開催内容 桂冠塾【第160回】
『望郷』(港かなえ)

| 開催日時 | 2024年7月15日(月祝) 10:00~12:00 |
|---|---|
| 開催方法 | オンライン開催 |
はじめに
いわゆる短編連作、連作短編集と呼ばれる形式の作品。みかんの花
海の星
夢の国
雲の糸
石の十字架
光の航路
の6篇から成る。
作品の舞台は瀬戸内海の白網島。
この島に生まれ育った者たちの6つの物語である。
作者:湊かなえ(1973年1月~)
広島県因島市中庄町(現・尾道市因島中庄町)の柑橘農家に2人姉妹の長女して生まれる。因島高校を経て武庫川女子大学被服学科卒業。アパレルメーカー勤務、青年海外協力隊で家庭科教師としてトンガに赴任、淡路島の高校で家庭科非常勤講師を経て27歳で結婚。28歳で第一子が誕生。2004年から川柳、脚本の投稿を始めて2005年に第2回BSーi新人脚本賞に佳作入選。2007年に『答えは、昼間の月』で第35回創作ラジオドラマ大賞、2009年に『告白』で第6回本屋大賞を受賞。その後も日本推理作家協会賞、山本周五郎賞を受賞。
淡路島で主婦業と執筆活動を続けてきた。
『贖罪』『母性』『望郷』『絶唱』『リバース』『ユートピア』『未来』『ポイズン・ドーター・ホーリーマザー』『ブロードキャスト』など代表作多数。
みかんの花
白綱島市の閉幕式。わたしの家族は両親と3歳上の姉の四人家族。父は町役場に勤務。母は主婦業をしながらミカン畑を世話していた。ミカン畑は3ケ所。秋の収穫時には学校が終わると手伝いに駆り出されていた。
小学4年の時、本土と繋ぐ橋ができた。直後から姉は畑に行くことを嫌がるようになった。姉は近くで工事を請け負う家業を手伝う同級生の宮下邦和が好きだった。わたしは邦和からもらったチョコレートを姉に見せると包み紙を残してチョコをくれた。姉は邦和が好きなのだと思った。
その3日後父が死んだ。新年まであと3日の朝に釣りに出ると言って車で出掛けて島外で事故に遭った。同僚の若い女性と不倫していて二人で死んだ。母と姉は陰湿ないじめに遭い、姉は高校卒業前に男と駆け落ちして島を出た。
その後作家として成功した姉が式典でスピーチしている。25年間音沙汰なしだったのに。
白綱島市は市政55周年。日本で唯一の一島一市で観光と造船で栄えたが人口は半減し対岸本土のO市に合併した。島民は静かだが島外に出た人が騒がしい。
昼休みに姉と一緒に実家に戻り家族で昼食を食べる。故郷に残る、都会に出る考えを語る姉と家族。午後の会場は元・ミカン畑。4分の1は市のオブジェ、4分の3はコンビニになっている。邦和と再開した姉。姉が邦和から求婚され振っていた事実を知る。「あの四年間」と語る二人。姉は男と駆け落ちして5年後に文学新人賞を受賞した。「あの四年間」とはこの時期のことか、そもそも本当に駆け落ちしたのか。
オブジェの【ようこそ、白網島「へ」】のプレート嵌め替えも無事に終了。姉が忘れた手帳を取りに実家に向かう。なぜ姉が島を出たのか。理由も時期も納得がいかないわたしは小さな出来事を積み重ねた推理をぶつける。姉が駆け落ちしたはずの男を殺してオブジェの下に埋めたのではないかと。あっさりと姉は認めた。
わたしは声を上げて泣いた。
実家では送り火を焚いていた。姉は手帳から紙きれを出して火に入れた。花柄のチョコレートの包み紙だった。姉が出ていったあとで仏壇を見ると通帳が当時のまま入っていた。母が言う。「お姉ちゃんは帰ってこない。わたしの罪を背負って島を出て行った」と。男を殺したのは母だった。自分の役割を全うしようとする姉。
さようなら、お姉ちゃん。
海の星
