(1967年)フランス最優秀外国文学賞(1968年)芸術選奨(1972年)

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