桂冠塾

開催内容 桂冠塾【第141回】

『雪国』(川端康成)

開催日時 2017年1月28日(土) 14:00~17:00
会場 勤労福祉会館 和室(小)
西武池袋線大泉学園駅・徒歩3分

物語のあらすじ

12月初め、島村は雪国に向かう汽車の中で、病人の男に付き添う恋人らしき若い娘(葉子)に興味を惹かれる。島村が降りた駅で、その2人も降りた。旅館に着いた島村は、芸者の駒子を呼んでもらい、朝まで過ごす。

島村が駒子に出会ったのは去年の新緑の5月、山歩きをした後、初めての温泉場を訪れた時のこと。芸者の手が足りないため島村の部屋にお酌に来たのが、三味線と踊り見習いの19歳の駒子であった。次の日、島村が女を世話するよう頼むと駒子は断ったが、夜になると酔った駒子が部屋にやってきて、2人は一夜を共にしたのだった。駒子はその後まもなく芸者になっていた。
昼、冬の温泉町を散歩中、島村は駒子に誘われ、彼女の住んでいる踊の師匠の家の屋根裏部屋に行った。昨晩車内で見かけた病人は、師匠の息子・行男で、付添っていた葉子は駒子と知り合いらしかった。行男は腸結核で長くない命のため帰郷したという。島村は按摩から、駒子は行男の許婚で、治療費のため芸者に出たのだと聞かされるが、駒子は否定した。

島村は温泉宿に滞在中、毎晩駒子と過ごし、独習したという三味線の音に感動を覚えた。島村が帰る日、二人で駅に向かう途中で「行男が危篤だ」と葉子が報せに来る。島村の説得に応じず駒子は「見送りをするから帰れない」と言い、そのまま島村を駅まで見送った。

翌々年の秋、島村は再び温泉宿を訪れた。去年の2月に来る約束を破ったと駒子は島村をなじる。あの後、行男は亡くなり、師匠も亡くなったと聞き、島村は嫌がる駒子と墓参りに行った。墓地には葉子がいた。

駒子はお座敷の合い間、毎日島村の部屋に通ってきた。忙しいある晩、駒子は葉子に伝言を持って来させた。島村は葉子と言葉を交わし、魅力を覚えた。東京に行くつもりの葉子は、島村が帰るときに連れて行ってくれと頼み、「駒ちゃんをよくしてあげて下さい」と言った。葉子は死んだ行男をまだ愛しているようだった。「駒ちゃんは私が気ちがいになると言うんです」と葉子は泣きながら言った。葉子が帰った後、島村はお座敷の終った駒子を間借り家(駄菓子屋の2階)まで送ったが、駒子は再び島村と旅館に戻り、酒を飲む。島村が「いい女だ」と言うと駒子は激しく泣いた。

島村は東京の妻子を忘れたように、その冬も温泉場に逗留を続けた。天の河のよく見える夜、映画の上映会場になっていた繭倉(兼芝居小屋)が火事になり、島村と駒子は駆けつけた。人垣が見守る中、一人の女が繭倉の2階から落ちた。落ちた女が葉子だと判った瞬間にはもう、地上でかすかに痙攣し動かなくなった。駒子は駆け寄り葉子を抱きしめた。駒子は自分の犠牲か刑罰かを抱いているように島村には見えた。駒子は「この子、気がちがうわ。気がちがうわ」と叫んだ。

主な登場人物

島村
東京の下町出身。親の遺産で無為徒食の生活を送り、フランス文学(ヴァレリイやアラン)や舞踊論の翻訳などをしている「文筆家の端くれ」。子供の頃から歌舞伎になじみ、以前は日本舞踊研究に携わっていたが、ふいに西洋舞踊研究に鞍替えした。旅・登山が趣味。東京に妻子あり。小肥りで色白。
駒子
19 - 21歳。蛭の輪のようになめらかに伸び縮みする美しい唇。清潔な印象の女。東京に売られ、お酌をしていて旦那に落籍されたが、まもなく旦那が亡くなり、17歳で故郷の港町に戻った。島村と初めて会った直後の19歳の6月に芸者に出た。病気の許婚のために芸者になったらしい。17歳から続いている旦那が港町にいるが別れたいと思っている。
葉子
哀しいほど美しい声の娘。駒子の住む温泉町出身の娘で、駒子の許婚という噂の行男を帰郷の列車で甲斐甲斐しく看病する。行男と恋人同士らしい。東京で看護婦を目指していたことがある。肉親は、国鉄に勤めはじめた弟が一人。地元に伝わる手鞠歌などを美しい声で歌う。
行男
26歳。病人。駒子が習っている踊の師匠の息子。駒子と幼馴染。港町で生まれ、東京の夜学に通っていたが、腸結核を患い帰郷する。駒子の許婚という噂だが、駒子は否定。親(踊の師匠)が50歳前に中風になり、港町から故郷の温泉町へ戻った。
佐一郎
葉子の弟。鉄道信号所で働いている少年。貨物列車から姉を見つけて、帽子を振って呼ぶ。
温泉町の人々
宿屋の番頭、主人、おかみ、女中。芸者たち。宿の幼女。按摩の女。列車の乗客。置屋の駄菓子屋の家族。うどん屋の女。