夕飯には妻が得意なアクアパッツァが並び、小学一年の息子が美味しそうに食べている。材料は息子が釣ってきた小鰺だ。少年の頃、母と二人の食卓とおっさんの声を思い出す。3日後真野美咲から葉書が届く。父のことで話したいと書いてある。手渡す妻に、美咲は高校の同級生で彼女の父親に関わる時期があったと当時のことを語り出す。
太一が小学6年の秋に父が失踪した。夕飯の後に煙草を買ってくると出掛けた。手掛かりはなかった。夜な夜な母と父を探して歩いた。橋を渡ってしまったのかも。母は毎夜町を歩き続けた。母は翌月から清掃の仕事を始めた。休日は野菜の集荷場等で働いた。母の助けをしようと釣りを始めた。小鰺が50匹釣れた。母と二人で美味しいと食べた。週末には釣りを続けた。3度目の週末におっさんが声を掛けてきた。小鯵を海に戻されたかわりに大きなアジをもらった。漁師の真野幸作との出会いだった。毎週のように何かしらをもらった。
イカをさばいたり家にも出入りするようになって3年後。スーツを着て白いユリの花束をもって玄関から挨拶に来た。母に「大切な話がある」と。父はもう死んだのだから新しい人生を考えるべきだと話す。激怒した母は幸作を追い出した。幸作が来たのはそれが最後だった。一人にしてほしいと母に言われて海に出ると幸作がいた。その日は船で来ていた。もし父が死んだとわかったら別の人生があったのかと聞く幸作。海の星をみせてやるとバケツの海水をぶちまける。透明な青い輝きが海面にキラキラと浮かび、一瞬で消えた。
妻に言わなったことがある。美咲とは2年の時同じクラスになった。二人は体育祭でパネルと作る係になり親しくなっていく。互いに交際を意識するようになり告白する直前に美咲の父が幸作であることがわかる。我が家にはボランティアで通っていたと言っていた。気まずいまま疎遠になった。
待合せ場所に来た美咲。太一の父は失踪ではなく25年前に死んでいたと言う。死体が幸作の網にかかったが海に戻してしまっていた。後悔した幸作は真実を打ち明け詫びるために太一の家に通ったが言えなかった。癌になって美咲に打ち明けた。美咲は事実を告げるために太一に会いに来たのだった。太一の母はO市の病院で亡くなったが骨を海に撒いてほしいと言っていた。父が海で亡くなったことがわかっていたのかもしれない。幸作は元気に漁師を続けている。
太一は幸作への伝言を美咲に託した。「海の星を見せてくれてありがとう」
次の休みは妻と息子を連れて白網島へ帰ろう。
夢の国
東京ドリームランドがオープンしたのは30年前。数日後に生まれた私は夢都子と名付けられた。現在。親子三人で東京ドリームランドに来ている。
夢の国は遠い存在だった。祖母の権力が絶対の我が家ではかなわない夢だった。
長い行列にもはしゃぐ夫と娘。今日の来場者数は6万人だろう。
白綱島の人口の約三倍。窮屈な島の生活しか知らない私には想像がつかない。
東京ドリームランドのチャンスは二度あった。
一度目は中学一年のとき年末の福引で母がペア旅行券を当てた。母があっさり辞退した。
もう一度は進学した白綱島南高校の修学旅行だった。しかし自分達の学年から行き先が変更になった。
親子で人気アトラクションを体験する。途中で義母から電話が鳴る。用件が終わると電源ボタンを切った。たくさんの人がいる。一番楽しそうなのは大学生のカップルだ。
進学も祖母と母の考えに沿って県内の女子大学だった。教職課程を履修して4年生の教育実習は白綱島南高校だった。同級の平川と一緒に帰宅するようになる。
娘が行列で待ちくたびれた頃にキャストが声をかけてきた。やっぱり夢の国だ。
教育実習四日目の晩に母から不倫か長男か大学はどこだと平川のことを問い質される。やってられない。翌日は送迎を断るつもりだったが結局送ってもらった。誘われるまま食事に向かった。
アトラクションを楽しんでいると3時に。軽食をとる。サンドウィッチなどありふれた食事で三千円。でも容器に運動会のおにぎりが入れられるねと言うと娘は大喜び。これが夢の国の魔法だ。
島内の飲食店は閉まっていて橋を渡って本土のファミレスに入った。初めてのファミレスだ。たわいのない会話と食事をしてホテルに向かった。こういうのは良くないという平川との会話で高校1年の隣の男子だったことを思い出した。夏に一緒に夢の国に行ってその時にという平川に「そのときも、がいい」と車を降りた。その夏、酷いつわりに襲われた。
人気アトラクションは網羅した。なぜだろうか、夢がかなったという気がしない。
平川と一夜を過ごした翌朝に帰宅すると祖母が亡くなっていた。母は自身を責めていたが私は倒れてうめき声を出す祖母を見ていた。ようやく自由になれると思った。
しかし今の私の毎日に自由など、どこにもない。
パレードまであと一時間。オーロラ姫に乗る。古いアトラクションだ。どうして、涙が止まらない。「オーロラ姫、おもしろかったよ」の声が響く。私が焦がれていた東京ドリームランドはここだった。「むっちゃん、パレードを見に行こう」と夫が言った。
旧態依然とした生活は続いている。でも辛くなれば、またここにくればいい。
ドリームマーチが聞こえてきた。
雲の糸
新聞朝刊の記事。白綱島出身の歌手黒崎ヒロタカが島内の岩場から転落して意識不明の重態になった。島に帰ってきたことを後悔していた。タカヒロは今最も注目される若手アーティストの一人だ。
島の同級生の的場裕也から電話があった。的場は親友と言ったが絶対に親友なんかではない。的場鉄工所の50周年記念パーティにゲストで来てほしいという。拒絶したかったが勤務している姉と母が人質に取られたようにタカヒロはオフの日に参加すると答えた。
母はタカヒロが1歳の時に父を殺した。殺人犯の息子として的場が先頭に立って苛め抜かれた。
母は鯛の煮付を作って待ってくれていた。しかし叔母もその知人達も有名人の知合いとして恩を着せてくる。
子供のころ一日じゅう空を見ていた。母の出所の少し前、空から一筋の糸が伸びてきて違う世界に連れて行ってくれる空想を姉に語ると芥川龍之介の小説と同じと言われた。雲と蜘蛛で違っていたが耳に聞くのは同じ。地獄も同じ。
母は同僚と仕事を交替してパーティには行けなくなった。一人でパーティに向かった。
タカヒロは島を出たくて高校を卒業して大阪のスポーツ用品会社に就職した。配送のトラックで鼻歌を歌っていたら先輩がギターをくれて公園で練習を始めた。二年目頃から人気になり芸能事務所にスカウトされた。雲の糸が降りてきた。
パーティ会場では最悪だった。五百枚の色紙を書かされ、的場鉄工所の社長から壇上で母の犯罪が話され、それでも私たちは家族だと拍手を浴びた。
いじめの毎日だった。出所後母はフェリーの清掃員として働いた。早朝に町中を掃除して回った。全てがいじめになった。
的場は市議選に出るらしい。皆は地元のために覚悟して立派だという。もう勘弁してくれ。社員との記念撮影も無理強いされた。清武堂の主人が撮った。事件の時にマスコミに両親の写真を提供した奴だ。だから成人式の時に母の着物をきた姉は叔母の近くの写真館で写した。最後には強制的に歌を歌わされた。会場の出口では色紙を手渡した。しかし来賓達はタカヒロを蔑視した。疲れ果てて駐車場に出る。ワイパーに挟まっていた封筒も投げ捨てた。
実家に戻ると母が頼まれてきた色紙が積まれていた。断ればタカヒロが嫌がらせさせるかもしれない。だから断れなかったと言う母。マスコミがタカヒロの過去を取材すると思った母は自殺を図っていた。自分が人質だった。
マジックを買ってくると出かけたタカヒロ。海岸に出て断崖の先に立つ。この空から雲の糸が降りてくるのをずっと待っていた。ようやくつかんだ糸を昇ると後から島の奴らが昇ってくる。これは僕の糸だ。来るな!と叫んだ瞬間、黒い海に落ちていった。