作品の成立経緯

『雪国』は、最初から起承転結を持つ長編としての構想がまとめられていたわけではなく、以下のように複数の雑誌に断続的に各章が連作として書き継がれた。
1935年(昭和10年)
・「夕景色の鏡」-『文藝春秋』1月号
・「白い朝の鏡」-『改造』1月号
・「物語」-『日本評論』11月号
・「徒労」-『日本評論』12月号
1936年(昭和11年)
・「萱の花」-『中央公論』8月号
・「火の枕」-『文藝春秋』10月号
1937年(昭和12年)
・「手毬歌」-『改造』5月号

以上の断章をまとめ、書き下ろしの新稿を加えた単行本『雪国』は、1937年(昭和12年)6月12日に創元社より刊行され、7月に第3回文芸懇話会賞を受賞。
さらに続篇として以下の断章が各誌に掲載された。
1940年(昭和15年)
・「雪中火事」-『公論』12月号
1941年(昭和16年)
・「天の河」-『文藝春秋』8月号
1946年(昭和21年)
・「雪国抄」(「雪中火事」の改稿)『暁鐘』5月号
1947年(昭和22年)
・「続雪国」(「天の河」の改稿)『小説新潮』10月号

以上の続篇を加えて最終的な完成作となり、「続雪国」まで収録した完結本『雪国』は、「あとがき」を付して翌1948年(昭和23年)12月25日に創元社より刊行された。
その後、新潮社より1949年(昭和23年)6月刊行の『川端康成全集第6巻』(全16巻本)や、1960年(昭和35年)6月刊行の『川端康成全集第5巻』(全12巻本)に収録の際と、さらに1971年(昭和46年)8月に牧羊社より『定本雪国』刊行の際に、川端本人が加筆修正を加えた。また川端死後の1972年(昭和47年)12月には、原稿復刻版『雪国抄』がほるぷ出版より刊行された。

作者

川端 康成(1899(明治32)年6月14日 - 1972(昭和47)年4月16日) 日本の小説家、文芸評論家。大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。大阪府出身。東京帝国大学国文学科卒業。
大学時代に菊池寛に認められ文芸時評などで頭角を現した後、横光利一らと共に同人誌『文藝時代』を創刊。西欧の前衛文学を取り入れた新しい感覚の文学を志し「新感覚派」の作家として注目され、詩的、抒情的作品、浅草物、心霊・神秘的作品、少女小説など様々な手法や作風の変遷を見せて「奇術師」の異名を持った。
その後は、死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品、連歌と前衛が融合した作品など、伝統美、魔界、幽玄、妖美な世界観を確立させ、人間の醜や悪も、非情や孤独も絶望も知り尽くした上で、美や愛への転換を探求した数々の日本文学史に燦然とかがやく名作を遺し、日本文学の最高峰として不動の地位を築いた。日本人として初のノーベル文学賞も受賞し、受賞講演で日本人の死生観や美意識を世界に紹介した。

代表作は、『伊豆の踊子』『抒情歌』『禽獣』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など。初期の小説や自伝的作品は、川端本人が登場人物や事物などについて、随想でやや饒舌に記述している。そのため、多少の脚色はあるものの、純然たる創作というより実体験を元にした作品として具体的実名や背景が判明され、研究・追跡調査されている。

川端は新人発掘の名人としても知られ、ハンセン病の青年・北條民雄の作品を世に送り出し、佐左木俊郎、武田麟太郎、藤沢恒夫、少年少女の文章、山川彌千枝、豊田正子、岡本かの子、中里恒子、三島由紀夫などを後援し、数多くの新しい才能を育て自立に導いた。その鋭い審美眼で数々の茶器や陶器、仏像や埴輪、俳画や日本画などの古美術品の蒐集家としても有名。コレクションは美術的価値が高い。
多くの名誉ある文学賞を受賞し、日本ペンクラブや国際ペンクラブ大会で尽力したが、多忙の中、1972年(昭和47年)4月16日夜、72歳でガス自殺。遺書はなかった。

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