「ヒロ、母さんの掃除を手伝いに行こう」
ヒロアキは姉の声で目覚めた。二日間意識不明だった。犯罪者の子供であることも暴露された。でも本当に聞いてくれる人のために歌えばいい。父はタカヒロの首を絞めようとした。母はタカヒロを助けるために父の背中を何度も刺したのだった。自分に背を向ける母の姿が目に浮かんだ。
帰ってくるよ。胸を張って、堂々と。凱旋コンサートを開いて、母さんと姉さんを一番いい席に招待するよ。
嗚咽する母の声が聞こえた。
石の十字架
一年中穏やかな気候の瀬戸内海の島に巨大な台風が襲ってきた。家の中まで水が入り込んでいる。子供のころの記憶。クラス中に聞こえる声で話す大橋文香とそのグループ。関西の都会から転校したばかりの頃は声を掛けられたが、一週間ほどで噂を聞いたのか存在しない扱いになった。それなりに裕福な親子三人暮らしから祖母と二人暮らしになった。
午後3時。テレビでは台風情報をやっている。買い物には行かず残り物で間に合わせる。
父の様子がおかしくなったのは小学3年の秋頃。会社に行けなくなった。半年後父は会社を辞めて島で暮らしたいという。母は拒絶した。
居間の畳が飛び上がり水が吹き上げた。逃げたいが屋外には出られない。誰も来ない。娘の志穂をシンクに乗せ、自分はテーブルに上がった。目に入った石鹸に十字架を彫った。私は志穂に十字架にまつわる話を始めた。
出鱈目な噂話も流されて悲しかった私に声を掛けてきたのが吉本めぐみだった。めぐみはみすぼらしい格好していて孤立していた。一緒にいるのが恥ずかしいと思った私も軽蔑している人と同じだった。めぐみはいろいろなことを知っていた。島の伝説をもっと教えてというと白綱山に登ることになった。祖母は午後から出かける二人にと巻き寿司を2本持たせてくれた。登りながら白綱山の由縁を話すめぐみ。頂上に着きお堂から周囲の島々を見渡す二人。巻き寿司を食べながら父を思い出して涙する私。めぐみは十字架を探そうと提案する。隠れキリシタンが白綱山に逃げ込んで観音像の裏側に刻んだという。当時を想像したわたし千晶は石の十字架を見つけた。
9月の運動会でめぐみは一等になって景品の消しゴムをもらった。わたしはめぐみと親友になれた、と思ったがわたしの知らないところでめぐみが消しゴムに十字架を掘っていることを知り悲しくなってめぐみを責めた。
父は自殺した。母は自身を責めた。ナイフになる「頑張れ」とならない「頑張れ」なんてわからない。何も言わないのがいいのか。でも話してくれてもいいんじゃない。何も変わらなくても一緒に十字架を掘って祈るから。
めぐみは打ち明けてくれた。祖母たちが動いてくれたが正しかったかはわからない。
光が差し込んだ。救助にきてくれた。被害が各地にあったがめぐみが通報してくれていた。めぐみとはそれほど親しくして来なかったが、志穂が不登校になり白綱島に行くと決めたときに思い浮かんだ。志穂の現実は甘くはない。転校してしばらくして不登校に戻った。小さな畑で一緒に野菜を植えたりしている。
これのおかげかなと接見の十字架をみせる志穂。助けてほしいと祈りを込めて彫った十字架。
消しゴムに彫った十字架の向こうには私がいたのかもしれない。
光の航路
深田碧はいじめの首謀者だった。しかし彼女の母は認めようとはせず逆に被害者だと主張する。弁護士と立てると言われて引き上げた。自分は小学校の教師をしている。最初の赴任地で5年を過ごして希望して故郷に戻ってきた。前任校でいじめに立ち向かった先輩教師が自殺直前まで追い込まれた。当事者の生徒を前年に受け持っていた。平和なところに避難したかった。愚かだった。
深田の一家は島のエリート。6年になって資質を現した三浦真衣がいじめのターゲットになった。真衣は碧のグループに倉庫に一晩監禁されて学校に行けなくなった。グループの子と親は謝罪したが碧と親は自分たちが被害者だと言い続ける。20年前に病死した自分の父は中学教師だった。母にも誰にも相談できない。いっそ半年ほど昏睡状態になりたい...。
病院のベッドで目を覚ました。放火の被害にあったのだ。4日間の入院になった。父の教え子だという波多野忠彦が見舞いに来た。父に殴られた話をすることになる。
小学3年の秋。白綱島で最後の進水式。父と母と三人で行くことを楽しみにしていたが前日になって父は行けないと言った。母と進水式に行ったが父は一人の男の子と来ていた。母は進水式の思い出も語ってくれたが、父が他の男の子といたことが面白くなかった。翌日友達と進水式の話になり父親と行かなかったのかと言われて相手を突き飛ばして怪我をさせてしまった。言い訳をするな、人に手を挙げていいわけがないと父に殴られた。
畑野はあの日の男の子は自分だと謝罪する。当時畑野はクラス中からいじめられていた。畑野に悪い点は何もなかったがいじめは止まず自殺を決意した。救ってくれたのが父、大崎先生だった。話してくれと言われも言葉にならず、ただ死にたいと言った畑野を進水式に誘った。進水式の後帰宅する途中の公園で行きかう船を見て大崎先生は言った。
あれらの船を見て声援を送る人はいない。だけどどの船も大勢の人に祝されて海に出た。
僕の役割は僕がいる海を通過する船を先導し守ることだ。こんなところで沈んじゃいけない。忠彦は祝福されて海に出たんだから。
父は根気強く真実にたどり着き解決した。その後も首謀者を見守り手も挙げていった。
進水式の光景が蘇る。畑野の姿が自分になり父の声が僕の中に入ってくる。
次第に父の顔が僕になり、僕が話す父の言葉を聞いているのは三浦真衣になる。
僕は言葉を止めない。その先に光差す未来があることを伝えられると信じて。
『望郷』...よき作品。
ふるさとは遠きにありて思ふもの題号の『望郷』をみてこのフレーズを思い起こした人もいると思う。
日本人の多くが知っているだろう室生犀星が詠んだ一節である。
望郷のイメージをそのまま著したような言葉である。
高校の授業で教わった人も多いと思うが、室生犀星はこの詩を故郷を離れた場所ではなく、故郷の金沢を離れて東京に向かう際に詠んでいる。そう簡単にはあきらめて帰ってきたりしないぞという覚悟で故郷を後にする。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたうもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
自分も含めて地方から都会に出てきた人間にとって望郷は特別なものだった。
時代は下って現代。交通網は発展し日本国内の移動は容易になった。飛行機や新幹線を使えば4~5時間でほとんどの地域に行ける。不便と言われる場所でも夜行バスを使えば翌日の午前中には行けたりする(島しょ部の方には申し訳ないです)。
一度都会に出て長く暮らしてきた人であっても、親の介護のためにUターン移住するのも珍しくなくなった。移住しなくても週末に地方に住む親の実家に行って介護するケースも増えている。
都会に出てきたからには錦を飾るまで帰京はしない、という感覚はほぼなくなったと言ってよいだろう。
それでも"望郷"なのだ。
故郷に思うことは一言二言ではあらわせない。
それはそうだ。生まれて、多くの場合は18歳頃まで育った環境だ。些細な振る舞いやさりげない物事の考え方など、人間としての多くの部分がこの時代に形成されてきた。その時代に経験したことのほとんどが人生初の出来事であり、その後の生き方に大きな影響を与えてきた。その舞台が故郷である。
そう簡単に言い表せるものではないのだ。
その意味からも短編連作、連作短編集という手法は、故郷をテーマにした作品にはよく合っている。

